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先日、教会に実地教習?をしていた神学生が期間を終えたので送別会をしました。

ker********さん

2016/8/2612:55:52

先日、教会に実地教習?をしていた神学生が期間を終えたので送別会をしました。

そこで何人かお別れの言葉を言いました。

自分はあまり気にならなかったけど、牧師が引っ掛かった言葉がありました。

「今回はよい縁として‥.」

牧師は「縁ってなんでしょう?」と話しました。(送別会が終わった後、ちょっとした雑談で)

その牧師はクリスチャン二世で初詣はやらないのは当たり前として、七夕、ひな祭りなど知っているがやったことがない、そんな人です。

ある人が「縁」について説明しました。
そのことを聞いた牧師は

「面白いですね(笑
キリスト教的に言うなら

『神様のお導き』

ですね」

雑談なのでそんかシビアな言い方ではありませんでした。

その場はそのまま別れたのですが、家に戻っていろいろ考えてしまいました。

就職試験の不採用の手紙に(結構、もらいました)

「ご縁がなかったものとして‥.」

この場合は

『神様のお導きがなかった』

となるのだろうか?
これは試験の結果だから違うな。

でも

「縁がある」「運が良い」
ある意味、偶然な良い結果をこんな言葉で表現するけど
=『神様のお導き』

と、なるのかな?

逆に

「縁がなかった」「運が悪かった」
=『神様のお導きがなかった』←聞いたことないけど


たいしたことじゃないけど、ここに「運命」という無神論とは違うことを思うのです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

sky********さん

2016/8/2613:10:52

縁の話をするとキリスト教の立場の話になりません。これも何かの縁ですと言うともう神様を抜きにしているからです。もちろん運命も同じです。キリスト教には運命や縁と行ったことは一切ありません。

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