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南京大虐殺の真相について

chi********さん

2015/12/1808:12:06

南京大虐殺の真相について

元日本兵の証言などにより大虐殺があったとする人がいますが、その証言が真実であるという裏は取れているのでしょうか?

当時の南京の人口や、大虐殺の報道がされなかったこと、その他さまざまな記録から、ごく一部の兵士による殺人等はあったにしても、中国側の主張するような大虐殺はなかったのではないかと思ってしまいます。大虐殺があったとする人は、元日本兵の証言や日記のほかに、なにか根拠となるものがあるのでしょうか?
どちらか一方の意見だけを聞くと、そちらが正しいのかなと思ってしまうので、両方の意見を聞きたいです。
回答よろしくお願いします。

補足「裏をとる」ついて
戦後、本名で虐殺を行ったと自白した元日本兵の証言に多くの矛盾があり、作り話だったということが確認されているという記事を読んだので、そういった日付や場所等の矛盾のない証言はあるのかなと思い質問させていただきました。
誤解を招くような書き方をしてしまいましたが、私は大虐殺はなかったと主張したい訳ではなく、どちらの主張も納得できる部分があったので、もっと意見を聞きたいと思っての投稿です

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poi********さん

2015/12/2323:19:02

裏をとる。ブン屋みたいでカッコいいですが。

>戦後、本名で虐殺を行ったと自白した元日本兵の証言に多くの矛盾があり、作り話だったということが確認されている

というのはこういう考えからですか↓

>元日本兵の証言で大虐殺があったとする人の多くが撫順戦犯管理所出身者ですし、

そういう嘘の虐殺証言は実際あります。ならばそれは排除すればいいだけですよね。
嘘を排除したあと証言で吟味すればいいと単純に思います。

洗脳もされていないのに南京での告白をしている人はたくさん居ますよ。
彼らは何の為に己に負の発言をしているでしょう。

たとえば主犯級と目されている派遣軍参謀の長勇は「あれは俺が命じたんだ」と述懐していますが、この人物は太平洋戦争末期に死亡しています。
いったいいつ戦犯管理所に居たのでしょう?

つまり
>多くが撫順戦犯管理所出身者

というのが嘘です。
ネットで訊かず南京関連の研究書を読みましょう。

>そういった日付や場所等の矛盾のない証言はあるのかなと思い質問させていただきました。

そうは単純にいきません。矛盾は色々出てきます。それをつめていくのが研究です。
今言う矛盾の多くが戦友会の「部隊戦史」など後世に日本国内で編纂された生き残りの人達が話し合って懐古調に作られた物が原因になっています。

例えば第45連隊の第二大隊は上河鎮から下関に北上し戦意喪失した中国兵数千人を捕らえました。そして成友大隊長はこれらを『助命してやるから郷里に帰れ』と解放しました。
この部分のみが戦史に残り、ネットでは「日本軍は捕虜を解放していた。殺していない。」という『捕虜殺害の反証』となります。

しかしつぶさに見ていくと成友大隊長が解放した捕虜達は何も知らない隣の第三大隊の兵に捕まり多くが殺処分されてしまいました。

最大犠牲者を記録した山田支隊による「幕府山事件」も無数の証言が齟齬をきたしていますが、ここで殺害があったのだけは事実で、洗脳とは無縁の人が殺害を証言しています。
ところが「あれは事故だったのだ」という証言が出て以降、虐殺証言者がを次第に「突発事故」説に言を訂正していき矛盾が拡大したという部分も合わせて見る必要があるでしょう。
一万人前後が死亡した事実だけが残り今ではこれが何日の出来事かさえ断定できなくなってしまいました。
人間は弱い物です。

  • poi********さん

    2015/12/2420:22:51

    >souma_hakonekonakinsさんが怒涛の様な証言集をだしてきましたから。やっぱりこういうのでころりと質問者さんも信用しちゃうのだろか?
    人を誘導するときは背景の詳細は隠蔽し都合の良い形にします。


    ◆南京攻略戦司令官・松井石根大将の証言
    ① 「(大虐殺は)公的報告を受けたことがなく、終戦後米軍放送で初めて知った」
    ②「南京入城後、非行事実を憲兵隊長から聞き、各部隊に調査と処罰をさせた」

    これ東京裁判での被告席に立たされた時の証言なんですよね。ところが①と②が矛盾してしまっています。ここを突かれて松井は窮し報告は受けたがただの話だから知らないと答えて良いと思った。如き答弁をします。


