ここから本文です

日蓮正宗について。日蓮大聖人門下のみなさま 私は日蓮正宗の信徒です。ほとほと日...

mat********さん

2015/8/1420:53:06

日蓮正宗について。日蓮大聖人門下のみなさま 私は日蓮正宗の信徒です。ほとほと日蓮正宗の、成果の数・数・数に追われる活動に嫌気がさし、数年間活動休止中です。

いろいろがっかりさせられたことは書きつくせませんが、たとえば先日、お盆の法要でお寺に行ったら、お寺や墓地に現れる未入信の方々に声掛けをするという、およそTPOをわきまえない活動をしていることにがっかりしました。お盆は祖先追慕の日ですよ。

「猊下の御指南ですから絶対です」。たしかにそうかもしれません。しかし、およそ国法にもとづく宗教法人であるならば、宗会が宗会議員による質問主意書を撤回させたりするなど、意見封じさせてはいけないのではないのでしょうか。それが、日蓮正宗であるならば、信心以前の問題です。世法にかなっていないわけでございます。そのような宗派にかかわりたくない。しかし、数代前に先祖が難儀して改宗したことを知っているため、つかずはなれずでいたいと思っております。

私はこのままつかずはなれずでいればいいのか。それとも同じ門下の宗派に転派すべきか。たいへん葛藤しております。

なお、数年前、一度も登山(総本山参詣)したことがない身内が院号法名をいただき、成仏の相で霊山へ旅立ちました。総本山の御戒壇様は大聖人の御魂魄、総本山の御法主様は大聖人の御使いとは存じ奉りますが、ややこしい人間関係が付きまとう支部登山とか、行きたくありません。そういうのに行ってなくても成仏した身内を見て、私は、何度も登山することがいいとは思わないのです。
寺院もたびたび異動する住職や講中とでややこしい人間関係がつきまといます。

いくら手続の師匠でも一生のうちに何人も師匠が変わるって…。

私は素朴な信仰心を持ちたいのです。成果を追いかけるのは世法(仕事)の世界かと思います。
なお、上から目線の、失礼極まりないバリバリ法華講員からの回答は謹んでお断りいたします。

閲覧数:
4,556
回答数:
13
お礼:
50枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

fsf********さん

2015/8/1521:47:38

他の人のことを批判する余裕があるんですね?

TPOについては、人によりそれぞれ意見はあるでしょう。
「納得する理由」「行動する理由」なんて、みんなが同じになるわけが無いと思います。だから「表面上だけ話を聞いている」ということも無いわけじゃありません。
それはそれで、「自分なりに納得できる方法がある」なら良いと思います。

しかし、やはり「私達は凡夫」である以上
「常になんらかの向上心」でもって考えていくことが大切だと思います。

基準として考えていることは
よく、御供養の件での話し、以前の戸田城聖創価学会会長の言っていることが考え方として良いと思っています。
それは
「供養した場合、供養することによって私達は仏様から功徳を受けられる。だから供養を続けなければならない。もし僧侶が、そのお金の使い方がおかしかったら、僧侶自身が御本尊様から罰を受けるだけ、私達には関係ないことである。私達自身は修行として供養を続けていく」
という内容です。

御書にも、釈尊の弟子の舎利弗が過去に成仏できなかった修行として
「乞眼のバラモン」という話を引用されています。
布施行を修行した舎利弗が、あるバラモンに、自分の眼を布施したら、相手が、こんなものは臭いから要らない、と、両方の眼を捨ててしまった、それで嫌気がさして布施行をやめてしまい、永く成仏することはできなかった。
という話です。

成果の数を考えるとき、私は「ノルマ」ではなく、「自分は80パーセントなのか、90パーセント出してるのか? もしかしたら99パーセントで満足して最後の1パーセント出し惜しみしてるんじゃないか?」と考えます。
もし「出し惜しみ」なら、そこから堕落が始まります。
しかし、そういうとき「目標の数字」があることによって、「もしかしたら、たった、あとひとつの言葉や勇気や行動が、相手に届く、相手を動かすかもしれない」と思い、「機会を逃す」ことが、とてももったいなく感じます。

