あるブログが、突如なくなったことについての疑問・・。 以下は、それを見つけたときの、私が自分のブログに書いたコメントです。 怖い時代の到来か・・・セキヤさんのブログが削除された・・?
あるブログが、突如なくなったことについての疑問・・。 以下は、それを見つけたときの、私が自分のブログに書いたコメントです。 怖い時代の到来か・・・セキヤさんのブログが削除された・・? ! セキヤさんは、左だと思われるが、政治ブログで、アクセス3桁、ポイント4桁、首位争いをしていた。そのブログが削除されて、ネットにおける政治思想のバランスはどうなるのだ。ヤフーは平気なのか。大本営の復活なのか。目の前が暗くなる。やはりこの国は、美しいより、美味しい国で、自衛より、六文銭を捧げるべき国なのか。 六文銭:あの世へ行く三途の川の渡し賃。真田氏の幟にある家紋。滅びゆく豊臣氏へ真田幸村が味方して命を捧げたことの譬えとして言われていること。 つまり、この国に命を捧げると言うことが、国の繁栄のためや、国を守るためや、国民生活を守るためのではなく、・・もうこの国は滅びゆくしかなくなり、それゆえに、国のためには、供養と葬りのために、六文銭しか、捧げる物がなくなるのか・・・ということ。 昨日まで元気にブログを書いていたから、セキヤさん本人が自分で削除するとは考えられない、理由がない。反対意見に困った政権か当局が、とうとうメディアを巻き込んで、政権にとって都合の悪い者たちに対して、言論で反論できなくなった時に卑怯ものがとる手段として、削除しまくるという時代が来たのか。頭も心も回らなくなった政権の・・器のほどが、知れると言うこと・・・ 政治批判は、風刺や皮肉をまじえて・・というのは、昔からあったことで、それが不当だと言うことにはならない。ここに至って、根拠のはっきりしないことを何も言ってはならないというのは、政治的暴挙といってもよい。それによって、根拠のある批判も削除されているということの方が問題だろう。今回のような削除をするのは、多く自分を絶対正当化して、言論で抗弁の出来なくなったものがとる手段である。自分とその仲間を絶対正義とすることは、人類の歴史上、大きな人災の時には、例外なく認められてきた悪の因業である。 知っている人がいたら、教えてほしい。
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