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江戸幕府には、親藩といった徳川家の親類が統治につかさどっていたらしいですが。 ...

pot********さん

2017/6/1521:18:02

江戸幕府には、親藩といった徳川家の親類が統治につかさどっていたらしいですが。

幕府を開く時点で、徳川家の親族ってそんなにたくさんおられたわけですか?

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lit********さん

2017/6/1523:24:15

いわゆる江戸幕府において
政権に参画したのは
譜代大名と旗本
つまり徳川家の家来

いわゆる親藩大名つまり徳川将軍家の連枝=一門は政権には参画できない立場で
その点では外様大名と似た立場
非主流派でしかなかったんです。

そのことに不満を持っていた水戸徳川家(家康の子頼房の子孫の家系)や越前松平家(家康の子秀康の子孫の家系)などの親藩大名は
島津家のような外様大名とともに政権参画を目指しまず。

そして家定の後継を巡り
一橋派(主に親藩、外様)と南紀派(主に譜代)の対立となり
そして安政の大獄、桜田門外の変となっていきます。

質問した人からのコメント

2017/6/16 10:03:32

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f27********さん

2017/6/1521:52:28

親藩は家康の男系子孫ですから、幕府を開く時点ではほとんどいません
次男の結城(松平)秀康、四男の松平忠吉、五男の武田信吉くらいでは?
しかも彼らが幕政に参画したという話も聞いたことがありません

家康には確実な同父の兄弟はいなかったとされています
父方の叔父ですら、家康誕生後に生きていた者はいません
近親と呼べる父方の親族は非常に少なかったといえるでしょう
又従兄弟がやっといるくらいです
遡っての親族にしても、徳川家では一族一門より譜代の家臣が家政を司っていて、一族も尊重はされましたが、権勢を振るうようなことはありませんでした
その伝統は江戸幕府にも引き継がれ、幕政は譜代大名や旗本で運営され、親藩は江戸定府の水戸徳川家の当主や隠居がオブザーバーや顧問的に意見を求められるとか、江戸に参勤中の他の御三家の当主に参考意見を求めることがあったくらいです

本来徳川家の両家老といえば、酒井家と石川家で徳川家とも姻戚関係にあったので、親族といえば言えますし、家康の母の実家の水野家も度々老中を出して、親族には違いありませんが、あくまで譜代大名であり、親藩ではありません

zez********さん

2017/6/1521:30:52

幕府が出来た当初、親藩は重要な土地に配置されましたが、幕政を担う立場には就かされませんでした。幕政を直接担うのは中堅クラスの石高を有する譜代大名で、大禄を食む外様大名は遠国に飛ばされていて中央政界からは縁遠い存在でした。このように石高と権限を分離することで江戸幕府は諸大名間のバランスを取っています。

さて、親藩とされたのは将軍の後継者にならなかった男子たちです。秀忠の兄・結城秀康を祖とする越前松平家、家光の弟・保科正之を祖とする会津松平家等…。そして何より将軍後継者のバックアップである「御三家」。広義では家康の生母の再婚先の子(つまり父親違いの弟たち)である久松松平家、家康の娘を娶った一族の流れを汲む奥平松平家やら何やらも含みます。
ま、そんなわけで、結構いろいろあったんですよ。

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