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大東亜戦争の前後は天皇というのが形式化していたと思いますか?軍隊は天皇よりも権...

nar********さん

2015/7/2300:06:15

大東亜戦争の前後は天皇というのが形式化していたと思いますか?軍隊は天皇よりも権力がないにもかかわらず、軍隊のほうが幅を利かせていたように思えますから。

大東亜戦争中に天皇が行ったことと言えば、戦争を終わらせたことしか思いつかないです。昭和天皇の中に「軍隊には逆らうべきではない」というのがあったと思いますが。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ava********さん

2015/7/2420:25:11

そんなことはありません。(戦争の前後ではなく、明治以来です)
天皇が(軍隊の反対を押し切り)戦争を終わらせたことは”歴史の事実”です。

東条政権も、「天皇が戦争を回避させたとき、(陸軍の)不平分子を抑えられる可能性は東条にしかできなかったから」発足したのです。
(諸般の事情が、開戦を強硬させましたが)

質問した人からのコメント

2015/7/29 10:09:34

回答ありがとうございます!

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ous********さん

2015/7/2311:08:47

いちいち書きませんが、太平洋戦争開始後、昭和天皇は積極的に各種軍事作戦(かなり小さい戦闘作戦にも)介入したり指示を出しています。

戦争が始まった以上、勝つことが至上命令であり、君主として黙っていられない状況になったためでしょう。
周知のように、戦前の陸海軍は、それぞれが持つ情報すら相手に知らせず、ときおり共同作戦のため協議する以外は、作戦構想を別個に立て、別個に行動していた。すなわち陸海軍の両方の高度な戦略戦術情報が集まり、それらを総合的に判断し、調整しうるのは天皇しかいなかったわけである。大本営は両者が互いに意見をいいあって、最後に適当に両論併記するだけの機関で、なんら実質的かつ効果的な陸海軍統合作戦を決める機関でなかった。

天皇の近くには陸海軍武官が常時控えて情報を天皇に入れ、参謀総長でも軍令部総長でもなんでも呼びつけ、彼らに指示できるのは天皇しかいない。幼少時から軍事の教育を受け、作戦の実践も経験し、天皇の軍事指揮は完全に素人域を超えていた。

具体的なことは、以下の書に詳しい。

山田朗著、『昭和天皇の軍事思想と戦略』(校倉書房)
ハーバート・ビックス著、吉田裕訳『昭和天皇』(講談社)

ken********さん

2015/7/2303:14:55

天皇になにが出来るのですか?天皇は飾り物ですよ、日本国民の税金で食べさせてるのです!

gui********さん

2015/7/2302:38:45

昭和天皇は、天皇を国家の一機関と考える「天皇機関説」を肯定しています。
このことから、昭和天皇は自分個人の思惑で権力を振るう意思がなかったと推察できます。
それに、戦前から昭和天皇は軍に対して一定の距離を置いている節があります。
原因は、陸軍将校が起こした二・二六事件です。
この事件で臣下を殺害されたことに天皇は激怒し、以来皇太子の教育係に陸軍軍人を置くことを拒否しています。

軍も口では陛下の忠臣気取りですが、実際は大敗を喫したミッドウェーでの損失を過少報告したり、終戦を告げる玉音放送を妨害しようとする一派がいたりで、その忠誠心には疑問符が付きます。

また、天皇には「統帥権」という軍の最高指揮権があります。
軍はこれを口実として、軍にあれこれ指図できるのは天皇だけとし、内閣や議会、裁判所といった機関の干渉を拒否したのです。


以上から、旧軍の独走の原因は、昭和天皇が専制君主になるのを避け、指図しないのを良いことに軍人が好き放題やったことにあります。

tim********さん

編集あり2015/7/2302:22:45

「わたしの国民はわたしが非常に好きである。わたしを好いていてくれているからこそ、もしわたしが戦争に反対したり平和の努力をやったりしたならば、国民はわたしを精神病院か何かにいれて戦争が終わるまでそこに押し込めておいたにちがいない。また、国民がわたしを愛していなかったならば彼らは簡単にわたしの首をちょんぎったでしょう。」(マッカーサーとの会見での言)


「開戦の際、東条内閣の決定をわたしが許可したのは立憲政治下に於ける立憲君主としてやむを得ぬ事である。もし、己が好む所は裁可し、好まざる所を裁可しないとすれば、これは専制君主となんら異なる所はない……」(昭和天皇独自録より)


昭和天皇は戦時における自分の力の無さを痛感しながらも、例え「力」があったとしてもそれを自分が使ってしまえば日本は天皇による専制国家(独裁国家)になってしまう……。

つまり、昭和天皇自身が専制君主にならないように自覚していたわけです。

終戦時の「聖断」は鈴木内閣が分裂し、国政決定機関としての機能を失っていたために「もう天皇陛下しかいない」ということで玉音放送に至った。内閣が天皇制の存続の可能性などでもめてる時に天皇陛下は天皇制など意に介さずに国民第一であっさり敗戦の・終戦の決断をした。内閣が情けなさすぎる……。民主主義において、それを国民が真に信じて存続させるには例外としての独裁を認めてならないこと…これは奥が深くて、ツラい。

goo********さん

2015/7/2300:11:09

天皇機関説…美濃部達吉 を調べたらいい。

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