「教科書の無償配布を行ったのは公明党(# ̄┏ー┓ ̄#) キリッ」 どうして創価学会員は少し調べれば嘘だとわかることを言うのですか? 恥という概念がないんですか?

「教科書の無償配布を行ったのは公明党(# ̄┏ー┓ ̄#) キリッ」 どうして創価学会員は少し調べれば嘘だとわかることを言うのですか? 恥という概念がないんですか?

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ベストアンサー

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質問が決定打になるなんて、おかしいとは思いませんか。下の方が仰る通り、既に決まっていた事項でなければ、即座に答えられるもんじゃないです。 もしかしたら、公明党のいう実績って、(自民党に)決り事項を天下に明言せしめた。って事でしょうか?なら一応納得。 柏原ヤスに池田首相が答弁するより前に、荒木文相がその方針を衆議院文教委で明らかにしていました(1963年3月13日付朝日新聞夕刊)。 資料① 昭和37年4月1日付の朝日新聞記事です 20日頃発足させる 文部省で準備「教科書無償準備」調査会 文部省は義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法案(教科書無償法案)の31日成立に伴い、同省に設けられる【臨時義務教育教科用図書無償制度委員会】の発足準備を始めた。同省としてはこの【調査会】を4月20日頃発足させたいとし、それまでに20人以内の委員を教育、報道、言論、経済など各界と文部、大蔵、自治の関係省庁から選び、また審議資料を整える方針である ーーー この【臨時義務教育教科用図書無償制度調査会】の答申に基づき義務教育全体の教科書の無償給与を完成させるという道筋が付けられたわけです。昭和37年の時点でのことです。たしか柏原ヤスの質問は昭和38年でしたよね。 資料② 文部科学省のHPから 三十七年「義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」が制定され、義務教育の教科書は無償とする方針が宣言され、同時に【臨時義務教育教科用図書無償制度調査会】が設置され、無償給与の具体策について審議することとなった。この調査会の答申に基づき、翌三十八年「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」が制定され、完全な教科書無償給与制度が確立した。この無償給与は、国の財政措置との関連から三十八年度以降年次計画をもって進行し、四十四年度に、義務教育全体の教科書の無償給与が完成した ーーー 【臨時義務教育教科用図書無償制度調査会】の答申に基づき、完全な教科書無償給与制度が確立したとあります。 資料③ 山崎政人著「自民党と教育政策」(岩波新書)“教科書無償”の項より 教科書無償が最初に持ち上がったのは1950年の夏だった(略)池田勇人は同年7月に内閣を改造。荒木万寿夫は文相に留任したが、この直後に松山で開かれた四国ブロック地教委教育長会議で講演し、義務教育に対して教科書の無償配布を検討している」と述べた。(略)大蔵省は最後までしぶったが、池田の裁断で実施が決まった。62年3月31日、「義務教育諸学校の教科書図書の無償に関する法律」が成立、公布された。調査会は62年12月21日、一部修正のうえ成立、公布された。こうして教科書無償は年次進行によって実施され、69年で中学3年までの教科書無償が完成した。これほどまでに自民党が教科書無償に熱心だったのは、さまざまな背景がある。 ーーー >池田の裁断で実施が決まった。 (大作ではなくて勇人です) >調査会は62年12月21日、一部修正のうえ成立、公布された。こうして教科書無償は年次進行によって実施され、 1962年に、(無償化は)年次進行によって実施されることが決められたのです。 さて、異なる情報ソースの中に【臨時義務教育教科用図書無償制度調査会】が度々出てきました。 この【臨時義務教育教科用図書無償制度調査会】のことは、柏原ヤスの質問が決定打だったとする公明党のHPには出てきません。 再び『自民党と教育政策』より引用します。 3 月、大蔵省の反対を池田首相がおしきり、2 箇条の「義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」成立。第 1 条で無償化を、第 2 条で【無償措置の審議調査会設置を定める】。20人の調査会に財界から金子佐一郎・藤井丙午・中島正樹・森永貞一郎氏ら。11 月に答申。自民党から「300億の減税に匹敵する」の意見、荒木文相は教科書国定化も視野(p62, 内藤証言)。文部省には無償化が給食などに波及すると財政負担の声、内藤次官がおさえる。 --- ◆池田勇人が裁断を下しましたが、その次に重要な働きをしたのが「臨時義務教育教科用図書無償制度調査会」(20人の調査会)の存在です。 ◆やっぱり実績といわれるような働きをしたのは自民党でした。公明党ではありません。

