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戦国時代における、幕府や朝廷の権威や、その効果について。 戦国時代では、形...

川崎さん

2016/10/421:24:37

戦国時代における、幕府や朝廷の権威や、その効果について。

戦国時代では、形骸化した朝廷や幕府の威光は地に落ち、朝廷や幕府の命に従わない者が続発しているイメージです。朝廷は宮中行事

どころか即位すらも満足に行えず、将軍に至っては暗殺、追放される始末です。
しかし、調べていると疑問が生じてきました。

長尾景虎(上杉謙信)は、1559年に二度目の上洛を行いました。そして、将軍・足利義輝や、正親町天皇に拝謁しています。他にも、関白・近衛前嗣ら公家とも交流しました。
その結果、朝廷や幕府から各種特権(塗り輿の使用許可など)や上杉憲政の処遇の一任。そして何より信濃と関東への出陣の正当性を手に入れました。

そして帰国すると、付近の武士や国衆が春日山に出仕したり、太刀を贈られたりしています。
太刀を贈った人物には、真田幸綱(幸隆)、栗田鶴寿、望月信雅など武田に臣従している人物も多く含まれています。

このように、長尾景虎の上洛にはかなりの効果があったようです。

そこで質問ですが、1560年前後の室町幕府や朝廷のお墨付きや特権の授与には、かなりの効果があったように感じましたが、実際のところどうなんでしょう?
1559年での長尾景虎のケースが例外なのでしょうか?

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dls********さん

編集あり2016/10/423:09:23

朝廷と室町幕府には権力はなくとも権威はあります。ある程度実力をつけた戦国大名が次に求めるのは権威ですが、幕府や朝廷だってバカではないからただでその権威を与えたりしません。金が必要です。長尾景虎の場合、幾つか条件がそろいました。日本海航路で上洛が可能だったこと。軍事的に実力があること。経済的に余裕があること。プラスアルファ景虎が幕府朝廷に敬意をみせて上洛してきたこと。しかも無理を押して。要は誰でもその権威を得られるわけではないということです。その権威を担いだ場合ある程度特権を得ることはできるが、忘れてはならないのは責任も伴ってくるということです。当然、景虎は関東に出陣しなければならない。関東を取ろうと思えばこの方策は有効ではあったと思います。ただ、実際に関東出陣が武田や北条の邪魔で上手く行きませんでした。景虎の場合、朝廷幕府工作は上手くこなしましたが、その他の政戦略を誤ったと思います。他の問題が片付いてないにも関わらず、関東の責任を背負ってしまったのが問題でしょう。
例えば、織田信長が義昭を奉じたとき、虎口の憂いが無い状態で上洛しています。
徳川との同盟、武田とは良好な関係、伊勢方面は大大名がいません。進路の浅野とも血縁関係となりました。その条件がそろって遠征しています。それに比べて、景虎は武田との北信濃の問題を解決しないまま、遠征にでています。
織田信長に例えると、後ろの武田、徳川と敵対状態のまま上洛しようとしたのと同じです。
景虎の場合、正当性を得たまでは良かったが、その後上手く行かなかった為、責任だけが残りました。

質問した人からのコメント

2016/10/11 07:51:08

ありがとうございました。

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qqm********さん

2016/10/421:46:02

幕府、朝廷が存在している限り一定の価値はある。
後継ぎ問題などで、幕府の書付を根拠に正当性を主張する例はあった。

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