    また松井が語るのは一般市民への大虐殺に関してで、
    捕虜に対しての自己の認識は下です。

    「捕虜に食はせる物もない、そうゆう状態で戦闘しつつ、また捕虜が出来るから捕虜を始末することも出来ない、それでちょん斬ってしまおうという事になった。」



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qqm********さん

2015/12/2504:03:38

数十万に膨れ上がった虐殺の数は、日本兵の証言をもとにして作られた数字では、有りませんよ。
中国が、勝手に作った数字です。
証言は、関係ない。

sou********さん

2015/12/2402:23:17

◆南京攻略戦司令官・松井石根大将の証言
「(大虐殺は)公的報告を受けたことがなく、終戦後米軍放送で初めて知った」
「巡視の際、約20人の中国兵戦死体を見たが、市内の秩序は概ね回復した」
「南京入城後、非行事実を憲兵隊長から聞き、各部隊に調査と処罰をさせた」

◆上海派遣軍 参謀・大西一 大尉の証言
Q.上海派遣軍の中で虐殺があったという話はありませんでしたか?
「話題になったことはない。第2課も南京に入ってからは、軍紀、風紀の取り締まりで城内を回っていました。私も城内を回った」

◆松井軍司令官付陸軍通訳官・岡田尚氏の証言
降伏勧告文を翻訳し、軍使に加わる。
「城内には死体はありませんでした。ですから一般市民に対しての残虐行為はなかったと思います」
「火事があったとよくいわれますが、私には記憶ありません」
「捕虜の話は聞いています。下関で捕虜を対岸にやろうとして(中略)その渡河の途中、混乱がおきて、撃ったと言うことは聞きました」

◆上海派遣軍特務部員・岡田酉次少佐の証言
「あの南京攻略戦を見てますと、中国軍の中には女がいました。私も女の中国兵が倒れているのを見ています。また敗残兵といっても抵抗するのもいたし、便衣兵というものもいて、これらがやられるのを見ました。これらの屍があとで虐殺と言われたのではないでしょうか。」

◆野砲兵第22連隊長・三国直福大佐の証言
「昭和13年8月にまた南京に戻ってきました。この時も虐殺があったという話は聞いていません。もう日本人の商人もたくさん来ていました。南京の街は朗らかでした。町の人とも親しく話しましたが、その時も、中国人からそんな話(虐殺)を聞いた記憶はありませんでした」

◆第十軍参謀・谷田勇大佐の証言
「(昭和13年11月以降、私が担当していた課は、支那復興のため)南京での経済指導を行なうので、寸暇もないほど多忙であった。したがって課長以下、日中官民と接触して、これを理解し、かつ中支那の風物に親炙(しんしゃ)する機会がはなはだ多くなっていった。この時、中国官民と親交を重ねたが、たとえ酒食の席においても南京虐殺に関する話を聞くことはなかった」

◆南京戦参加の陸軍第114師団歩兵第115連隊小隊長・西山源次郎少尉の証言
「最近部落での評判が大分いいのです。示威行軍に行っても皆出迎えてくれるほどなのです。日本軍は税金も取らないし、品物も買ってくれると…
支那兵は毎日食い物をもらいに来る。応じなければ銃殺されることもある。税金はむやみに取る。出さなければ女や子供を人質に取る。こんなやり方をするのだから嫌われるのも当たり前です」

◆西山源次郎さんの息子さんは、南京で虐殺があったとされる話についてこのように証言してます。
「父の日記からはその形跡はうかがえない。物理的に30万人を虐殺するのは無理だ。戦後の大きな風潮のうねりの中で、歴史の歪曲に染まってしまった」

◆海軍第12航空隊・原田要3曹の証言
「とても戦争中とは思えなかった。南京は誠に和やかに尽きる、という印象でした」
「便衣兵はゲリラ。接近してきて日本軍がやられる恐れがあった」
「何十万人もの大虐殺は信用できない。もし、大虐殺があれば、中国人はわれわれに和やかに接しただろうか」

◆第9師団歩兵第36連隊・近藤平太夫伍長の証言(12月20日ごろの南京の様子)
「露店が何軒か出ていて、日本兵相手に商売をしていた。靴修理店、散髪屋などだった」
「露店で印鑑を作り、城内は極めて平穏だった」
「住民が平和に商売をしている一方で、毎日たくさんの人が虐殺されているというようなことは全く考えられません」

◆陸軍第16師団の獣医・稲垣清少尉の証言(12月16日に南京入城)
「入城して2~3日後、住民の姿をみかけるようになり、時計の修理のため時計屋を訪れた」
「3回ほどサイドカーで城内をくまなく見て回ったが、遺体や虐殺の痕跡は目にしなかった」

