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日本軍の指揮官はなぜ短機関銃(トンプソンやMP40など)を持たずに軍刀を持たせた...

yas********さん

2008/2/2318:59:00

日本軍の指揮官はなぜ短機関銃(トンプソンやMP40など)を持たずに軍刀を持たせたんですか?もし象徴として持たせて英雄気取りさせるよりも、現実的な武器を携帯した方がいいと思いますが。また、

パンツァーシュレック・パンツァーファウスト・バズーカなどの歩兵用の携行武器は日本軍も所持していたのですか?

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lzc********さん

2008/2/2322:39:21

硬直した軍事思想から脱却出来なかった事や全指揮官に機関短銃を配備したくとも出来なかった当時の日本兵器工業能力に起因するのが最も大きな理由となりそうですね。

後者についてはタマを激しく費消する兵器との認識が如何してもあり軍が必要とする弾丸製造がやっとだった現状に鑑みて機関短銃を装備する事自体が論外だとの認識はあった筈でしょう→日中戦が本格的に始まった当初は備蓄小銃弾薬が僅か二週間分になってしまった時期もあった程で軍工廠や民間工場を動員し必死になって増産につぐ増産を行ってやっと軍の需要を賄ったのが当時の日本兵器工業界の実情でして仮に機関短銃を多く装備しようとなったとしましても前線部隊のみならず後方で軍事生産に携わっていた立場の軍人としても今の弾薬製造が精一杯なのに更に費消度の高い機関短銃用の拳銃弾製造余力なぞある訳ないから勘弁して頂きたいとの強硬な反対意見が噴出したとも想像されますね。

そして思うにWWⅠで欧州戦線に大部隊を送り込んで日清・日露戦争とはまるで異なる過酷な近代戦場での出血を強要される戦を体験していれば頭の固い軍上層部も考えを改めた可能性がありますが1個大隊で対戦出来たとされる中国軍相手の戦ばかり遣っていたのでは軍刀を所持していれば充分で指揮官にも有力な個人携帯火器を持たせようとの思考自体出来なかった面も多分にあったと想像されます。

尚、携帯式対戦車兵器については戦争後半にドイツから得た情報を元に製造は為されていますし一応は制式化もされてはいます(ロタ砲)。
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage413.html

但し実戦で使用された事は一度もないままに終り主に本土決戦に備えた部隊への配備が為されていたようです。

戦争末期のロクな資材もない状態での緊急生産でもあり実戦での使用経験皆無で果たして有効な対戦車兵器となり得たのか如何か戦史家の中には首を傾げる方もおられる様子ですよ

質問した人からのコメント

2008/2/27 19:01:40

なんか変な軍隊なんですね。

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nig********さん

編集あり2008/2/2513:57:47

日本軍の砲を牽引していたのは、軍馬である。

この馬車を指揮するのに日本刀を使っていた。この日本刀は、オーケストラの識者の持つ指揮棒と同じである。

日本刀を前に振れば前進する。


敵を切るための刀ではなかったのだ。


<旧日本陸軍の歩兵用対戦車兵器>
・97式自動砲(20mm)
旧陸軍唯一の対戦車ライフル。威力不足だったが南方戦線でも使用。
・41年式山砲(75mm)
38式野砲と砲弾を共通化した分解輸送式軽量砲。通称『連隊砲』。昭和19年頃から、タ弾(成形炸薬弾)を用いる臨時対戦車砲としても使われた。
・94式37mm砲(37mm)
旧陸軍初の本格的対戦車歩兵砲。通称『速射砲』。
・1式機動47mm砲(47mm)
ノモンハン事件の戦訓から開発された、94式37mm砲の後継砲。独立速射砲大隊として編成され、随時歩兵に分属。南方戦線では米軍のM4中戦車に対する最良の対戦車砲となったとか。
・99式破甲爆雷
ピクリン酸630gを充填した円形爆雷。4個の永久磁石で敵戦車の装甲にくっつけてピンを抜くと10秒後に爆発。ただし成形炸薬ではないため、3個重ねても厚さ40mmまでしかぶち抜けなかったとか。ノモンハン事件ではBT戦車相手に6個重ねる必要があったとのこと。
・2式擲弾器
ドイツからシースベッヒャー2型(小銃擲弾=ライフル・グレネード)とその対戦車榴弾の情報を得てコピーしたもの。南方戦線向けとされたが実戦には間に合わなかったとのこと。

...

www.vesta.dti.ne.jp/~pickles/unchiku/panzerfaust3.html

scu********さん

2008/2/2322:31:59

サブマシンガンについて言えば、日本軍が配備しないのは「当然」と言えるでしょうね。
開戦前の段階であれば、開発当事国のアメリカもドイツもSMG自体はそれほど評価していません。唯一高い評価を得たのがスペイン内戦での「市街戦」ですが、当時の日本軍はそれほど市街戦を積極的に行おうとはしていなかったでしょう。
武器と言う物は「ただ配備すればいい」と言う物ではなく、戦略や作戦、戦術に会わせて配備しなければ全く意味がありません。当時の日本軍は中国の大陸や南方に進出して「資源の確保」を再重要視していましたから、市街戦向きのSMGは「全く意味がない」と言えるでしょう。

パンツァーシュレックは、バズーカをドイツ軍がコピーしたもの。
パンツァーファウスト、バズーカともに「独ソの強固な装甲を持つ戦車を相手にする為、歩兵に必要だった武装」です。日米ではそもそも「ろくな戦車戦がなかった」のですから、日本軍が歩兵携行型対戦車兵器の必要性を感じる事すらなかった事でしょう。当然必要のない武装を開発する事もありません。

現実的に言って、「ろくに弾が作れない」のですから、弾をばらまくSMGを配備するよりも「弾がなくても殺傷力を持つ軍刀」の方がよほど「日本軍のドクトリンには合致していた」と言えるでしょうね。弾のないSMGなど、飾り以下ですから。

戦争は「ただ一種類の兵器」などで決する事はありません。決戦兵器と言うのは「ファンタジー」でしかないのです。もっと総合的に広い視野で見渡す必要があります。

jjm********さん

2008/2/2321:46:22

帝国陸軍の思想として威力も少ない短機関銃のようなものは大量の弾を無駄に使うというものだということから忌避されたようです。
それにいい短機関銃を開発できないといった現実もありました。
携行型の対戦車兵器は敗戦直前まで開発はありませんでした。
潜水艦でわざわざドイツが試作品までくれたのですがこれも無駄だと判断されたそうです。
何でも一発使い捨てが駄目だったそうです。
どうも兵士が接近して切りつけたり爆弾を抱いて戦車に飛びつく方が効率的と陸軍の首脳は判断する傾向がありました。

ann********さん

2008/2/2320:14:41

指揮官の仕事は部隊の指揮であり、戦闘要員としての役割は二義的なものといえます。
日本軍の場合、銃剣突撃を重視していましたから、短機関銃よりも軍刀の方が良いと考えられたとしても、
別に不思議とする必要はありますまい・・・と言いたいところですが、実際は短機関銃の開発が遅れていたようです。
これは、日本軍の制式短機関銃が百式短機関銃のみという点でも理解されようかと思います。
この百式ですが、やはり初の短機関銃ということで、銃剣が取付可能だったり、狙撃が可能だったり、
何と言うか無駄な機能が多く、短機関銃というものの運用法がきちんと研究されていなかったのも分ります。

また、歩兵用の対戦車装備についての御質問ですが、
これは研究段階で敗戦を迎えましたので、装備されていません。

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