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北条の家臣が豊臣秀吉の惣無事令を破った時、即秀吉の元へ誤りに出かけましてもい...

aki********さん

2017/5/1917:27:54

北条の家臣が豊臣秀吉の惣無事令を破った時、即秀吉の元へ誤りに出かけましてもいくらか減俸されたのじゃありませんか?

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mil********さん

2017/5/2522:28:04

減俸では済まず、全領地を召し上げられたでしょう。

そもそも北条家の家臣が惣無事令を破ったから、豊臣秀吉は小田原遠征を行ったのではありません。秀吉は北条家が臣従しようとしまいと、はなっから北条家を滅ぼすつもりだったのです。
その証拠として小田原遠征の前年である天正十七年(1589年)、十月十日付の書状で、秀吉は側近の長束正家に戦仕度を命じ、上杉景勝にも軍役を命じているのです。世にいう名胡桃城事件が起こったのは十一月に入ってからですから、どう考えてもおかしいでしょう。
自分の黒歴史を消すためにどうしても北条家を滅ぼしたい上杉景勝、自分の領地を守りたい真田昌幸、北条家の領地を丸ごとせしめたい豊臣秀吉、この三者の利害が一致したところで、でっち上げられたのが名胡桃城事件なのです。

ではなぜ秀吉は北条家を滅亡させたかったのでしょうか。
それは秀吉が最も危険視している大名・徳川家康が領地を隣接する北条家と同盟関係にあり、北条氏直は家康の娘婿だったからです。係累の少ない秀吉には決して出来ない血縁による同盟、という羨望もあったでしょうし、北条家の全領土くらいでないと、家康の当時の所領(駿河、遠江、三河、甲斐、信濃)と国替えを強要することは出来なかったのです。

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asd********さん

2017/5/2017:17:33

それは氏直が完全に父氏政の権力を排除できれば、謝罪して臣従なりできたでしょうが、それができなかったから北条征伐が起きたわけで。
もともと一応当主の氏直は秀吉とは講和しようとしてましたが、隠居したことになっている氏政が止めました。
だから北条征伐後の北条の処遇は、氏直は高野山へ追放で命は助かってますが、氏政は切腹です。

d_j********さん

2017/5/2014:42:11

>減俸されたのじゃありませんか?

ありません

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