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家紋に関する質問です。 よくこのコーナで家紋に関する質問があります。家紋は適...

ise********さん

2016/4/1116:51:01

家紋に関する質問です。
よくこのコーナで家紋に関する質問があります。家紋は適当とかアバウトに付けられたとかの回答をよく見ます。そうなんでしょうか?

私は同姓(加藤姓)の家紋を調べた(三重県北中部の同姓が多くいる地域の墓地を調べました。)のですが、とんでもない家紋を採用していたとは思えませんでした。つまり適当とかアバウトではないと思いました。
なぜなら、加藤姓は藤原氏と言われています。同姓の墓の家紋を調べた結果、「片喰」系、「下がり藤」系、「上がり藤」系、「五三桐」系、「梅鉢」系、「柏」系、「沢潟」系、「桔梗」系、「蛇の目」系などの家紋を見ましたが、源氏や平氏の典型的な家紋である「笹竜胆」「引両」「揚羽蝶」などの家紋は見ませんでした。
ということで、各家の家紋は適当とかアバウトに付けられた、付けたものではないと思ったのですが、いかがでしょうか?
※加藤姓だけの調査で判断していますが、家紋に関してはサンプル調査ではいけないでしょうか?

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oka********さん

2016/4/1117:01:14

そうですね、家紋はその家がどの系統か、どんな成り立ちかを明確に表しつつ戦の際には敵か味方かを瞬時に判断するための物です。
基本的にシンプルなものほど時代が古くデザインが凝った物ほど新しい傾向がありますよね?
加藤さんの場合は既に名前に由来の「藤」があることから藤原家の流れであることが伺い取れます。つまり、藤原家が使用している家紋は使えない物の藤原家に似た「植物系」が多いのは元が藤だからですよね?
僕の家紋は丸輪に三ツ石、熊野の別当の流れと言われています。石は神社仏閣系の家に多く使われている家紋です。
古くからの家に伝わる家紋はテキトーとかアバウトってことはないのです。
あ、僕の一族も三重ですよ。

  • 質問者

    ise********さん

    2016/4/1117:26:51

    回答ありがとうございます。
    私の家の家紋はいつから伝わっているのかわかりませんが、家紋は「片喰」系です。藤原氏の代表家紋と言われる「藤」系ではありません。
    なぜなんだろう?苗字は一応藤原氏。しかし家紋が違うなあ?
    なんちゃって藤原氏なのか?
    ご先祖様が知りたいですね。

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tom********さん

2016/4/1611:39:19

苗字も家紋も明治になってからは誰が何を名乗ろうと使おうと、お咎めなしでした。

と、ものの本などにはよく書いてあります。

しかしちょっと考えればそんなのずっと昔からそうだったということに気が付きます。
有力者の姓や苗字を名乗ったり、似たような家紋を取るに足らないものが勝手に使った時、その時はその有力者が成敗する気になれば成敗されたのです。
しかし、勢い鮮やかで侮れないものが使っていれば、なかなか有力者といえど手を出せません。

しかも、家系というのは本家、宗家などとえばっていても、
ちょっとしたことですぐに没落してしまうのです。
何代も前に枝分かれした親戚だとして、
もう血のつながりなんかを感じられるような関係ではなくなってしまうような時がたてば、
同じ苗字を名乗ったり、同じ家紋を使っているからと言って、
それやめろというためには相手からの反撃がないと確信できるほどの力がなければなりません。

例えば、豊臣秀吉は出自の卑しい小作農民の出で、
苗字もなければ姓もないとずっと言われてきました。
何しろ本人が、出世して一人前の武将になったときに羽柴などという苗字を創作し名乗るようになります。
しかしですね。
彼の出世にあやかろうとイチとトラが押し掛け子分になろうとやってくるのですが、
彼らはのちに福島と加藤を苗字として名乗るのです。
歴史家も学者もこのことをまるで素通りしてしまいますが、
秀吉の遠い親戚であったとされるイチやトラが、
なんでこの苗字を名乗ろうと思いついたのか。
ドレニシヨウカナカミサマノイウトオリで決めたとでもいうのでしょうか。

証拠は何もありませんが、
イチにもトラにもこの苗字を名乗ろうとした理由があったんだと僕は思います。

それは徳川家康にも言えることだと思います。
彼は若いころ松平氏を名乗りました。
三河の土豪の一支族ですね。
彼の数代前には、松平氏の本宗家は別にあったのです。
しかし彼が秀吉に対立するほどの力をつけたとき、
松平という名前を捨てて、
徳川という名を選びます。
それは、もともと彼の父方の先祖は新田氏の支族である得川氏であったということで説明づけます。
松平氏に入り婿に入ったからだと。
それがどこまで真実なのかは誰にもわかりません。
しかし、源氏の名門とはいえ新田氏は鎌倉時代、室町時代を通じでパッとしません。
鎌倉幕府を倒すときに大いに名が売れたぐらいです。
そんな氏族のそれも傍系の苗字を名乗るからには、
何か当人になんとしてもそうしたいという動機があったからだと思います。
僕は願人坊主として諸国を流浪した得川ナンチャラが、
三河に流れ着いて松平氏の庶流に入り婿になったのは事実(あるいは家康にとって真実)だったと思います。
そして本来は源氏にも新田氏にも得川氏にも無関係だった葵紋を使うようになったのは、流浪のさなかに京都の上賀茂神社にゆかりがあるといわれている葵紋を使おうとする何かの事情があったからではないかと思っています。

こういうことって、実は現代でもあるんじゃないかと。
先代の萬屋錦之助って、若いころは中村錦之助と名乗っていました。
そして中村錦之助は歌舞伎の名門、播磨屋の一員だったんですが、
伯父の中村吉右衛門(大播磨)からの精神的独立を図りました。
そして中村姓の本宗家である成駒屋からの独立もです。
錦之助は大スターでしたから、
このことを苦々しく思っていた人も誰も手を出せませんでした。
しかし錦之助亡き後、
一緒に萬屋を名乗った人やその後継者は、次々に播磨屋に復帰しました。
(全員ではないですが)

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yel********さん

2016/4/1212:00:09

家紋は一族、一党、一派の印。
一族は血族の事で父方、母方の両方を指す。
例えば父方の家紋が藤紋、母方の家紋が木瓜だとしても、本人はどちらでも使用して良い事になっている。
通常父方の加藤姓とし定紋が藤紋を使用し、状況により控紋の母方の木瓜紋を使用しても構わないのが昔から家紋の法則。
今は少ないが、娘を嫁ぐ際の品物や着物に家紋付け時は相手先の家紋ではなく自分の家の家紋を付けて送り出しました。
これを『女紋』と言います。
嫁いだ先では嫁ぎ先の家紋と嫁さんの実家の家紋を両方とも使用して良いことになっていました。
ですから今でも家よっては複数の家紋(定紋と控紋)を持っています。

一党、一派は血族関係のない集団のこと。
武士の時代、功績などにより主君から家紋を下賜されたり、領域の団結を強くする為に領主が領民に家紋や名字を与えたりしました。
その為現在も同じ地域で血縁関係もないのに、同じ名字、同じ家紋が集団でみられるのです。

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mil********さん

2016/4/1121:43:27

家紋は代々伝わるみたいですね。
祖父の家は武田菱、祖母の家は三和違い、曽祖母の家は三つ追い沢鷹など。

兎に角お墓が多くて、連休に旅行とか無理ですね…

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