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稲葉一鉄の正室は三条西実枝の娘だと聞いたことがあります。 真田昌幸の正室も京...

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ID非公開さん

2016/4/2318:54:07

稲葉一鉄の正室は三条西実枝の娘だと聞いたことがあります。
真田昌幸の正室も京都のお公家さんの娘だそうです。

戦国時代にはこうした京都の公家のお姫様と地方の田舎武士との結婚はよく行われていたのですか?

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che********さん

2016/4/2414:03:31

稲葉一鉄(良通)の正室は、三条西実枝の娘ではありませんね。
三条西公条の娘が稲葉一鉄の正室なので、実枝の姉か妹になります。
Wikipediaの「三条西実枝」の記事には「娘(稲葉良通)」と書いてありますが、書き間違いだと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E8%A5%BF%E5%AE%9F%...

また「寛政重修諸家譜」には、稲葉良通の正室は「西三條右大臣公條が女」と書いてあります。(コマ番号94/617)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082713

稲葉家は春日局と縁が深く、三条西家ともつながりがあったらしいので、おそらく稲葉良通の正室は三条西公条の娘だったのだろうと思われます。
ただ、真田昌幸と大久保忠員の正室が京都の公家の娘だったのかどうかは、系図以外に確証になるものがないので、なんとも言えないと思います。

戦国時代の京都は戦乱のために荒れ果てていたので、地方に下向する公家もいたようです。
大内氏の山口や今川氏の駿府などにも、京都の公家が大勢移住していたらしいですね。
当時は公家も経済的に困窮していたらしいので、地方の武士との婚姻もよく行われていたのかもしれません。

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質問した人からのコメント

2016/4/27 22:34:50

ありがとうございます。

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ben********さん

2016/4/2320:32:47

昌幸父さんの正室は、諸説あるんですよね・・・
結構、色のあるキャラなのに・・・

臣従した武田信玄が、こてこての面食いで、公家の娘好きでしたから・・・そこらも影響したと思います。
公家も食い詰めていましたから、口減らしで、よく見込みのありそうなところに嫁に出しました。
それなりの対価(結納とかの形で)が、得られたからだと思います。

江戸時代の将軍家も、正妻は、公家から迎えた人が多いです。
よくあるケースです。

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qqm********さん

2016/4/2320:32:10

京都の公家からしたら、結納金として金が入り、田舎武士からしたら、箔がつくので両者の利益にかなう結婚です。
流行っていました。

zun********さん

2016/4/2319:56:00

徳川家臣の大久保忠世の母も、三条西実枝の妹ということで、同じ家から何人も地方に出していることになりますね。

経済的に困窮していた下級公家ならともかく、三条西ほどの名家では、頻繁に見られるというほどではなさそうです。
何らかの要因があった時に、こうした婚姻が成立するのだと思います。

大久保忠世の母が三河に嫁いだ時期、松平清康が三河で勢威をはっており、大久保家と三条西家との婚姻は、清康と都との繋がりを示すという話を聞きます。

武田信玄の正室 三条の方も、今川氏の仲介で都から降嫁したいう見解があり、政治がらみです。

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