ここから本文です

後醍醐天皇は何故、新田義貞らを将軍に任じなかったのですか?

tgw********さん

2016/1/2020:34:10

後醍醐天皇は何故、新田義貞らを将軍に任じなかったのですか?

光明天皇は足利尊氏を征夷大将軍に任命しましたが、そうなる前に、後醍醐天皇が南朝側である新田義貞や北畠顕家などを将軍にさせる事は出来なかったのでしょうか?

閲覧数:
887
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

zun********さん

2016/1/2020:50:30

光明天皇のときであれば、南北朝に分裂してからですよね。

まず、南朝も北朝も、それぞれ独自に大臣や将軍、国司などを任命しています。
天皇も二人なら、左大臣や関白なども二人、南北に同時に存在するような状態でした。

ですので、「そうなる前に南朝側で征夷大将軍にする」ことには意義は無いかと思います。
一応、北畠顕家は鎮守府将軍、兼陸奥守。新田義貞は左馬助、播磨守、越後守などです。


また、後醍醐天皇の政治は武家政権を否定しているので、護良親王の例を除いて、武家の棟梁を思わせる征夷大将軍を任命することはありませんでした。

もし南朝でも征夷大将軍を、北朝に対抗するように任命したなら、それまで天皇親政を再興しようと考えて後醍醐に従ってきた公家が失望します。

質問した人からのコメント

2016/1/20 20:56:57

なるほど…つまり後醍醐は天皇を至高と考えていたという事ですかね。
分かりやすくご回答くださってありがとうございます。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる