ここから本文です

なぜ元明天皇の子が文武天皇なのに、文武天皇が先に天皇になったのですか?

ut_********さん

2015/6/612:00:35

なぜ元明天皇の子が文武天皇なのに、文武天皇が先に天皇になったのですか?

閲覧数:
1,580
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

2015/6/612:47:54

天武天皇在世中から皇后の鸕野讚良皇女(後の持統天皇)は自分が唯一産んだ草壁皇子を天皇にしようと運動を行った。
結果草壁皇子は最有力の皇位継承者となったが、若い上に敵が多くなりすぎ天武天皇崩御すぐには即位できない状況になった。
そこで鸕野讚良皇女が中継ぎで即位し持統天皇となった。
ところが草壁皇子は若くして死去してしまう。

この事態に持統天皇は草壁皇子の幼い息子(つまり孫)の軽皇子を何としても天皇にしようと下準備を始める。
そして軽皇子が15歳になると、早速皇子に皇位を譲って退位した。
天皇が退位して譲位するのは史上初めてのことであった。

5年後に持統上皇は崩御したが、文武天皇も在位10年25歳で崩御した。
持統上皇崩御後事実上皇室のトップとなっていた阿部皇女(草壁皇子の妃)は、文武天皇の唯一の皇子である首皇子を何としても皇位につけようと、持統天皇の例を参考に自ら即位して元明天皇となり中継ぎを勤めた。
しかし首皇子が成長しきらないうちに体調不良を訴えるようになり、譲位して娘の氷高皇女を中継ぎの中継ぎ元正天皇として即位させた。
元明上皇は首皇子の即位を見る事無く崩御したが、元正天皇は皇位を守り抜き、甥・首皇子への譲位に成功した。
これが聖武天皇である。
元正上皇はその後25年生きて、聖武天皇が病の時は政務を代行したりしたという。

つまり元明天皇の子が文武天皇なのに、文武天皇が先に天皇になったのは、持統天皇の系統の女性たちが必死になって自分たちの子孫に皇位を継承していこうとした結果であった。
しかしそうまでして即位した聖武天皇は皇太子の基皇子が若死すると次男の安積親王を差し置いて阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)を即位させ、自身の系統を絶やさせてしまうのである。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

zev********さん

2015/6/701:50:23

そもそも、元明天皇の即位じたいが、例外的なものです。

本来の皇位継承は、
天武天皇-草壁皇子-文武天皇-聖武天皇……
という順番です。
しかしそれが、継承予定者の若死にや健康問題、年齢の問題などで、できなかっただけ。

できなかったから、元明天皇元正天皇の、中継ぎでの即位という例外があっただけです。



なので、一部の女系天皇論者が強弁するような、「元明から元正へは女系継承」というのは、完全な間違いです。

実際、元明天皇は「自分の即位は中継ぎ」と、明言しています。
元正天皇も、その路線を踏襲してのものなので、いわば「中継ぎの中継ぎ」です。
男系継承維持のための中継ぎだから、これも男系継承です。

oju********さん

2015/6/613:29:44

孫の聖武が幼少だから、代わりに位についたのです。

息子から位をうばった、唐の武后もいました。女帝武則天です。

文武の前の持統からですね。
息子の草壁が先に死んだので位につきました。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる