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正史三国志の呂蒙伝で質問です。

tak********さん

2017/4/1013:26:21

正史三国志の呂蒙伝で質問です。

魯粛が死去し、呂蒙が後任になった時に、関羽を征伐する献策をします。
その献策の内容で一部分からない(腑に落ちない)箇所があり、質問させてください。

孫皎は南郡、潘璋は白帝、蒋欽は友軍として長江沿いをそれぞれ担当し、自分は襄陽を占拠すると言っています。

この時点では、襄陽は魏の領地だと思うので、魏を相手にすることになると思います。
でも、前後の文面を読む限り、関羽をやっつけて江陵、公安を占拠する計略のことを言ってるように思います。

なぜ呂蒙は襄陽を占拠すると言ったのでしょうか?
あくまでも関羽(江陵、公安)の討伐は計画の途中であって、呂蒙の目標は襄陽、樊城ということでしょうか。

そうだとすると疑問なのが、孫権が徐州を奪取する計画について意見を求めた時に、
一時的に徐州を取れても、そのあとで曹操にすぐ取り返されてしまう。
それよりも関羽を取り除いて長江沿いを固めた方が良いと言っており、魏の領域である荊州北部までは攻めないように解釈できます。

私の理解がおかしいとは思うのですが、呂蒙の計略の全貌をどなたか解説頂けると嬉しいです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

hur********さん

2017/4/1013:39:55

じつはですね、呉はこの時に魏から襄陽を火事場泥棒してるんですよ。
呂蒙自身は江陵の攻略に専念しましたが、陸遜に命じて更に北や西まで攻略させています。
病気でダウンしてなかったら、陸遜に任せず自分でやるつもりだったのかもしれません。

曹丕は食糧が尽きた襄陽を放棄することを曹仁に命じ、曹仁は火を放って襄陽を放棄し、宛まで後退しているんです。
それを呉が取りました。まあ結局は呉も襄陽を維持できず、すぐ曹仁に奪回されるんですけどね。

  • 質問者

    tak********さん

    2017/4/1020:04:43

    陸遜伝を読んでみました。

    房陵と南郷を攻撃したと書いてありますね。
    地図で確認したところ、ちょうど襄陽を囲むように包囲した格好になるのですね。
    関羽を包囲することが目的だったと思いますが、曹仁が襄陽を放棄したので、ついでに(?)襄陽も占拠したという感じでしょうか。

    襄陽を占拠するところは陸遜伝には記載がなかったので、曹仁伝を読むと分かるのですかね。

    ちなみに、今回確認してみて分かったのですが、関羽に逃げ道は全くなかったですね。
    陸遜(呂蒙の計画?)、恐るべしですね。

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質問した人からのコメント

2017/4/12 04:47:33

ご回答ありがとうございました。

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