ここから本文です

元寇後の鎌倉時代における霜月騒動は 身内人vs御家人の権力争いなわけですが、 ...

tot********さん

2014/12/3008:12:53

元寇後の鎌倉時代における霜月騒動は
身内人vs御家人の権力争いなわけですが、
このあとの平禅門の乱という事件と
ワンセットとして考えたほうが、、とも思いますか。。

権力争いを演じていた安達泰盛と平頼綱がそれぞれ
時期は違っても最終的に滅んだ事を思えば。。

ともあれ、身内人vs御家人の権力争いは
結果的には痛み分けでおわったようなものでしたか。。

また双方の傍流に該当するものがそれぞれ鎌倉幕府の
中枢に復帰し、幕府滅亡と運命を共にしたことからすれば、

霜月騒動以前の鎌倉幕府の権力争い事件とは
一線を画すようなものともいえますか。。

閲覧数:
198
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

秋田城介さん

2014/12/3017:39:16

見方は色々あると思いますが、
霜月騒動によって北条得宗家による他氏排斥が
完成したという見方が一般的です。
その点では和田義盛の乱や宝治合戦などの
鎌倉時代前期~中期の北条氏対有力御家人という
対立の構図と実質的には同じです。

頼綱は平禅門の乱で滅びますが、
頼綱の弟を祖とする長崎氏が内管領(御内人)として
幕政を主導するようになったので
御内人と御家人の権力争いは御内人の勝ちでしょう。

因みに長崎氏と安達氏(泰盛の弟顕盛の子孫)は
のちに和解して婚姻関係まで結び、
北条得宗家と運命を共にしています。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる