■宗教団体(宗教法人や関連会社など)の職員の労働について

■宗教団体(宗教法人や関連会社など)の職員の労働について 《質問》 宗教団体で働く者が時間外勤務手当ての支払いなどについて、労働基準法などの労働関連法に基づいて労働基準監督署や裁判に訴えたら、どのような印象を持ちますか、またはどのように感じたり考えたりしますか?次のA~Dから選んでください。 A 「宗教団体で働くのを選んだくせに、労基法などを根拠に訴え出るなんて馬鹿なやつだ」など、訴え出た者を嗤う。 B 「宗教団体のくせに自分のところで働く者のための最低限のルールさえ守れない、きっと人を救う力のない宗教なんだろうな」と、訴えられた宗教団体を疑う。 C 「一口に宗教団体の職員と言っても、事務員や作業員と宣教師などとでは話が違う。訴えた件では、どういう状況だったのだろうか?」と疑問に思う。 D 上記以外。たとえば「採用する側もされる側も、採用の際にきちんと確認しないコミュニケーション不足が問題だ。宗教団体であるかないかは関係ないだろう」など。 この質問は、幸福の科学がグループ(宗教法人幸福の科学、学校法人幸福の科学学園、株式会社幸福の科学出版など)の職員を募集する記事に勤務時間や給与などの記載が無いことについての質問http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q14153301824と、それに関連する質問http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q13153501588に続くものです。 これまでの質問に幸福の科学信者であるhoshieiwa氏は「宗教者に労働基準法は関係がありません」「聖職者が労働基準局に駆け込むと笑い者になることだけは間違いありません」などと回答されています。 なお、hoshieiwa氏は「宗教法人又は宗教団体の事業又は事務所に対する労働基準法の適用について」(昭和27年 厚生労働省労働基局長通達)の存在はご存知です。 同通達についてはhttp://office-adr.com/personal/news/qa-13-15/などを参考にしてください。 私は、最高裁が対価のある料金と認めた納骨壇使用料を、いまだに「対価の無い布施である」と主張する幸福の科学の姿勢と同様のものを感じますが、他の方々の意見も伺いたいと思います。 特に幸福の科学の信者でもアンチでもない方、他の宗教団体に関わっている方の回答を歓迎します。

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ベストアンサー

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後ろの添え書きを書いてしまうと皆本心はなかなか書けないと思います。 しかしながら、訴訟に至る前に和解なりして示談に出来ないとなると・・・これはやはり B と私は思います。 団体と元職員の方の相互の主張に折り合いがつかないから訴訟になる。 と言うことは、 教団の主張が世間から乖離していて、職員の方が納得行かなかった。 か、もしくは 教団の主張は真っ当で、元職員の主張が余りに理不尽だった。 の2ケースが考えられますが、万が一後者だったとするならば そんな人物を見抜けず雇っていた上に、教育を施せない教団。 と言うますます説得力のない教団である事になりますからね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

明確な回答を一番早くいただいたのでBAに。 それにしても、現状が「どうであるか」と本来は「どうあるべきか」を区別できない幸福の科学信者には閉口します。

お礼日時:2015/12/23 1:58

その他の回答(4件)

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Bです。 現代は釈迦在世当時と違って、夜でも明かりがあり、働こうと思えば一晩中でも働ける時代です。また、何をするにもお金が必要です。 こういう時代にサンガーを運営するには、釈迦在世当時とは違ったルールが必要になって来ます。眠らずに不眠不休で仕事すれば過労死するかもしれません。また、収入がなければ生活出来ません。 現代という時代では、サンガーとして労働基準法を遵守するというルールを設定することは、やむを得ないと思います。 Aと答える人の気持ちも分かりますが、 「今の社会でサンガーを運営するには遵守せざるを得ない」 ということです。

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私も、感覚としては、Aですかね? ちょっと先まで読んでいないのですが、大川隆法総裁先生の悲願とされている衆生を救済して欲しい、という湧き上がる念いの元、そういう聖なるお仕事を自ら望んでお布施を頂きながら、どうであろうとされている訳ですから、現在の労働法で、どうのこうのと言っていたりするなら、また2流なのではないでしょうか? 個人それぞれが、伸び伸びと自己を発揮出来る社会が、社会を豊かにするのだ・・、と幸福実現党では、1つどこかに書いてありましたが、効率と、効果を鑑みながら、1人ひとりに与えられた1日をそれぞれに経営というか、より良く組み立てて行く必要は有るし、労働基準法は、労働するに基本的な枠組みであるとは思っています。 ですから、そういう上で、「向上」と「工夫」と、「限りない衆生救済」、この精神は決して外してはならないと思います。

