ここから本文です

道具なしでは持ち上がらないものでも梃子を使えば持ち上がります。また滑車より動...

dor********さん

2016/12/2615:10:14

道具なしでは持ち上がらないものでも梃子を使えば持ち上がります。また滑車より動滑車の方が時間はかかりますが楽になります。
仕事量保存というものがありますが、前者では成り立っていません。

なぜなら、持ち上がっていないものと持ち上がるものとの比較になってしまって仕事量が等価でないからです。

ペイントでの標準のやり方ではピクセル単位でマウスで調節しようとすると手が震えて「大変」ですから、他にやり方はありませんかと質問をして、種々の「梃子や動滑車」に当たる方法が提示されました。マウスによりやり方では脳に障害があって震えが収まらない人にとっては永遠に無理な方法かもしれません。その点、動滑車に当たる方法には時間は常に一定量を要しますが確実性があります。

ただ、確実だからといってそれが必ずしもいいわけではありません。
そもそも脳梗塞を患う人には「仕事量保存」が成り立っていないし、仕事量、つまり使っているエネルギーは「疲労感」と必ずしも因果関係にあるわけではありません。

従来のやり方には、熟練すれば「一発で成功する」という可能性も秘めている以上、それに対してエネルギーを割いた感がしないのであれば、従来通り、「道具無しで重い石を持ち上げる」こともまた一つの合理的な選択だと思います。どうでしょうか?

閲覧数:
141
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

tot********さん

2016/12/2617:12:25

たぶん、この質問の真意は「労働」の定義についてのものだと憶測いたします。ルーティンでもコツコツした仕事と華々しい仕事に対する報酬は本来は等価あるいはコツコツ仕事の方が尊いと言うのは、人間の仕事と言うものを考えた時にもっともな考え方ではあります。
しかし、もっと広い視点で考えると「人間は本来仕事すべき動物なのか」あるいは「人間の仕事だけがこの世をなしているのか」と考えると、「ひとそれぞれの価値観で生きるのが一番」なのではないかと思わされます。と申しますのも、いわゆる「自己実現」したひとは、自分のしていることをあまり仕事として意識はしないだろうからです。
いま地球上には僕のような身の丈の低い人間も含めて未開人もいて、彼らの価値観と我が国の憲法が謳うような価値観には雲泥の差があります。そう言う我が国も150年前まではそれほど制度に縛られた人間は支配層を除いてほとんどおりませんでした。
僕も国の指定難病である胸椎黄色靭帯骨化症と言う病の手術をしてまだリハビリを続けている身で、職場復帰の目途は立っておりません。そう言ったことを、病になってつくづく考えさせられました。
もし見当違いな回答でしたら、失礼をお許しください。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる