ここから本文です

純文学=私小説でしょうか。純文学とはいったい何をいうのでしょうか。

dsa********さん

2015/10/2111:28:26

純文学=私小説でしょうか。純文学とはいったい何をいうのでしょうか。

閲覧数:
307
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

yay********さん

2015/10/2113:04:29

純文学は、娯楽性や商業性よりも、芸術性とか美的感覚を重視して書かれた本ですね。

逆に娯楽性や商業性を追求して書かれているのが大衆文学。

まあ、正直に言うと、定義はあいまいです。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

質問した人からのコメント

2015/10/21 18:04:17

回答ありがとうございます!

「純文学とは」の検索結果

検索結果をもっと見る

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

jrr********さん

2015/10/2113:51:06

難しい質問です。

コトバンク というサイトに、ズバリ純文学とは、を七つの辞書や辞典から引用説明しています。

https://kotobank.jp/word/純文学-161913


ここに引用されている「日本大百科全書」(ニッポニカ)の解説を引用します。

(引用はじめ)
純文学
じゅんぶんがく

文芸用語。読者に迎合する興味本位の通俗文学・大衆文学に対し、純粋な芸術的感興を唯一の必然として書かれた小説をさす。

坪内逍遙(しょうよう)や北村透谷(とうこく)ら明治の作家にも、文学者の高貴な精神性とこの用語を結び付けた使用例があるが、自然主義文学から派生した私(わたくし)小説が大正期に隆盛、久米(くめ)正雄の『「私」小説と「心境」小説』(1925)では、純文学と私小説を安易に同一視する見方も出てきた。

昭和初期の大衆文学の興隆とプロレタリア文学の問いかけのなかで、私小説中心の文壇小説が問題視され、横光利一『純粋小説論』(1935)は「純文学にして通俗文学」という新たな小説の可能性を模索した。

近代日本特有の名称だが、流動的な文学動向のなかで文学の意味が問い直されるおりはいつも、この名称をめぐる議論が復活するのも興味深い。

第二次世界大戦後も、中間小説流行への危機感から純文学概念の変質を論じた平野謙の問題提起をきっかけに、伊藤整・大岡昇平・佐伯彰一(さえきしょういち)(1922― )らを巻き込んで、「純文学論争」(1961~62)が戦わされた。

一方、1961年(昭和36)から新潮社は「純文学書下ろし特別作品」と銘打ったシリーズを開始、現在に至るまで『砂の女』『沈黙』『恍惚(こうこつ)の人』など多彩な佳作を生み出しているものの、自己固有の問題を固有の方法で思う存分展開する実験的な姿勢は感じられるが、「純文学」の概念を説明する客観的基準はかならずしもみられない。「純文学」に対立することばとして「大衆文学」「中間小説」「エンターテインメント文学」などが想定されるが、正面から「純文学」とは何かという議論そのものがなされなくなっているという事情が存在しよう。

文学の質への問いは、どれが本物の文学か、贋物(にせもの)の文学かを論じた、1974年の江藤淳・平岡篤頼(とくよし)(1929―2005)らによる「フォニー論争」にもつながるが、それは新しい時代のなかで文学の果たすイメージが、人によって違っていることを示していた。「芥川賞(あくたがわしょう)」を受けたからそれが「純文学」であるというわけではないという事情も、そうした背景と関係しよう。
(引用以上)

というわけで、大まかな意味は決まっているけれど、その時代時代で何が「純文学」なのかは論争が絶えない。といったところでしょうか。

私小説との関わりで言えば、もともと私小説が純文学だった時代もあるが、そうとは限らない。という感じだと思います。

特に今は私小説なんて誰も読みませんから、新たに発表されることはないと思います(あったらごめんなさい)。でも、純文学はあるんですよね。きっと。

だから、私小説は純文学の一分野で消滅しつつある、というのが僕の回答です。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

別のキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる