人による神の創造と神による人の創造(人は神に似せて造られた) マルコによる福音書6:5-6 人々が不信仰であったために奇跡を行う事が出来なかった。 私たちは「空気」を読みます。

人による神の創造と神による人の創造(人は神に似せて造られた) マルコによる福音書6:5-6 人々が不信仰であったために奇跡を行う事が出来なかった。 私たちは「空気」を読みます。 「空気」を読む時、私たちは五感を使っているでしょうか。 五感"も"使っているでしょう。 でも、現在認識されている五感の概念だけでは知り得ない情報を得る事ができるほど何かしらの感覚が鋭敏な人もいます。 私は、五感(少なくとも現在の五感の概念)では知覚できない何かしらの知覚可能な影響力をもった何かが存在していると考えています。 雰囲気、オーラなども付け加えれば想像できる人も増えるでしょうか。 「空気」「雰囲気」「オーラ」等々はその本人の精神(状態)を色濃く反映されたものという事ができ、つまりそれはその人の意識や思想、世界観等の表現体の一つという意味で言動と同様に捉える事が出来る。 私はざっくりこのように考えています。 先ず、この段階で私の考えにご意見を下さい。 これを質問1とします。 次に、私は1を真であると考えているのでそれを前提で進みます。 他人(少なくとも精神)に影響力をもった”何か”を放出する事が出来る自分は、また別の誰かと思考や世界観等を共有する事により、自分一人だけの力で放出できる他者に対する影響力を増幅することができるか。 これを質問2とします。 因に私はYesと考えています。 そして、人の体が神経伝達物質が神経を巡る事によって動く事が出来、その事によって目的地に到達するという事が可能である説明はされていますが、その先ず発端。 「○○へ行こうという発想」はどこから来たのか。 またその発想がどのようにして神経伝達物質が体内を巡る最初の火花になったのか。 どの様にしてその最初の火花が正確に目的地にたどり着くために必要な回路を正しい順番で巡るための最初の指示がだされたのか。 最初の火花を起こすのは「意識」という科学的(物理的)に説明の付けられていない「何か」であるように思えます。 科学的に説明されていないと私は考えており、もし既に科学で説明されている事でしたら私は存じ上げませんので、どなたかご説明頂けますと幸いです。 これを質問3とします。 3がやはり人間の意識が体以前のところにあり、かつ人間の体が動く為の最初の火花の創造やその最初の火花が正しく回路を巡る為の道筋を与える影響力(つまり広義のサイコキネシス)をもっているという可能性とすると、1との区別が不明瞭ですが、非情に密接に関係している、あるいは同じものである可能性が高まります。 これらを統合して考えると、人の意識は体と言うものに縛られる事無く、体の外に影響力(時としてサイコキネシスのレベルで)を持っている可能性があると言えそうに思えます。 さて。 ご存知の通り?、日本は無宗教というよりは科学信仰の強い国と言えると思います。 人の意識が科学の範疇以外のものを無視し、その存在すら赦さないマインドセットを1億2千万人規模で合意していたら、その影響力は凄まじいものになりそうです。 海外の科学信仰者も含めれば莫大な規模です。 現代社会でイエス様は奇跡を行う事が出来るのか。 イエス様が仰った「誰も働く事の出来ない夜」とは何の事か。 またとりとめのない文章になってしまいました。 ご意見よろしくおねがいします。

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ベストアンサー

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「誰も働く事の出来ない夜」が書かれている聖書は何処でしょうか? 貴方程に信仰深く無く、聖書の該当句が思い当たらず解らないのです

その他の回答(2件)