”もしかしたら、公明党のいう実績って、(自民党に)決り事項を天下に明言せしめた。って事でしょうか?なら一応納得。” wwwww なるほど、日本語では「意見を言った」と表記されるものが、創価語では「実現させた」に翻訳されるんですね。 教科書無料配布を実現させたのは自民党と文部省、これが日本における常識です。 創価では常識がいくらか違っているみたいですね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

カルト信者の嘘がまた一つ証明されましたとさ。 めでたしめでたし。

お礼日時:2014/12/4 22:41

その他の回答(6件)

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1962年3月28日 国会議事録より引用 柏原ヤス君: 教科書無償の問題についてお伺いいたしますが、教科書を無償にしたという意図についてちょっとお伺いいたします。 国務文部大臣 荒木萬壽夫君: 憲法の二十六条が、義務教育は無償とすると宣言いたしております。これに対して、御承知のとおり、現在は、教育基本法におきまして、義務教育では授業料はとらないという趣旨のことをまた宣明いたしておりまして、今度の教科書を無償とするという建前を確立しようとしておりますことも、憲法に基づいて、その趣旨を、その理想をさらに前進し、実現していきたい、こういう考え方に立っております。 義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」(昭和37年3月31日公布、同年4月1日施行)及び「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」 (昭和38年12月21日公布、同日施行) この問題は1962年3月28日に柏原ヤスが質問したのが初めて。 しかし、質疑の内容を読むとこの時点では既に憲法に基づき無償配布が決定されている。 下の盲信者さんは証拠というのなら公明党の機関紙の宣伝文などではなく国会議事録から提出しなさい。 そんな事実は国会議事録にはないから。

凄いです。自分が白黒さん↓への反論に使おうと思っていた材料を、ほとんど書かれてしまわれました(笑) そうなんです。1000万円柏原さんがこの発言をする以前に、教科書の無料配布は既に決定していたのです。 ただ一言だけ発言しただけで、手柄を全て自分のものだと言い張ってしまう。 公明党が悪く言われる理由が、本当にわからないんですね。

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何言ってんだ! こんなこと、常識だよ。 ↓これを見なさい https://www.komei.or.jp/policy/result/story/10.html 小学1年~中学3年までの「完全実施」の実現は公明の質問が“決定打”だった これのどこがウソなんだよ。あんたこそ、恥と言う概念がないのか? ウソと言うなら、その根拠を示したら? カラス程度の知能では、無理かな。

labienus_rapierさんは、私を盲信者とおっしゃいますが、説明不十分でしたので、追加回答します。 ↓をご覧ください。引用させていただきます。 http://d.hatena.ne.jp/sgi-kusunoki/20071009/p1 「一部しか無償で無かったものを、粘り強く取組み徐々に拡大し『義務教育9年間』のすべてを無償配布にしたことにかんしては、公明党の実績の一つといえると思います」とあります。 具体的には以下の質問。 昭和38年03月13日(一部抜粋) ○柏原ヤス君 第二にお尋ねしたいことは…(中略)しかるに、計上された予算は半額にも及ばない二十七億円に削られ、ようやく小学校三年生までの無償配布が認められただけであります。(中略)父兄の声は、少なくとも中学三年までの無償、予算にして百四十億円程度のものは、何はさておいても実現してほしいというのが偽らざる希望であります。 このとおり、公明党が「教科書無料配布」を訴え、それを実現してきたのは間違いありません。

