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武田勝頼は、高天神の岡部元信をなぜ助けなかったのですか。

rit********さん

2017/6/921:19:51

武田勝頼は、高天神の岡部元信をなぜ助けなかったのですか。

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川崎さん

2017/6/1006:54:04

以下の理由により、高天神城を救援しなかったと推察します。

①補給が困難になり、高天神城を維持することが困難となっていた。

敵地に近い高天神城は、定期的に城兵の交替や、兵糧の補給が実施されていました。
しかし、1579年頃を最後に実施されていません。
これは、高天神城の周囲に徳川方が、『鳥も通えぬ』と言われるほどの包囲網を築いたためです。
これにより、武田方が簡単には近付けなくなりました。


②高天神城の家臣から、援軍を拒否する書状が来ていた。

高天神城にいた横田尹松は、勝頼に
『救援の必要ありません。来ても城を維持できないし、長篠の戦いのような結果となります。
それなら兵力を温存しておいて下さい。我々は、自力で帰還します。』
と訴えています。


③武田方は、織田との抗争を外交による解決を試みていた。

高天神城が包囲されているなか、武田方は織田に和睦を打診していたようです。
実際に武田が人質としていた信長の男子を織田に返還したり、上杉景勝と織田との和睦について書状でやり取りしています。

この和睦を成功させるため、勝頼は織田との同盟者である徳川に対し、高天神城救援などの軍事活動をすることを控えたと考察します。


④伊豆方面の北条軍も活発で、二面作戦を強いられていた。

高天神城が落城するころ、勝頼は高天神城方面ではなく伊豆方面への出陣を企画しています。
これは北条への対抗処置であり、この頃の武田軍の相手は徳川だけでなく北条もいたのです。


まとめ

以上のように、
①補給が不可能となり高天神城が維持できなくなっていた。
②高天神城の家臣から、援軍を拒否する書状が来ていた。
③織田との外交による決着を試みていた。
④徳川だけでなく、北条とも争っていた。
などの理由により、勝頼は高天神城への救援を行わなかったと考察します。

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