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『この世界の片隅に、について』

yuk********さん

2016/12/1715:52:48

『この世界の片隅に、について』

質問です。
原作、映画どちらも終盤で、「青葉」が壊れている?描写があり、それを見ている水原さんがいますよね。

私は「青葉に乗っていた水原さんは戦死し、幻想として水原さんを捉えている」と解釈したのですが、公式アートブック(下の画像)には、水原さんの生存確認をしていると書いてあり「??」となっています。

公式ですから、水原さんは生きていたという事でしょうか。
見に行った友人達と「水原さん戦死しちゃったんやね…」と話していたので、アートブックを読んで衝撃を受けています。

水原,すず,青葉,苅谷,ヨーコ,周作,公式アートブック

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gui********さん

2016/12/2107:30:06

私も最初は、あの哲はすずさんの心的風景と思っていました。ご紹介の
ページにもある通り、周作さんのいうところの「選ばんかった道」たる
哲は、故にすずさんにとってはもう、本当に彼があの場にいたのか、
生還出来たのかどうだったか、どちらでももうあまり意味が無い…と。

ですが、あのシーンを思い出して下さい。
すずさんは苅谷さんとリヤカーを押しながら、苅谷さんの息子の死に
ついて当人から聞かされている…という悲しい展開でした。隣保館の
軒下で行き倒れていた被曝兵士が、実は…と。
「眼前の死にゆく息子に、声もかけず過ぎていってしまった」
事を人知れず悔いながら、それでも気丈に歩み続ける苅谷さんと、
「今、そこにいる哲に、『敢えて』声をかけずに過ぎる」
すずさん。ここに、非常に印象深い、敢えて言えば文芸的(←赤面!笑)
な対比図が完成するのです。舞台劇の演出みたい。
もう決して声が届かない相手への、永久にかなわない呼びかけ…と、
いま眼前に現にいる相手に、敢えて声をかけない…という対照です。
どちらも、声をかけ(られ)ない存在を、自分の中に抱いて生きて行く
という事が、自ら自身をさらなる域に…という点では同じわけで。

この対比構図が成立するには、哲は幻影では無く、「いま」「ここ」に
生きていてくれる必要があるわけで。

と同時に、既にお答えのあった通り哲はすずさんにとっての幸福な幼少期
の象徴ではあっても、故に、今さら「いまここ」に現れられても、正直
困る存在。あの夜の騒動も含めて。
何せ本作は、「ぼうっとした子」が、ムスメになりヨメになり、やがて
一人の女性、オトナの女性…になる物語なのですから。ひいては(血は
繋がらないですが)母にも…。
哲とはそういった暗喩も込みの、最後には離反されるべくして登場した
存在だったのでは…などと考えたりもします。こじつけですが。

さらに、声をかけずに通り過ぎた相手≒「過去」「子供時代」は、本作
では否定・封印する対象では決して無いと思います。
確かに、コムスメがオトナになる、一個の女性になる物語ではありま
したが、すずさんが子供時代に座敷わらしを可哀そうに思ってして
あげた事が、ラスト、被曝孤児のヨーコさんを引き取る決意をする…
という形で、繰り返されているのです。敢えて似た様な雰囲気で描か
れた、二人の座敷わらし。
そしてそれは、幼少時にすずさんと周作さんが「人さらい」にさらわれた
事へと、ループしているのでは。さらわれた事で人生を決定づけられた
二人が、今度は別の子をさらい、その人生を切り開く側に立ったわけ
なのです。

おばあちゃんのイトさんが、「すずちゃんは優しいねぇ」と目を細めた、
あの子供時代のすずさん。今の、右手も家族も、肉親も故郷も、その他
様々を奪われたすずさん。
が、しかしすずさんは、子供時代と同じ事を、大人になっても同様に
します。様々な目に遭わされながらも、彼女の奥底の芯は、人間として、
ヒトとして、全然変わっていない。いや、変わらないどころか、あれだけ
の取り返しのつかない身体と人生との傷を負ったにも関わらず、否、
負ったゆえにこそ、新たなフェーズとしての「強さ」「優しさ」を得る
に至った…

8月15日のラヂオ放送一発でひっくり返ってしまう様な、浅はかな
シロモノを「普通」「日常」「当たり前」と信じ込まされていた事に
慟哭するすずさんでしたが、では、浅はかではないもの、うつろい
ゆかないもの、とは何か。トンボやカブトムシが、鳥や草木や花々が、
ニンゲンどもの喧騒とは無関係に毎年必ず同じ様に現れ消えるが如く、
決して揺らがず過ぎてゆかない「なにか」…。

そうしたものの具現化が、ラストのヨーコさんのエピソードだったの
では、と思うのです。それは、オトナになろうがコドモだろうが、
決して揺るがないはずのもの、揺らいではならないはずのもの、だと
思うから。これこそが、すずさんにとっての「ふつう」なのではない
かと。いや、こりゃもう完全に個人的な思いつきですが。

