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ロマノフ王朝について詳しく教えてください。

trf********さん

2016/12/3007:42:45

ロマノフ王朝について詳しく教えてください。

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har********さん

2016/12/3011:14:22

ちょっとややこしいです。

モスクワ大公のイヴァン三世(大公在位1462ー1505)が東ローマ皇帝コンスタンティヌス11世パレオロガスの姪ソフィアと婚姻しローマ帝国の後裔を名乗ります。
この時はまだリューリク家で、ロマノフ家ではありません。

このイヴァン三世の孫イヴァン四世(初代ツアーリを名乗った人、この人からモスクワ大公国がロシア帝国となります)がロマノフ家のアナスタシアと婚姻します。このイヴァン四世の男子系統は子供のフョードル一世で絶えますが、その兄弟のクセニア王女がアナスタシアの甥フョードル(これはロマノフ家)と婚姻しリューリク家を継いだ形になり、その子供がミカエル・ロマノフとしてロマノフ王朝を確立します。

その後10代皇帝は続きますが、男系はピョートル二世で絶え、ホルシュタイン・ゴットルフ公カール・フリードリッヒに嫁いだピョートル一世の王女アンの息子ピョートル三世が、ロマノフ=ホルシュタイン・ゴッドルフ家としてロシア帝国崩壊までの王朝になります。

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jda********さん

2016/12/3008:46:12

ミハイル・ロマノフが、1613年にロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した事から始まる王朝。
1721年になって、当時のピョートル1世が皇帝を名乗り、大規模な国家改革を施して強国となった事から以後のロシア・ツァーリ国を「ロシア帝国」と呼ぶ。これによりピョートルは「大帝」と呼ばれた。
ピョートル大帝の崩御後は孫のピョートル2世が継ぐも間もなくして死去。子供がなかったのでここにミハイル・ロマノフ以来の直系嫡流は断絶する。

紆余曲折を経て、ドイツ系の貴族に生まれ、母親がピョートル大帝の血を引いていたピョートル3世がロシア皇帝の座に就く。その妻でドイツ人のエカテリーナが宮廷クーデターを起こして帝位を奪い、エカテリーナ2世となる。ここにロマノフ朝の「ドイツ化」は急速に進んでいく事になる。
エカテリーナ2世は優れた指導者で、ロシアの近代化を推し進める一方、対外進出も積極的に推し進めて、ロシアの「列強」たる立場を確固たるものとした。ここに「ロマノフ王朝」は最盛期を迎える。

エカテリーナ2世が崩御すると息子のパーヴェル1世が継ぎ、彼が暗殺されると、その息子のアレクサンドル1世が継いだ。
この時期、フランスで勃興したナポレオン・ボナパルトに侵略されるが撃退に成功。以後、ロシアはヨーロッパの大国として国際的に強大な発言力を持つようになる。
アレクサンドル1世が死ぬと息子のニコライ1世が継ぎ、その跡を継いだアレクサンドル2世は農奴解放令を発するなど改革姿勢を示し、解放された元農奴という豊富な労働力を獲得したロシアは以後急速に「工業国」として浮上していく事になる。
アレクサンドル2世の息子であるアレクサンドル3世は父帝の進めた改革を推し進める一方、皇帝独裁路線を強化した。
そしてアレクサンドル3世の後を継いで1894年に即位したのが、「ロマノフ王朝」最後となるニコライ2世。ニコライ2世の時代は多難の時代で、日露戦争に敗北した事で皇帝権威は失墜。立憲制度の確立などの改革も思うように進まないうちに第1次世界大戦が勃発。しかし精強なドイツ軍相手にロシア軍は連戦連敗。ここに皇帝の権威は完全に崩壊し、ロシア革命が勃発。ニコライは退位を余儀なくされ、「ロマノフ王朝」は300年の歴史を残して滅亡した。

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