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大山陵古墳が仁徳天皇陵と以前呼ばれていたのはなぜですか? というか、なぜ古墳...

rup********さん

2015/5/1702:02:31

大山陵古墳が仁徳天皇陵と以前呼ばれていたのはなぜですか?
というか、なぜ古墳時代にできたものが天皇陵となるのでしょうか…

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kak********さん

2015/5/1702:37:31

正式名称は、大仙陵古墳です。また現在でも仁徳天皇陵は地図上の表記として通用しています。
また、古事記の記述を信じるならば、仁徳天皇の没年は427年、大山陵古墳が5世紀前半の築造と考えられているので、真偽の程はともかく、年代は間違っていません。

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tom********さん

編集あり2015/5/1706:12:26

仁徳天皇陵は大阪府堺市大仙町にあって、古名を百舌耳原中陵と言いますが、江戸時代には一般的に大仙陵と呼んでいました。「大仙」とは大山、つまり巨大な墳丘と言う意味で、「中陵」と言うのは、この御陵墓に対して南陵と北陵があるからで、南陵は履中天皇陵、北陵は反正天皇陵と平安時代の古記録「延喜式」に記してあります。

2015/5/1702:45:51

日本書紀や古事記に記載された記録から「仁徳天皇陵」と治定されたからです。
天皇号は7世紀以降ですが、便宜的に6世紀以前の大王も天皇と呼称されます。
よって古墳時代であっても「天皇陵」と呼ばれるのです。実際にその天皇が埋葬されているかどうはまた別問題ですし、6世紀以前の天皇がすべて実在していたかどうかも疑問のあるところです。

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