◆陸軍第36師団歩兵第224連隊の内貴直次少尉の証言
内貴さんは平成18年に94歳で亡くなるまで虐殺説に反論していた。
「南京に入ったのは攻略戦から6年後。街は商店や人であふれ、平和な様子だった。もし、大虐殺があれば、住民の恨みを買い、われわれは平穏に駐留できなかったはずだ」

◆陸軍少尉・和田泰一さんの証言
「当時の記録を読めば事実は別にあることは明らかなのに大虐殺説を許してきた私たちの責任も大きい」

◆第6師団・城光 宣さんの証言
「城内は空っぽでした」
「女や子供、年寄りの遺体はみたことはなか」
「30万人も虐殺したというのはでっち上げですたい。人がおらん以上、虐殺があるはずがなか」

◆昭和12年12月14日に入城し、すぐに城外で宿営した陸軍第6師団歩兵第13連隊・古沢智伍長の証言
「敵兵は1人もおらず、城内はガランとして人影がなかった。100メートルほど行くと、1人の老婆が紙で作った手製の日の丸でわれわれを歓迎してくれた」

◆安全区で掃討、警備を担当した陸軍第9師団歩兵第7連隊・喜多留治伍長の証言
「12月14日ごろには(城内に)散髪屋や立ち食いそば屋など、早くも住民が商売を始めていた」

◆堺市在住の元海寿祐さんは、日中戦争で出征した父、寿一さん=平成2年に72歳で死去=から便衣兵に出くわした体験談を聞いたことがある。
寿一さんが出征先で仲間と歩いていて、怪しい中国人の男を呼び止めた。男は便衣兵だった。走りながら腋の下から銃口を向け、仲間が撃たれて負傷した。
元海さんは「父は戦場の現実は悲惨なものだと言っていた」と振り返り、南京事件についてこう話した。
「『大虐殺』で言われるようなことをやればすぐ情報が広まる。(将兵は)処分されるはず、と大虐殺説を否定していた」

◆東京日日新聞・佐藤振寿カメラマンの証言
Q.虐殺があったといわれてますが?
「見ていません。虐殺があったといわれますが、十六、七日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。
また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まっていましたから、とても残虐な殺しなどがあったとは信じられません。」

Q.南京事件を聞いたのはいつですか?
「戦後です。アメリカ軍が来てからですから、昭和二十一年か二十二年頃だったと思います。NHKに『真相箱』という番組があって、そこで南京虐殺があったとの放送を聞いたのがはじめてだったと思います。」

◆都新聞記者・小池秋羊氏(12月13日入城)の証言
「城内はどの家も空き家で、物音一つしない死の都市でした。犬・猫の姿一つ見受けられず、不思議な妖気が漂い、街路は激戦の跡とも見受けられない整然とした街並みで、びっくりしてしまいました」

Q.南京で虐殺の話を聞いたことはありませんか?
「ありません」

◆読売新聞・技師 樋口哲雄氏の証言
「自転車を持っていたので、毎日あっちこっちに行きました」

Q.その頃、日本軍による虐殺があったと言われていますが?
「どこで何があったのか知りません」

Q.見たり聞いたりしませんか?
「全然解りません。だいいちそういう形跡を見たことがありません。あったとよく言われますが、どこでどんなものがあったのか。中山陵など荒らされていないし、きれいでした。やらなきゃこっちがやられるからやったのを虐殺といっているのだと思います。」

◆東京日々新聞カメラマン・金沢善雄氏の証言
「戦後、この時、何万人かの虐殺があったといわれていますが、不思議でしようがないのです。私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たこともなければ聞いたこともありません」

「ここ(南京)には1ヶ月ほどいましたが、戦後言われているような事は何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから虐殺があったと言われていますが、あり得ないことです。松井大将が絞首刑になったのも不思議でしょうがないのです」

◆読売新聞・上海特派員 森博氏の証言
「住民は敵意を持っていなかったし、日本兵を怖がってもいなかったと思います。逆に、便衣隊がいましたので日本兵の方が中国人を警戒していました。」

◆報知新聞カメラマン・二村次郎氏の証言
Q.南京虐殺ということが言われていますが?
「南京にいる間見たことがありません。戦後よく人から聞かれて、当時のことを思い出しますが、どういう虐殺なのか私が聞きたいくらいです。私が虐殺の話を聞いたのは、東京裁判の時です」

◆第10軍参謀・金子倫介大尉の証言
「南京に入ったのは13日か14日だと思います。城内では一人の死体も見ませんし、一発の銃声も聞きませんでした」

Q.それでは、そのころ南京事件は聞いたことがなかったのですか?
「ええ聞いたことはありませんでした。戦後東京裁判で聞いてびっくりしました。何か隠しているとか、言い渋っているとか言うことではなく、本当に南京では何も見ていません。南京では印象に残るようなことはなかったのでしょう」

