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聖武天皇は即位してもおかしくない年齢に達していたのに、なぜ元正天皇が即位した...

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ID非公開さん

2017/7/322:16:13

聖武天皇は即位してもおかしくない年齢に達していたのに、なぜ元正天皇が即位したのでしょうか?

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pin********さん

2017/7/409:13:58

「文武」は「草壁と阿閇(天智の皇女)の子ではなく」、「高市皇子と阿閇(阿部御主人の娘)の子」、ですから「聖武は、文武の子であり、高市皇子の孫」というトンデモナイ前提で書いてみます。
「聖武(首皇子)」の誕生年が、701年ですから、「首皇子が皇太子に就任した714年の時は13歳です。
皇太子就任の翌年の715年に「元明から元正に譲位が行われています」。
この時、14歳で、この年齢が「即位してもおかしくない年齢かどうか」という問題なのですが、「天皇即位は重荷ではないかと考えます」。
「元明が元正への譲位時」に、「首皇子に神器を譲ろうと思うけれども、年歯幼く稚くして、未だ深宮を離れず、君主として政務を担うには無理」だと言っています。
「文武が若死にで、この時、首皇子は6歳、母の元明(阿部御主人の子)が中継ぎ」。
このような状況で、
皇太子就任時(13歳)に「即位とはせず、文武の姉(元正)を中継ぎにしています。
余談ですが、「首皇子(聖武)」は「高市皇子の孫なのですが、藤原の血(藤原宮子)が入っています」。
「天智―藤原系」と敵対している「九州倭国系(筑紫君薩野馬―高市皇子―文武」にしてみれば、即位は避けたいところです。
元明(文武の母)は、715年の2月に、「自分の娘の吉備内親王(元正の妹)と長屋王(高市皇子の子)の子(男女)等を皆、皇孫の例に入れたまう」と言う対抗策を打って、その年の9月に「元正(娘)」に譲位しています。
「元正の後見として、長屋王(高市皇子の子、吉備内親王の夫)が権勢をふるっていた時期」で、「藤原系」との「つばぜり合い」をしている時期です。
最終的に「聖武」が即位していますが、彼は最後まで、「自分は、高市皇子の孫であり、母は藤原系」という出自に苦しんだものと思われます。
「ID非公開さん」なので良くわかりませんが、学生さんでしたら、「テストとか採用試験」の回答には使用不可です。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

rek********さん

2017/7/400:35:08

父親が若年で即位し、過労でなくなったからです。

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