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御家宝と吉原殿中について質問です。 どっちがどっちのパクリですか?

mor********さん

2016/4/800:00:02

御家宝と吉原殿中について質問です。
どっちがどっちのパクリですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

yak********さん

2016/4/813:22:22

五家宝と吉原殿中は、由来が諸説あってどれが本当と言えない
状況だそうです。

ただ面白いのは、五家宝の埼玉での一方のご本家の熊谷では
水戸から持ち込まれた(水戸藩から来た水野氏がその後商人
となり茶店を開いた折に故郷の銘菓を出したものが由来)と
なっています。

水戸光圀説(これは年代的に合わない)加須説など、由来に
ついてはいろいろ説があります。

質問した人からのコメント

2016/4/14 08:17:17

皆さんありがとうございました

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mat********さん

2016/4/813:17:15

こんにちは。

「吉原殿中」のほうが、先に商品として世の中に登場した
可能性が、高そうです。
_____________________________

以下、ウィキペディア参照しました。

【五家宝(ごかぼう)】

水戸藩の銘菓「吉原殿中」を元に改良したとする説。

『熊谷市史』によれば「吉原殿中」は、
第9代藩主の徳川斉昭(1800 - 1860年)の側女が干飯にきな粉を
まぶしたものを斉昭に茶菓子として献上したところ、
これを気に入り側女の名前から名付けられたのが由来の一つとしている。

文政(1818 - 1829年)年間に水戸出身の水役人が
武蔵国の熊谷宿(後の熊谷市)付近に移住して茶屋を開き、
故郷の「吉原殿中」を改良し「五嘉棒」として販売したとする説。

群馬県の菓子商が「吉原殿中」を参考に「五ケ宝」として販売し、
評判を聞いた武蔵国大里郡玉井村(後の熊谷市)の者が模倣したとする説。
『熊谷市史』では、
天保14年(1843年)に玉井村出身の者が熊谷宿で店を構え
「五嘉棒」を改良して後の「五家宝」の基礎を作ったとしている。

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