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「法華経」の安楽行品に説かれている『難問する所有らば、小乗の法をもって答えざ...

ter********さん

2016/4/2802:11:07

「法華経」の安楽行品に説かれている『難問する所有らば、小乗の法をもって答えざれ』とはどういう意味でしょうか?

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lio********さん

2016/4/2805:24:08

涅槃経には、「復次善男子。譬如有人以雜毒藥用塗大鼓。於大衆中撃之發聲。雖無心欲聞聞之皆死。唯除一人不横死者。是大乘典大涅槃經亦復如是。在在處處諸行衆中有聞聲者。所有貪欲瞋恚愚癡悉皆滅盡。其中雖有無心思念。是大涅槃因縁力故能滅煩惱而結自滅。犯四重禁及五無間聞是經已。亦作無上菩提因縁漸斷煩惱。除不横死一闡提也。復次善男子。譬如闇夜諸所營作一切皆息若未訖者要待日明。學大乘者雖修契經一切諸定。要待大乘大涅槃日。聞於如來微密之教。然後乃當造菩提業安住正法。猶如天雨潤益増長一切諸種成就果實。悉除飢饉多受豐樂。如來祕藏無量法雨亦復如是。悉能除滅八種熱病。是經出世如彼果實多所利益安樂一切。能令衆生見於佛性。如法花中八千聲聞得受記莂成大果實。如秋收冬藏更無所作。一闡提輩亦復如是於諸善法無所營作。復次善男子。譬如良醫聞他人子非人所持。尋以妙藥并遣一使勅語使言。卿持此藥速與彼人。彼人若遇諸惡鬼神以藥力故悉當遠去。卿若遲晩吾自當往終不令彼抂横死也。若彼病人得見使者及吾威徳。諸苦當除得安隱樂。是大乘典大涅槃經亦復如是。若比丘比丘尼優婆塞優婆夷及諸外道。有能受持如是經典。讀誦通利。復爲他人分別廣説若自書寫令他書寫。斯等皆爲菩提因縁。若犯四禁及五逆罪。若爲邪鬼毒惡所持。聞是經典所有諸惡悉皆消滅。如見良醫惡鬼遠去。當知是人是眞菩薩摩訶薩也。何以故。暫得聞是大涅槃故亦以生念如來常故。暫得聞者尚得如是。何況書寫受持讀誦。除一闡提其餘皆是菩薩摩訶薩。復次善男子。譬如聾人不聞音聲。一闡提輩亦復如是。雖復欲聽是妙經典而不得聞。所以者何無因縁故。」と説かれています。

これは「毒鼓の縁」ともいわれるたとえ話です。この仏法は、強いて説き聞かせるだけでも、相手の心の中に成仏の種子を植えることができるのです。

法華経本門の常不軽菩薩品第二十には、「當知是法華經。大饒益諸菩薩摩訶薩。能令至於阿耨多羅三藐三菩提。是故諸菩薩摩訶薩於如來滅後常應受持讀誦解説書寫是經。」と説かれています。

涅槃経にも法華経にも、強いて法華経を読誦し広宣流布していきなさいと明確に説かれています。無知の出家僧から悪口をいわれようとも、ひたすら強いて聞かせることでも教育効果があるのです。

仏の別名は「壞一切世間怖畏」です。強いて説き聞かせるのは末法の世の衆生を救うという仏の慈悲心からです。

日蓮大聖人は唱法華題目抄にて、「問うて云く一経の内に相違の候なる事こそよに得心がたく侍ればくわしく承り候はん、答えて云く方便品等には機をかがみて此の経を説くべしと見え不軽品には謗ずとも唯強いて之を説くべしと見え侍り一経の前後水火の如し、然るを天台大師会して云く『本已に善有るは釈迦小を以て之を将護し本未だ善有らざるは不軽大を以て之を強毒す』文・文の心は本と善根ありて今生の内に得解すべき者の為には直に法華経を説くべし、然るに其の中に猶聞いて謗ずべき機あらば暫く権経をもてこしらえて後に法華経を説くべし、本と大の善根もなく今も法華経を信ずべからずなにとなくとも悪道に堕ちぬべき故に但押して法華経を説いて之を謗ぜしめて逆縁ともなせと会する文なり、此の釈の如きは末代には善無き者は多く善有る者は少し故に悪道に堕ちんこと疑い無し、同くは法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁と成す可きか然らば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍い無き者をや、又法華経の方便品に五千の上慢あり略開三顕一を聞いて広開三顕一の時仏の御力をもて座をたたしめ給ふ後に涅槃経並に四依の辺にして今生に悟を得せしめ給うと、諸法無行経に喜根菩薩・勝意比丘に向つて大乗の法門を強いて説ききかせて謗ぜさせしと、此の二の相違をば天台大師会して云く『如来は悲を以ての故に発遣し喜根は慈を以ての故に強説す』文・文の心は仏は悲の故に後のたのしみをば閣いて当時法華経を謗じて地獄にをちて苦にあうべきを悲み給いて座をたたしめ給いき、譬えば母の子に病あると知れども当時の苦を悲んで左右なく灸を加へざるが如し、喜根菩薩は慈の故に当時の苦をばかへりみず後の楽を思いて強いて之を説き聞かしむ、譬えば父は慈の故に子に病あるを見て当時の苦をかへりみず後を思ふ故に灸を加うるが如し、又仏在世には仏法華経を秘し給いしかば四十余年の間等覚不退の菩薩名をしらず、其の上寿量品は法華経八箇年の内にも名を秘し給いて最後にきかしめ給いき末代の凡夫には左右なく如何がきかしむべきとおぼゆる処を妙楽大師釈して云く『仏世は当機の故に簡ぶ末代は結縁の故に聞かしむ』と釈し給へり文の心は仏在世には仏一期の間多くの人不退の位にのぼりぬべき故に法華経の名義を出して謗ぜしめず機をこしらへて之を説く仏滅後には当機の衆は少く結縁の衆多きが故に多分に就いて左右なく法華経を説くべしと云う釈なり是体の多くの品あり又末代の師は多くは機を知らず機を知らざらんには強いて但実教を説くべきかされば天台大師の釈に云く『等しく是れ見ざれば但大を説くに咎無し』文・文の心は機をも知らざれば大を説くに失なしと云う文なり又時の機を見て説法する方もあり皆国中の諸人・権経を信じて実経を謗し強に用いざれば弾呵の心をもて説くべきか時に依つて用否あるべし。」と仰せです。

日蓮大聖人は御義口伝にて、「対治の時は権教を以て会通す可からず。一切種智とは南無妙法蓮華経なり一切は万物なり種智は万物の種なり妙法蓮華経是なり、又云く一切種智とは我等が一心なり一心とは万法の惣体なり之を思う可し。」と仰せです。

つまり、難問あれば題目で解決していきなさいということです。

質問した人からのコメント

2016/4/28 05:42:16

おめでとうございます。

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nak********さん

2016/4/2802:59:09

前後の文脈を理解してからじゃなきゃ、いきなりここだけ読んでもさっぱり判んない。
で、少し前の段落から口語訳してみました。

文殊師利よ、如来が滅した後に、末法の中に於いて、この経を説こうと欲するのなら、安楽な(心安らかな)生活を送るであろう。
・・・(中略)・・・
(心安らかであるがゆえに)余の法師を悪口を言わず、他人の長短を評価せず、声聞乗の他の僧の名を挙げて非難することはない。
また、名を挙げてその美(よきこと)を讃嘆しない。
また、怨念の心が生じることもない。
このように、彼は心安らかな心を修めたのであるから、(彼の)教えを聴くために(集まってきた)人たちのその意に反しすること(教えを説かないということ)はないのである。
※(小乗の者=声聞乗の者から)詰問されたとしても、その法(小乗)によって答えることはない、ただ、大乗の法によって解説を為すのである。


・・・要約するとこうなります。
法華経を護持する者は、他宗派の僧を非難したり、謗んだり、妬んだり・・・というようなことはないのだよ。
いたずらに論争することもないのだ。
なぜなら、心はいつも平穏なのだから。

日蓮にも聞かせたいような内容ですな。

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