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私は、教科書無償配布は、公明党だけの実績とは思っていません。他党の多くの議員からも多くの意見もあり、公明党の議員が決定打であったと思っています。 詳細は下記に!どうぞ! 教科書無償配布 小学1年~中学3年までの「完全実施」の実現は公明の質問が“決定打”だった 「41年度には完全実施 首相『教科書無償』で答弁」(読売)。1963年(昭和38年)3月13日の新聞各紙の夕刊1面には、大きな見出しが躍っていた。その日午前、参院公明(当時は公明会)の柏原ヤス(故人)が本会議で教科書無償配布の完全実施を迫り、首相の池田勇人に決断させたことを報じた記事だった。 当初、「段階的な実施」という“小出し”で逃げていた政府が、小学1年から中学3年までの教科書無償配布を「首相が政府全体の方針として言明したのははじめて」(朝日)だった。 これらの新聞を読み終えた柏原は、かつて小学校の教員だった時代の出来事を思い出していた。 「先生! この教科書いくらですか? わたし買います! みんなと同じように買いたいんです!」。そう言って詰め寄る少女の瞳は涙であふれていた――。 春、新学期。真新しい教科書を手にして喜ぶ小学生の中で、その少女だけが暗い顔をしていた。少女の家は生活保護を受けており、教科書は国から特別に“支給”されていた。ところが、それが友達に知れ、「おうちが貧乏だから買えないんだって……」などといったヒソヒソ話がクラス中に広がってしまったのだ。 「おもちゃも、お菓子も、何もいらない。でも、教科書は自分で買いたい!」。少女は悔しくて、自宅にあった陶器製の貯金箱を壊して小銭を数えたが、数十円足りなかった。「これ教科書代です! 足りない分は、後で必ず払います。教科書を売ってください!」。必死に訴える少女の姿が柏原の目に焼き付いた。 「憲法では義務教育の無償をうたっている。せめて教科書代だけでも無料にしなければ……。あの娘のような、つらい思いを、二度と繰り返してはならない」。後に参院議員となる柏原にとって、決して忘れられない、胸痛む体験だった。 教科書無償配布実現への闘いは、56年(同31年)の国政初進出時から始まった。憲法は「義務教育の無償」を定めており、保護者の負担軽減を重要政策の一つに掲げたのだ。 国会質問では63年(同38年)1月の参院本会議で初めて取り上げた。そして、消極的だった政府に完全実施を決断させる“決定打”となったのが、3月13日の柏原質問だった。 「公明会を代表して質問いたします!」。凛とした姿で迫力のある声が議場に響き渡った。柏原は「何はさておいても中学3年までの教科書代を無償にすべきです!」と詰め寄った。場内からは「そうだっ!」との声援が数多く飛んだ。 首相は、ついに「憲法の理想を実現することに努め、昭和41年度までには義務教育の教科書を全部出したい」と明言したのだった。 その後、教科書無償配布は63年度(同38年度)から段階的に実施され、途中、政府の対応の遅れで、ようやく69年度(同44年度)に全小・中学校の児童・生徒を対象に完全実施された。 後日、柏原は、教員時代のあの少女から手紙を受け取っている。子を持つ母となり、教科書無償配布の実現を喜ぶ感謝の手紙だった。それは、「一人を大切にする政治」が参院公明の“原点”として結実した証しでもあった。 昔も今も、公明党は地方と 国を結ぶネットワーク政党 1963年度(昭和38年度)から段階的にスタートした教科書無償配布は、翌64年度(同39年度)時点で「小学1年~同3年」が対象だった。当然、小学4年以上の子を持つ保護者は、引き続き“出費”を余儀なくされた。こうした中、国政段階の取り組みに呼応して、地方議会公明党も必死の闘いを展開した。 以前は炭鉱で栄えた北海道歌志内市――。60年代前半から廃鉱が相次ぎ、人口が急減していた。収入の少ない“ヤマ”の人たちには、教科書代などの教育費負担が重くのしかかっていた。 「国の施策で恩恵を受けられない家庭には、市が独自に光を当てるべきだ」。一人の公明党市議が立ち上がった。無償配布の必要性を市長や他の市議に説いて回った結果、市は64年度(同39年度)から、独自に「小学4年~中学3年」を対象に加え、教科書無償配布の完全実施を国に先駆けて実現したのだった。しかも、こうした動きは地方議会公明党の力で各地に広がり、埼玉県の所沢、川口、大宮(当時)の各市、東京都東村山市、大阪府泉大津市なども、相次いで独自に対象年齢を拡大していった。 公明党の前身である公明政治連盟(公政連)は、61年(同36年)に結成され、参院議員9人と地方議員270人超でスタートした。そして64年(同39年)の公明党結成時には、国会・地方議会で1200人を超える議員を擁し、既に“ネットワーク”政党としての機能を存分に発揮していたのである。 文中敬称略、肩書は当時 2010年06月05日付 公明新聞

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「おもちゃも、お菓子も、何もいらない。でも、教科書は自分で買いたい!」 wwwww 嘘くささ爆発www 前々から思ってたんですが、まさゆー先輩って天才なんじゃないですか? 下手な芸人よりずっとオモロイです。幸福の大川先生と張り合える逸材かもしれません。 こんな胡散臭さ、狙っても出せないわw ちなみに柏原ヤスさんって、「1000万円財務しろ」で有名な人ですよね。 1000万円財務したら教科書無料の夢が叶ったのでしょうか。美談ですね(笑)