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豊臣時代の大阪城は今の敷地の何倍くらいあったのですか?

jyo********さん

2007/12/2008:56:40

豊臣時代の大阪城は今の敷地の何倍くらいあったのですか?

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白獅庵さん

編集あり2007/12/2013:21:38

現在の”大坂城”域は東が環状線大坂城公園駅~森の宮駅に沿っていて、北は平野川沿い、西は大阪府庁の東、南が法円坂沿いに囲まれた東西1138米・南北923米の範囲とします。
この平面積は約1,05平方Kmです。
豊臣期の大坂城の最大範囲は、慶長19年(1614)の{大坂冬の陣}で徳川家康軍が包囲した範囲、いわゆる”惣構え”の範囲と考えますから、この東は環状線に沿って”玉造駅”まで、北は平野川・堂島川の左岸域・西は天神橋から南に向かう筋・南は玉造駅南から西に向う筋に囲まれた範囲となります。
この範囲は概算で2千米平方ですから4平方Kmであり、現在の城域面積で割れば、おおよそ3・81倍が大坂城であったと考えます。

質問した人からのコメント

2007/12/21 07:19:05

うーん 夢の跡ですか

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2007/12/2016:30:27

北端は、霞屋橋から淀川沿いに東へ進み、土佐堀川を経て平野川にかかる大阪城新橋付近まで。
西端は、霞屋橋から阪神高速に沿って南下し、松屋町まで。
南端は、松屋町から国道308号線のやや南を東へ進み、玉造まで。
東端は、玉造からJR大阪環状線に沿って北上し、弁天橋の南~大阪城新橋付近まで。

以上の線をぐるりと四角く囲った範囲です。

ちなみに、現在のJR(または近鉄)鶴橋駅の北西側にある真田山公園付近には、
かつて大阪冬の陣で真田信繁(幸村)が築き、徳川方に大打撃を与えたことで知られる
「真田丸」がありました。

cre********さん

2007/12/2011:51:22

今の敷地はどれくらいか知らないのですが、
当初のお城は、記録では、城を囲む石垣は周囲3里8町(約15キロメートル)に及ぶ
となっているようです。

広大だった事は間違いありませんが、現在の何倍かは分かりません。

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