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幸福の科学信者です。 Aですね。 前のご質問にも書きましたが、たとえば登山家がエベレストみたいな山に登頂している最中に凍傷にでもなったとします。 その登山家が「そもそもそんな危険な山に登ることを容認しているのがおかしい。国が立入禁止にするべきだ」などと管理責任を求めたらおかしいでしょう。やはりそれは自己責任の問題なのです。 宗教で道を求めるというのは登山家がエベレストの氷壁に挑むようなものであって、本当に命がけなのです。 イエズス会などを見ればわかりますね。戦国時代に言葉すら通じない日本にフランシスコ・ザビエルなんか来ましたね。当然、命の保証なんてありませんよ。いったい何人死んだかわかりません。 あるいは日本でも遣隋使、遣唐使が中国に渡りましたが、主な目的は仏教の経典を持ち帰ることでした。当時、6、7隻の船で渡っていたようですが、毎回半分は海に沈んだのです。単純計算すると往復で半分ずつ沈むわけですから、溺死する確率は実に4分の3であったということです。 そういう世界に労働法を持ち込むのは無理があります。 近代の基本的人権は大きく分けて、①自由権、②参政権、③社会権があります。 ①自由権とは「国家からの自由」、②参政権は「国家への自由」、③社会権は「国家による自由」と言われます。 労働法全般は、③社会権に関わる部分です。つまり、社会的・経済的弱者が「人間生活に値する生活」ができるように、国家の積極的介入を求める権利です。 ただ③社会権(国家の積極的介入)と、②自由権(個人の自由な意思決定の尊重)は基本的に矛盾するのです。 労働法という分野に限定して考えてみましょう。 基本的に私人間の契約には「私的自治の原則」というものがあって、どんな契約を結ぶのも本人の自由です。これは今も生きています。 しかし、雇用契約においては、経営者と労働者は対等ではありませんので、自由の名の下に非常に不利な契約を結ばされる恐れがあります。そこで労働基準法というものがあって労働者の社会権を保証しているのです。 しかし本来自由権と社会権は矛盾しますので、両者のバランスが大事なのです。 自由が行き過ぎるとブラック企業が増幅してきます。身体を壊したり精神を病んだりする人がでてきて社会不安は当然起きるでしょう。 しかし労働法を強化しすぎると企業経営が苦しくなって景気が後退して、失業者が増えます。 また労働基準法をマトモにすべて守らせようと国が動くと、労働基準監督局の職員にものすごい負荷がかかって恐らく過労死する人もでてくるでしょう。 だから、基本的には労働基準監督局も申し立てのあった会社にしか介入しないのです。 マスコミは記事になるのでブラック企業を批判して「労働法を守れ」的なキャンペーンをしていますが、もしすべての会社に労働法をまともに守らせたとしたら、一番困るのはマスコミですよ。 マスコミ関連の仕事、あるいは芸能関係ほどブラックな世界はありませんので。 イタリアの諺に「地獄への道は善意で舗装されている」というのがありますが、労働者の権利を保障しようとして法律を強化すると、会社はどんどん倒産して不況になり、景気は後退します。かえって不幸な人が増えます。また商品やサービスの質は墜ちていきますし、労働法を守らせるためのコストは増大して税金がどんどん高くなります。 マスコミのほうは部数を伸ばすために、大衆受けする記事を書いて「社会権」を煽る傾向があるので、幸福の科学は「自由」を強調しているのです。オピニオン雑誌は「ザ・リバティ」ですね。 やはり基本は自由を尊重するべきです。国家が個人の箸の上げ下ろしをうるさく言い出したら、社会は衰退します。ソビエトも東欧の共産主義国も全部それで行き詰まって潰れたのです。まだわからないのかということですね。 人間にとって最大の自由は、神仏に向かって進むことです。命を賭けて自分を高めていく、あるいは神仏の教えを広げていく。この自由は何ものにも増して尊いのです。 そこまで道を求める気持ちがない俗人が、社会権を主張して労働三権を主張するのは別に構いません。 しかし聖なる世界で道を求めている人たちに対して、外野が労働法うんぬんを議論するのはおせっかいを通り越して、冒瀆であると思います。

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今のところhoshieiwaさん含めて3人だけの回答者ですがAとするのはhoshieiwaさんだけです。 「聖職者が労働基準局に駆け込む」のは好ましくないという価値観の是非はともかく、「笑い者になることだけは間違いありません」という現状認識は間違いだったと思いませんか? 「しかし聖なる世界で道を求めている人たちに対して、外野が労働法うんぬんを議論するのはおせっかいを通り越して、冒瀆であると思います。」ですか。対価のある料金を布施と称して社会の約束ごとを守らないで勝手をしようとする幸福の科学教団と同じですね。宗教や信仰を口実にルールを守らないのが正しいと強弁するのが幸福の科学の将来にとって良いことだと思うなら、これからもそう主張してください。