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曹操に仕えた郭嘉について、曹操が赤壁での敗戦後に「郭嘉がいれば負けてなかった...

nan********さん

2016/3/523:49:27

曹操に仕えた郭嘉について、曹操が赤壁での敗戦後に「郭嘉がいれば負けてなかった」と嘆いていましたが郭嘉の軍略的資質は他に仕えた荀彧、荀攸、程昱よりも実戦に優れたものだったのですか?

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pet********さん

2016/3/600:19:33

曹操が荀彧に送った手紙によれば、
郭嘉は荊州に行けば自分は疫病で死ぬことを予測しながらも、曹操が天下を取る為に荊州平定の策を曹操と論じていたそうです

つまり郭嘉は、自分の命を捨てて荊州平定の功績を立てようとしていたのに、荊州に行く前に死んでしまった
このことから、疫病で荊州南部を失陥した時に曹操は「郭嘉さえいれば」と言ったのでしょう

荀彧は政治家であり戦略家、程昱は将軍なので、郭嘉と比べられるのは荀攸だと思いますが、単純に軍師としての功績を比較すれば荀攸が上ですしね
正史の列伝順も、まず「荀彧、荀攸、賈詡」と来て、次に「程昱、郭嘉、董昭、、、」と続くので、郭嘉は5番手です

  • pet********さん

    2016/3/618:10:23

    sendoukundaisukiさんは相変わらず、演義でも正史でもない、謎の三国志論を展開しているなぁ、、、
    こういうところで、あんまり出鱈目な回答はしない方が良いと思うのですが

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mio********さん

2016/3/921:58:56

曹操はあくまで自分のせいで負けたとは言わせたくなかったのですよ

だから、軍師としては誰でも良かったが理由づけとしては郭嘉がいないことを理由にしたのですね

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kou********さん

2016/3/918:48:40

まあ、役割の問題もあると思いますね。

程昱は、曹操の留守中の兗州を任されていました(赤壁の頃は少々微妙だけど)。
荀彧は、後方担当。

荀攸と郭嘉が曹操の参謀役でしたが、荀攸は赤壁にも随行していたのか・・・不明。

まあ、いずれにせよ、死んだ人を思うというのは、そういうものでしょう。
敗戦の直後、勝ちまくっていた頃に傍にいた人を思い出すのは、気持ちとしては分かります。
夷陵の敗戦の後、法正が生きていれば・・・というのと同じです。

曹操は、郭嘉が自分の軍師たちのなかで一人、若かった事も思ってます。
郭嘉と同世代の陳羣や司馬懿が後に魏の元勲になるように、郭嘉は将来、曹丕の世代になくてはならない人物、という風にも思っていたのでしょう。

yag********さん

2016/3/800:11:22

郭嘉は荀彧の推挙で早々に仕えることになったのですが、その際天下について論じ合い、曹操は「私に大事業を成就させてくれるのはこの男だ」と絶賛したと言われています。
一方の郭嘉も早々に仕官する前に袁紹にあい、その小人物ぶりに失望していたので、曹操にまみえて「真の主君に出会えた」と感激したと言われています。
曹操と郭嘉の出会いはいわゆる「水魚の交わり」だったと言えるわけです。

呂布征伐や袁紹死後の冀州平定戦などでも的確な助言を行い、さらに207年の烏丸討伐ではほかの諸将は皆、「荊州に身を寄せた劉備が劉表と結託して、遠征の隙をついて許都に攻めてくる」と言って烏丸討伐に反対したのに対し、郭嘉ひとりは「劉表は自分の能力では劉備を使いこなせないことを知っているので、重く用いることはないし、一方の劉備も軽い任務では動こうとしないだろう」と言って烏丸討伐を進言し、遠征でも積極策を提言するなど、北方の脅威を取り除くことに成功しています。

郭嘉という人物は先見力や洞察力がずば抜けていたようで、曹操は「郭嘉だけが私の心をよく知っている」と言い、と絶大な信頼を寄せていたようです。
曹操は、郭嘉ならば呉軍の火攻めを見抜き、それを未然に防いだり、それを逆手にとって呉軍を壊滅することができた、と考えたのでしょう。

ほかの回答者さんも書かれているように、荀彧は戦略家というよりも政治家としてその才能を発揮した軍師でしょうし、程昱は深慮遠謀というより現状打破型の策士という感じがします。程昱は正史でも「強情な性格でよく他人と衝突した」と評されているくらいですから、曹操として使いやすい軍師ではなかったのかもしれませんね。

sen********さん

2016/3/618:00:51

荀彧は、張良や孔明以上に

戦で、指揮をするのに向かないタイプの人

頭がいいから、作戦も的確だし留守も

完璧に守れる人物です

内政や米などの管理は、完璧でした

逆に戦場で、戦況を正しく読めたのが郭嘉

でしたあの孫策も彼の暴力の手に

落ちた説もあるほどです

内は、荀彧 外は、郭嘉が

前半の曹操の躍進の立役者になった

荀攸も優れた人間ですが曹操の

いいなりなる事が多い人物で、

そこが曹操に魅力で、息子達

にも手本にしろというほど

のお気に入りでした

程昱も暴力家として、有能の人間でしたが

曹操にどうどうと進言できるほど

じゃなかったその結果が赤壁の戦いに敗れた

もし郭嘉ならば鎖は、まずいと進言したし、

黄蓋がいつわりの降伏であることも

逆に利用したそのくらいの事が

できる人物です

そのくらい苦肉策には、リスクもある

この戦いは、人材コレクターだった

曹操が最初で、最後の裏目になった

戦いでした

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