こういうことを話すとき、つい、世の中の、自殺してしまいそうな人や、引きこもりの人達のことを考えてしまいます。「手遅れになりませんように」という感じです。

支部の目標が嫌なら、自分自身が常に「あと一歩先」の自分用の目標を立てて、自分の目標を完遂することが大切です。
自分は、それでも怠けてしまうこともあるので、支部の目標を思い出すことで、自分の目標に再挑戦できます。

登山も、仕事の都合で日祝日には休めず、支部登山に参加できない状況の方もいますが、そういうかたでも、添書登山や、平日の法要などの代表登山に参加しています。

そういう時に参加し、「登山しようと努力する」ことが大切です。実際、登山できなくても、本気で決意し、半歩でも登山に近づく努力を継続している人には大きな功徳があると信じていますし、逆に小さな理由で、一度登山を諦めた後、そのままどんどん怠けて、幸も薄くなっていく方も見たことがあります。

他人のことをとやかく言う前に「自分にできる努力」をきちんと考えて、それを行っていけば、ちゃんと「支部目標に貢献」し、「他人への登山への激励」も本気で通じます。「ややこしくなるかどうか」は、「自分が何をしているか」によると思います。

「手継の師匠」ったって、結局は「手継」であり、総本山大石寺に連なるよう、手を離さないための「手継」ですから、「手を話さない努力」をしていくことが大切だと思います。

  • 質問者

    mat********さん

    2015/8/1608:20:01

    実に「模範的な」ご回答ありがとうございます。

    私、講頭や総代を経験したことがあります。
    寺族が「指導」して我が家に講員さんたちから苦情の電話が来る。
    寺院会計で物申したら、改選されない。

    非課税特権を受けるのであるなら、きちんと国に認められた宗制宗規にのっとって活動していただきたいと思うのです。宗教活動についての責任が、主権者に対してあります。換言すれば世法への責任です。
    御書に「法華をしるものは世法をうべきか」。

    非活動者になってからのほうが、具体的には書けませんが、専門職になり、社会的立場も上になりました。仕事で向上心を持つ。日蓮正宗信徒たる私が、社会で活躍できるようになる。あなたのおっしゃる向上心の発露ではないでしょうか。向上心をもて、というのはおよそ世法でもいわれていることです。

    また、功徳だ、バチだ、ということには、素朴な信仰をする者から見て、軽々しく取り上げる言葉ではないと思います。

  • その他の返信(1件)を表示

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

「日蓮大聖人」の検索結果

検索結果をもっと見る

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/12件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

プロフィール画像

カテゴリマスター

harryさん

2015/8/1921:56:42

だからさ、登山は金集めそれしか意味はありません。
それを何度も強要され、挙句はお塔婆まで・・早く脱講して学会に信心すべきです。温かいメンバーがお待ちしています。

だからさ、登山は金集めそれしか意味はありません。...

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

ya2********さん

2015/8/1921:35:47

私は法華講の知人には、折伏をしなさいと口うるさく呼びかけています。
その人の成仏を願うからです。

目標とその達成へのご指導により、今まで折伏をしていなかった人も多く折伏するようになりました。折伏行に励むことにより、成仏へと知らず知らず目指しています。
大変喜ばしいことと考えています。

勤行唱題だけで利益ばかりを求めていて、愚痴の多い人は、本当の成仏はもとより、一般的な幸福すら心許ないと思っていました。

お盆にしか会うことにできない人に、本当の成仏の道を説かず、先祖供養の話ばかりでは本当に幸せにできないとも思っていました。

そういった意味で最近は、大変心地よく感じています。

その反面、数値目標が苦痛になる人もいるようです。自分や周囲の人の成仏を目指すとき、自分なりの目標がなければ、押しつけられたと感じるのだと考えます。

ただ、大御本尊を離れて、成仏はありません。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

ich********さん

2015/8/1917:03:42

うーん、御宗門の方針を自分の方針に合わせて下さいは、やはり通用しないでしょうね。

またお盆の折伏についてですが、世間の常識が仏法の常識ではないでしょう。もちろん法を犯さない事はいうまでもありませんが、お盆の折伏が非常識であるとは思いません。せっかく日蓮正宗に縁あってお寺にお見えになられるわけですから、その場で折伏されても世法から言っても布教の自由ですから、何ら非常識ではありません。