故に、すずさんの子供時代と直結した哲は、死んでいるのでは無く、
「生きてはいても、敢えて声をかけずに通り過ぎる相手」
として描写されたのだと思うのです。死んではいない、が、こちらから
声をかけることは無い。「そこ」に確実に存在してはいるが、でももう
表面には直接出ては来ない対象…そういう暗喩でもって、すずさんの
子供時代、つまり彼女の人間としての基底、人格、といったものが
確としてある、と表現したのでは無いでしょうか。

子供・コムスメではなくなった、オトナになった、ひいては母(血は繋が
らないですが)にもなろうというすずさんですが、たとい子供でなくなろ
うがオトナになろうが、呉の人間になろうが北條家のヨメになろうが、
すずさんという人の人間性の根幹は、素晴らしいことにそのまま保たれ
てい(てくれ)た。いやそれどころか、新たな形での強さ、たくましさ、
優しさ、大きさへと至った。
確かに椿の模様の婚礼衣装を物々交換に出したすずさんでしたが、その際
に径子さんも、モガ時代の服を交換に出している。この、血の繋がらない
姉妹二人は、様々な大切なものを奪われ深い傷を負ったにも関わらず、
いや、傷を負って新たなフェーズに至ったからこそ、ヨーコさんを、血の
繋がらない自分の子として、二人して迎え入れるのです。
例え成長しようが、例え苛烈な目に遭わされようが、ヒューマンな人間性
の根幹は揺らがない、いやそれどころか、傷を負ったからこそ、さらなる
形での強さ・深みを得る…こういう人間観・人生観の作品なのです。


すいません、長過ぎですね。止まらないのです。申し訳ない。
近日4回目行きます。

私も最初は、あの哲はすずさんの心的風景と思っていました。ご紹介の...

  • gui********さん

    2016/12/2107:30:53

    蛇足:

    リンさんは、原作でも「生死不明」です。
    空襲後、遊郭の瓦礫の山が出てくる。そこ
    に、女物の長い髪がベットリと…という、
    イヤな描写。
    同郷のよしみや羨望や、嫉妬、劣等感等々…
    すずさんに様々をもたらしたリンさん
    でしたが、最後は本当に「乙姫さま」に
    なってしまったのです。

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質問した人からのコメント

2016/12/23 00:44:55

本当にありがとうございました!
また見に行きます。(4回目(≧∇≦*))

ベストアンサー以外の回答

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num********さん

2016/12/1802:21:07

原作でも映画でも、すずさんの空想や観念的なものは
必ずタッチが変わりますので、あれは現実の哲で間違いないでしょう。
もし、哲が死んでいたのなら、青葉や波の白兎と一緒に
空へと上がって行ったはずです。

あのシーンは、哲の「普通でおってくれ。まともでおってくれ」
に対する「普通でなくなった=大人になった」
というアンサーになっています。

直前には「椿柄」の嫁入り衣装を売り払って
「現在」の生活の足しにしていますが、
「椿」は哲が「波の白兎」の絵のときにくれたプレゼントであり、
嫁入り時の髪飾りでもあり、「江波=子供時代」の象徴でした。

これら「哲」「椿」「波の白兎」といった
「江波=子供時代」への執着は想い出に仕舞うことで棄て、
「呉=現在=北條家の人間」として生きて行くことを
示唆した含蓄のある重要なシーンになっています。

wor********さん

2016/12/1717:33:05

公式アートブックの「公式」というのは「権利元が販売の許可を出した」という意味であって、製作をすべて権利元が行ったという意味でも、その中に書かれていることすべてが原作者や担当編集がきちんと精査したものという意味でもありません。なので、普通に間違いがあることもあり得ますし、実際に漫画などの「公式」関連書籍で間違いがあることは珍しくありません。

最後に出てきた水原 哲は、その他の人物が年齢に合わせて見た目が変わっているのに対し、すずと最後にあった時とほぼ同じ見た目のままでしたし、日本の敗戦の後だというのに何故か笑顔で自分が乗っていた、沈没した軍艦を見上げていました。この時点で本当に生きていた本人ならかなり違和感がありますが、更にそれならなぜすずが声をかけなかったのかも説明できません。
だからといって水原 哲が死亡しているとも言い切れませんが、少なくともあそこで出てきたのが実際の本人である水原 哲というのはかなり無理のある解釈でしょう。

この作品には白木リンも含めて敢えて生死不明のまま物語が終了するキャラクターが他にもいますし、これはあの戦争当時生きていた人には知り合いに生死不明の人が普通にいるという事を表しているのだと思われます。

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one********さん

2016/12/1717:30:05

はい。仰有る通りアートブックで原作者自身が水原さんは生きていると明言してますんで生存してる事になります



まあ普通に見ると水原さんは戦死しすずは水原さんの面影のある海兵を見てると解釈してしまいますよね(^_^;)



自分もアートブックを読んで「マジで!?」と驚いたクチです(笑)

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