◆領次官補・粕谷孝夫氏の証言
Q.南京の様子はどうでした?
「普通でした。特別なことはありませんでした。店は開いていますし、日本の商人もいました。虐殺とかそういうことはありませんでした」

◆第10軍作戦参謀・吉永朴少佐の証言
Q.南京では大虐殺があったと言われていますが?
「私は南京大虐殺はなかったという信念をもっています。中国市民は逃げ足が速く、ほとんど逃げています。残っていたのはわずかです。また、中国軍を何万人も何十万人もやったとするなら、並べて機関銃で掃射するとしても、とてもできないことです。何十万人といったら押し合いへし合いで、歩けはしない人数です。しかし、南京にそんなに人はいませんでした。南京大虐殺は白髪三千丈式に、後で中国人が言っていることです。私の判決は、虐殺はなかったということです」


肯定派が根拠にしてる証言は裏をとれてないし、他も虐殺(不当殺害)を裏づける証拠がないですね。

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ats********さん

2015/12/2323:52:08

南京大虐殺の証言として採用されている証言に「日本兵は南京に住む中国人全員を一人残らず広場に集めて周囲にはフル装備のの日本軍で逃げれない様にして全員を殺した。その中国人の遺体は灰になるまで焼かれて川に流された。」とあります。
でも一人残らずに広場に集めても一気に殺せるのでしょうか?例えば野球場の満員の観客でも僅か5万人です。その5万人が一方向に押し寄せたら最強の武器装着の日本軍の兵隊でも防げません。中国人は広場に集められたら殺される事が判っても大人しく順番待ちが出来るなら現代の中国人のレベルの低さの説明が出来ません。
更に脂ぎる中年男でも人間なら簡単には燃えません。斎場を考えれば一人しか焼かなくても一時間を楽に超えるのです。そんな大量の人間が短期間で灰になる程に燃えるのなら処理施設まで用意したナチス軍のユダヤ人虐殺は何故ばれたのでしょうか?
簡単にユダヤ人遺体専用焼却場でも処理出来て無いのに思い付きで焼き始めた日本軍がナチスでも処理出来ない数の人間を処理出来たと信じる事が不思議です。
仮に奇跡が起きて灰になるまで燃えたなら大量の遺骨の灰が出来上がります。その遺灰を川に流せば川の水は著しく変色します。仮に川底に堆積したら新大陸でも出来る事でしょうね。
当時の中国兵は日本兵が攻めて来ると付近の一般人から衣服を強奪して日本兵から逃れていました。その様な状況でアメリカのベトナム戦争の様に敵味方の判断が出来なくて数人は殺したかもしれません。その事を虐殺主張するなら日本人だって中国兵の大虐殺で殺されています。

wan********さん

2015/12/2321:51:07

大量虐殺を行った軍隊がまだいる街中へ市民が住みに来るとは思えない


南京事件論争 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B...

正統史観年表 南京の人口推移
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-123.html

  正統史観年表 南京の人口推移
http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou2.html

占領後に人口が20万から25万に増えたというのは嘘 - 南京事件FAQ
http://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/d/%C0%EA%CE%CE%B8%E5%A4%CB%BF%CD%...

南京大虐殺前後の南京市の人口の推移をグラフにしてみる : tomemo
http://asazuki508.exblog.jp/20207518/

文書による人口の推移
http://nanjinggenpatsu.com/numberofvictims.html

ali********さん

2015/12/2313:59:24

もちろん裏は取れてません・・・というよりそもそもその証言は主に二人の証言があちこちで引用されてんだけど二人とも当時は軍役にさえ着いていない日本にいた人と、軍に入る直前だったことが判明してます。

それ以外に出どころの不明な証言が上記の二人の証言に並んでよく引用されますが一切裏付けとなる根拠が存在しません。そもそも証言者が何者かも不明です。

時折元軍人と称する人が左翼系の集会に呼ばれ、「私は見た」てきな公演をしたりしますけど、それに関しても一切検証はされておらずまた・・・そのうちの一人は別の取材に対し、メディアが喜ぶので嘘をついていた・・・と証言してから亡くなってます。

そもそも多くの日本人将兵・・・実際に南京戦に参加した多くの軍人がそんな事件などあったはずがないと証言してます。メディアが取り上げませんけど。

さらに・・・事実としてあったかなかったかを断定する材料はありませんが、存在する証拠とされる全てがねつ造、あるいは根拠不明なため、ばかばかしいとしか言いようがないですね。東京裁判における証拠も、反対質問に対し実際には自身は見ていない。・・・と告白した神父のいろいろな虐殺話を何の裏もないまま証拠として全採用したものですし。

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