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こんにちは森山と言います。 質問者は、時間の変化に伴い生起する、外界からの五感やその他の受動刺激力を受けると同時に、質問者自身の命を無自覚の内に使い、質問者自身が一番信じる意味付けをする事で、初めて質問者が自覚することの出来る、質問者の意識があります。 ですが四十歳までは、知識や、思い込みや、言葉や、対象知などを、他者から教えられたり、洗脳されたりする中で、自己が信じられそうな答えを鵜呑みにする事によって、社会環境に適応したり、自己の幸せを追い求めたりします。そして質問者の意識の一方の構成要素である、信じさせられる事に関しては、物や受動刺激の在り方を操作する、科学技術の成果を見る限り科学は信じさせられます。ですが質問者の意識を構成している一方の、質問者が能動的に信じる事に関しては、科学の対象外であり、質問者自身の問題になります。ですが質問者自身の意識をもっと深いところで構成している、根本概念や単純概念について、質問者が問うたり又、理解したりする為には、問う為の思考基盤として、地に足の着いた四十年以上の自己の生活経験が必要なのです。このような考えを持った私の個人的考えで答えます。 (質問1) ・「空気」「雰囲気」「オーラ」について、他者と共に科学的にもっと深くとらえる視点が必要だと思います。 ・質問者自身の意識を内省し、主観的視点と客観的視点や、受動と能動や、信じさせられる事と自己の信じる事について、自己の意識の中で、出来るだけ区別し、世界や自己の意識のより深い理解に努める必要があると思います。 ・社会ではキリスト教や、イスラム教や、仏教など対象化された神を信じたり、神の有無を問うたりします。ですが対象についての考えだけでなく、対象について信じたり、疑ったりしている自己の意識全体や、対象とした神がいるか、対象とした神がいないかを問うだけでなく問うている自己の意識自体との全体を問う必要があります。そして自我をも含めた、自己の意識について良く分からないから、考える事を止めようとした時、自己の意志に関わらず、外界からの雑音や受動刺激によって、自己の意識が外界世界に引きずられたり、自己の意志に関わらず、考える事を止めようとしても、色々な事が自己の心に思い浮かぶ、この自己の意識や、日常生活世界での変化を、構成したり、支えている得体の知れない何ものかを、神だと私は感じています。 神は人間からの対象ではなく、自己の意識自体や世界自体を、人間の理解を超えて支えている何ものかを神として、私には直観されます。 ・妄想の様に、糸の切れたタコにならない為に、まず先に思考基盤でもある、地に足の着いた日常生活を固める事が先決だと思います。 (質問2) ・「空気」「雰囲気」「オーラ」などよりも、誠実な言葉や、誠実な表現を介する事によって他者と共感され相乗効果も生まれると思います。 (質問3) ・公共性を持たせる為の科学とは、自己の感情を出来るだけ持たず、対象の在り方を客観的に理解します、科学は主に現象を操作したりしますが、意味については個人の問題です。科学の方法、科学の限界など科学についてもっと知る必要があると思います。 ・私の心は直接感じる事が出来ます、ですが私は妻や子供の心を直接感じた事が一度も無く、私が他者からの言語刺激や表現刺激を受ける事によって、私が意味を読み取り、他者の身体に、私が信じる他者の心と一体にしています。ですが日常生活では妻や子供や他者においても、それぞれが心と身体と併せ持つ独立した一人の人間です。 ・私は身体と自由意志の関係は科学だけに委ねません。そして不動の現在の事でもある私の命と、異次元にあり止まる事無く変化する時間とに支えられながら、自己の意識と自由意志を持って、私は考えたり行動したりしています。 補足 良い回答が全く出来ませんでしたが、65歳を過ぎたおっさんの余計な事は、「サイコキネシス」「空気」「雰囲気」「オーラ」想像力がたくましい事との均衡をとる為に、体を鍛え体から得る事もたくさんあります。また信じる対象ではなく、真理に近づく為にも自分自身がなぜ信じるかについて、自己自身を疑いと共に見つめ返してみるのも良いと思います。 私が年齢と共に考え方が変わってきた様に、質問者も十年後にはもっと広い視点に立たれていると思います。

こんにちは。 前置きは承知しました。 1について。 潜在意識と神との区別はつけていらっしゃいますか? 地に足の着いた日常生活を固めるとは具体的にどのような意味でしょうか。 2について。 他者との共感が良い面について触れているならその通りです。 酒浸りの人はたとえ素面の勤務時間帯であっても酒の匂いはつきまといます。 日頃の思想や願望なども雰囲気となり、その影響力を発揮するという点について触れているのです。 「今は」飲んでないよ!と言ったところで酒臭い鼻をつまみたい影響は出るという事です。 善くも悪くも雰囲気などは影響力を持っているという点について言及しています。

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質問1でノーだよん。 だからあとはすべて意味なしね。で、なんでこんなオカルト質問を哲学カテにはみださせるの? そっちねほーがふしぎだにゃん(*^^*)