世間一般に於いてもそれぞれの立場においてそれぞれの責務と言うものがあります。
与えられた御命題の目標に対し、御住職、講中にはそれぞれに分分に応じた責務があります。何の責務も果たさない(果たせない)現状のあなたに批判する資格などないでしょう。

ましてあなたは数年間休止し今は別に活動もやっていないのであれば、あなたが現在の講中の折伏を批判する資格はないのではないですか?

もし数だけの折伏だと仰るのなら、あなた自身が自分自身の縁で折伏をして育成を目指せば良いのではないでしょうか?

ひっそりしたいのならひっそりすればよいし、辞めたければ辞めればよいし、個人の自由です。世法から言うならば、それこそ信教の自由です。
しっかりお題目を唱えて考えて見て下さい。
但しどれを選んでも自らが選んだ道です。
恨みっこなしですよ。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

ヌッキーさん

2015/8/1913:36:35

僕は学会員ですが、「自分たちこそが正当」と思っているなら、数頼みの折伏なんて止めるべきだと思っています。

あなたの言うように、お盆に来た人に対し、強烈な折伏なんてするべきではないでしょう。

大勢いる学会に対して、劣等感があるのでしょうが、学会は変われないでいれば、いつか崩壊するから、バカにされてもムシしておけばいいと思うんですよね。

ぶっちゃけ、今の時代は数より個の力が重視されると思いますよ。

幽霊会員が多くても、選挙で勝てないのと同じで。



余計なことですが、ワカイさんC〇戦がないことと、あのレリーフが池田氏に思えない人なので、あまり頼らないほうがいいと思いますよ。



ついでに言えば、学会が金にならない坊主のために、正宗に戻ることはないでしょう。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

wak********さん

2015/8/1913:06:13

matsunokazeさん、そしてwakaiさん、

もうそろそろ、「教団内教学」から卒業なさって、少なくとも、
天台、伝教、そして、日蓮の「教学」を真面目に学んで終えませんか?

二十歳そこらの若い衆ではないのでしょ?
やるんだったら、こつこつと「後世、人に感謝される玄人」ぐらいは
目指しなさいよ。

仏教では、末法には特別な修行方法があるんでしょ?
日蓮のお言葉を借りれば、
(四信五品抄・学会版338p)からです。

「仏の在世と滅後とでは相違があるが、法華を修行しようとするものは、
必ず戒・定・恵の三学を具しておかなくてはならない。
この中の一つを欠いても、目的は達成されない」というのである。

私〔日蓮)もまた最近までそのように考えていたのであるが、仏一代の聖教についてはしばらくおくとして、
(法華経に限ってこのことを考えてみるのに、
大変な誤りであることがわかった。)

(中略)

「この中に末法において法華経を修行するあり方が明らかに説かれている。
なおこれらの品だけではまだ充分に理解できないという場合は、
観普賢経や涅槃経等をよく読んで、究明すればさらにはっきりと
することであろう。
その中の分別功徳品に説かれている四信と五品とは、
法華経を修行するうえでの最も大切な要(かなめ)であり、
仏の在世と滅後を通じての行者の鏡とすべきものである。

(引用を終わります)

で、ご両人、
末法、本未有善の人々はどんな修行が必要で、又、どんな修行は
行ってはいけない。
つまり、元も子もなくなる・・・・のでしたっけ?

「四信五品抄」からでした。

by、はがゆいwakarannchii1からでした。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる