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ロシアに対する日本人の評価に対する質問です。 よく不可侵条約を破棄し侵攻し北...

bla********さん

2016/10/1010:09:53

ロシアに対する日本人の評価に対する質問です。
よく不可侵条約を破棄し侵攻し北方領土を不法に占拠されたときく。
どさくさに紛れかすめとられたと思う人多数であろう。

ここで公平に冷静に考えてみて
ある可能性をみたのだが

アメリカは
北から露、南から米が侵攻することを密約。

ロシアは不可侵条約を守り見守る。

南からアメリカが侵攻し日本の敗戦は濃厚。

これはまずい
北からロシアが侵攻。北方領土確保。

ということは絶対ないのだろうか?

まず、どさくさに紛れかすめとったと言うなら
なぜ北海道を確保せず、北方領土止まりなのか?
南は沖縄でアメリカ
北は北方領土でロシア
もう密約で決まっており実行せざるを得なかったのではないでしょうか?
そう考えると
ん~ロシアってそこまでヒドイ国なんだろうかと思ってしまった。

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rit********さん

2016/10/1601:42:43

領土問題など、国際問題については、我が方の立場、相手方の立場、国際的視点から見た歴史的経緯、くらいは理解しておいた方が良いでしょう(日本人一般はこうした見方が不得手です)。

北方領土を含む千島・樺太はヤルタ会談の密約(極東密約)によって、ソ連が対日宣戦布告さえすれば、軍事情勢如何に係らずソ連に引き渡される運命にありました。

第二次世界大戦勃発からソ連による千島樺太の軍事占領に至るまでの歴史的経緯について書いておきます。

アメリカは日本との開戦直後からソ連に対して、対日参戦か米軍爆撃機基地の建設のためソ連領を貸与してくれるように要請し続けるのですが、当時のソ連はナチス・ドイツとの激闘中でもあり、日ソ中立条約を盾にその要求を拒否し続けます。

しかし、1943年後半以降、対独戦勝利が確実な情勢になってくると、ソ連は米英に対して条件次第で対日参戦要求に応じても良いと仄めかすようになりました。

当時のソ連は、ナチス・ドイツに国土を深く蹂躙されて莫大な犠牲を払っており、このうえ新たな戦端を開くなど、相当の見返りなくしては応じられないという姿勢でした。

1944年末にソ連からヤルタの密約の原案がアメリカに提示されていますが、当時のアメリカは日本の残存戦力を過大評価しており、ソ連の対日参戦を熱望していました。一方でソ連は米英とは異なり戦争中も日本に大使館が存在していたので、日本が弱体化していく様子を正確に把握していて、日ソ中立条約の有効期間1946年4月までには日本が敗北することを読み切っていました。このため、1945年2月のヤルタ会談で、米英はかつて自らが宣言した大西洋憲章の領土不拡大策を反故にする見返り条件(千島列島、樺太の領有)に何ら異を唱えることなくすんなりと合意したのです。

なお、連合国(日本語では国際連合と訳している)の巨頭会談であるヤルタ合意は米英ソ三国が圧倒的政治力を持っていた当時の国際情勢から見て、ほぼ世界の総意だと考えて差し支えありません。

したがって、当時のソ連としては、同盟国である米英の要求を退けてまで、死に体である日本との紙切れ同然の条約を順守して米英はじめ連合国公認の巨大な利益を棒に振るような選択肢を取るなどあり得えないわけです。

また、千島や樺太のソ連帰属や満州に於ける旧帝政ロシアの利権回復はソ連が対日参戦すれば自動的に受け取れるという「参加報酬」であり、ソ連が対日参戦してその地を占領し、所有権を分捕らなければ成立しない「成功報酬」ではありません。

したがって、極論すればソ連は対日宣戦布告だけ行って日本軍を攻撃しなくても、樺太と千島列島(国後や択捉を含む)を受け取ることができました。

この合意に基づいてソ連は日ソ中立条約を破棄して対日参戦し、(当時の他の連合国に対して律儀にも)樺太と千島列島を軍事占領したというわけです。

日本が降伏文書に調印した時に千島・樺太へソ連軍が来ていないのであれば、米進駐軍からソ連に(ヤルタ会談における極東密約に基づいて)約束通り引き渡されるだけの話で、逆に北海道までソ連が軍事占領していたとしても、アメリカが北海道は合意によりソ連に引き渡されるべき土地ではないからと撤退要求することになります。当時の米ソ両国の力関係から見てソ連が抗うことは不可能であり、軍事情勢如何で北海道を失うことになる可能性もゼロです。

ここでのポイントは、日本とソ連の主権範囲は連合国巨頭合意によって政治的に決まっていたことです。

その後、日本はサンフランシスコ条約締結に基づいて千島列島放棄を正式に認めますが、この条約にソ連、およびのちのロシアは参加していません。このため、国際的にはともかく、日ロ両国間では南樺太と千島列島の帰属は決着していません。日本で使われている地図で、南樺太と(得撫島以北の)千島列島が帰属未定としているのはこの理由からです。

日本はサンフランシスコ条約に明記された(北方領土含む)千島列島の領土権主張はあきらめました。実際に、1951年に平和条約国会で日本政府は「放棄した千島列島に択捉、国後が含まれる」と答弁しています。ところが、日ソ共同宣言に向けての日ソ交渉時にアメリカのアイゼンハワー政権下のダレス国務長官に「日本が第三国に過大な利益を与える協定を勝手に結ぶのであれば、アメリカはサ条約を根拠に沖縄の領有権を主張できる(→ソ連に北方領土返還要求しなければ沖縄は永久にアメリカの領土となると解釈できる)」と恫喝されたのをきっかけに、平和条約国会答弁を取り消し、千島樺太交換条約を根拠とする、「日本が主権を放棄した千島列島とは、この条約で謳われた範囲である」と主張し、ソ連に対して北方領土返還要求を起こしました。これが「ダレス恫喝」です。

ダレス恫喝は、冷戦期において軍事的理由から旧ソ連が絶対に呑めない要求を日本に行なわせ、対立の火種を残すことで日本が西側(米国側)につくことをより確実にするためになされたものでした。

まとめ
A.ソ連と米英がヤルタでの連合国巨頭会談で対日参戦の見返りに千島と樺太をソ連領とすることを約束
B.ソ連の対日本宣戦布告により、日ソ中立条約を含む日ソ間の一切の条約・協定・合意は失効
C.日本は西側諸国とサンフランシスコ条約による多数講和にて樺太・千島列島放棄を約束し、戦争状態終結
D.日本とソ連は日ソ共同宣言で、平和条約締結に向けて交渉し、平和条約締結後にソ連占領下の歯舞色丹を日本に返還を約束して戦争状態終結

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tek********さん

2016/10/1609:03:34

第2次世界大戦、米国の功績なくして連合国は勝てませんでした。ソ連は米国の指示に従うのは自然の流れです。

北方領土という存在があるのは米国がロシアとの密約で決まったもの。返還しそうで実際は返還しない、本来なら米国が日露の仲介に入り何かアクション起こしますからね。

第2次世界大戦、米国の功績なくして連合国は勝てませんでした。ソ連は米国の指示に従うのは自然の流れです。...

kim********さん

2016/10/1410:52:24

まあ日本も「関東軍特種演習」で関東軍を大動員しましたし。ヒトラーがトチ狂わずにモスクワへ主力をすすめ、陥落した時点で関東軍七十万人はシベリアへ侵攻する予定でした。相手が弱みを見せればつけこむ、と言うのは冷酷な外交の基本です。昭和十八年末ぐらいまで、隙あらば攻め込もうと考えていたようです。
昭和二十年春、敗北が決定的になって、よりにもよってそのスターリンに和平を仲介するとは、我が帝国政府の夜郎自大・井の中のかわず・楽天的・能天気ぶりに腹が立ちます。
その和平仲介の条件として、帝国政府は樺太と千島全島をソ連に割譲するつもりでした。ヤルタ会談の秘密交渉も、日本の情報機関はある程度掴んでいたようです。
そして関東軍……四月の段階で関東軍の一部は、夏にソ連参戦を予測していました。七月頃から哈爾賓特務機関、関東軍参謀部情報部などもソ連が満洲国境に百数十万人の動員を完了しつつあることをつかんでいます。
進攻一週間前、北部正面防衛担当の第四軍は、警戒態勢、戦闘準備に入っています。つまりソ連の進攻は奇襲とは言えないのです。酷い話です。

北海道は占領しかけのした。とめたのはトルーマンです。広島と長崎の仇敵ですが、同大統領は北海道の恩人です。

さて、では関東軍と満洲居留民は「無駄死に」だったのでしょうか。
満洲をソ連が侵攻したことで、戦後世界は大きく、決定的にかわりました。
満洲の工業力の一部と、莫大な武器弾薬、その他物資が、本来の蒋介石ではなく毛沢東に渡ったのです。そして満洲に居座ったソ連の影響も大きく、戦後の国共内戦で共産側が勝利します。これはソ連の満洲侵攻がなければ、ありえないことです。
こうして大陸が共産化したことでアメリカの対ソ認識は大きくかわり、戦後の冷戦が開始されたのです。もし満洲侵攻がなく、中国は中華民国として統一されていれば、スターリンもさほど欲張れず、東欧の衛星国化で満足し、戦後は米欧華との共存を目指したでしょう。
そうなれば二度と日本が立ち直るチャンスはなかったと思います。
日本は戦後の冷戦と言う僥倖、天佑で見事に「お家再興」をはたし、悲惨な共産化も回避し、戦前をはるかに上回る大国になったのです。
ポツダム宣言四カ国のうち、英は今や欧州のお荷物です。「ソ」は滅亡し、後継のロシアは二流国どまりです。華は台湾に亡命、共産化した中国は戦後、第二次世界大戦の全犠牲者を上回る政治的殺戮を経て、今も一党独裁国家です。
米はトランプを大統領に選ぶぐらい、疲弊堕落劣化しました。選べば二流化は決定的でしょう。そして敗北した日本やドイツは、御存じのとおりです。

そのロシア戦後最大の「雷帝」プーチンは本気で日本との関係の改善、経済協力を求めています。半世紀に一度のチャンスです!!!

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kwa********さん

2016/10/1220:13:33

むしろ不可侵条約を盾に、
日本を庇ったと思いますよ

戦後、日本を分割統治する案も出ていましたが、
ソ連は乗り気でなかったからね
日本列島に魅力を感じなかったのだろう

neo********さん

2016/10/1113:31:49

>なぜ北海道を確保せず、北方領土止まりなのか?
そもそも、北方領土の最初に発見したのはロシアと言う事実。
日露戦争や日清戦争で奪った領土であると言う事実。
その前に、北海道も北方領土もアイヌ民族から奪った土地。
先住民族アイヌ人は、渡来人である天皇が日本統一と言っていた時期から反旗を翻し日本政府に楯突いて反抗し続けた東日本側の縄文人です。
北へ逃れた歴史があり、、、。
ヤルタ会談=密談は非公式であり、戦勝国の分け前会談。
それは、日露平和条約違反には変わりない。つまり、公式な条約違反であるし、本来ならば、日本は国際仲裁裁判等へ訴え、必要に応じてヤルタ会談が無効な約束であると訴えるべき。
それができないのは、やはり日本は戦後70年経過しても自立国家ではないと言う証拠でしょう。
ロシアは北海道を攻め込む気はありましたが米国が止めたようです。しかし冷戦時代は北海道東側半分は戦場と想定し自衛隊の基地も西側を防衛する配置とされています。

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