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明智光秀は、なぜ本能寺の変の後も積極的な攻勢に出ず、消極的な行動に終始してし...

kok********さん

2017/7/2122:06:35

明智光秀は、なぜ本能寺の変の後も積極的な攻勢に出ず、消極的な行動に終始してしまったのでしょうか?

実際に光秀がどのような方法論で信長麾下の各軍団長に対抗しようとしたかは確たる証拠がない以上はどんなに議論しても推測の域を脱する事は出来ません。

但し光秀もむざむざと殺られる気はなかったようで主君殺しを正当化し、諸勢力に合力を要請している所をみても彼が何らがの方策を模索していたのは明らかです。

史実では一回戦目であっさり敗れた光秀ですが机上の軍事学的には不利ではあるが全く可能性がないわけではありませんでした。

俗に言う各個撃破戦術により総兵力で劣っていても相手が分散した隙をついて時間差をつけてそれぞれ互角の会戦に勝利することで劣勢を挽回する作戦です。

自軍が1万、敵軍が4万と仮定した場合、自分の4倍の敵と一度に当たると1万対4万で勝目はゼロに近いですが1万対1万を4回繰り返せば数%は可能性が出てきます。

当時の状況を鑑みれば丹羽長秀が堺、羽柴秀吉が備中、柴田勝家が北陸、滝川一益が関東におり、光秀はそれらに囲まれた形になっています。

距離も方角もそれぞれ異なる軍に囲まれた形は各個撃破戦術の絶好の配置であり、このような地の利を活かす作戦を内線作戦と呼びます。

光秀は包囲されていると言う一見不利な配置に惑わされる事なく相手が合流するまえにそれぞれの軍団に決戦を強いる事が可能であるメリットを最大限に活かし、各個撃破戦術を志向すべきでした。

例えば信長を討った後そのまま堺に進軍し丹羽長秀の撃破を試みればどうなるでしょうか?

丹羽長秀軍に所属していた津田信澄は信長の甥ですが父が織田信行、自身が光秀の娘婿である関係から織田信孝に内応を疑われ殺害されています。

史実では単なる暗殺事件ですがもし明智光秀が速やかに堺まで進軍し津田信澄暗殺前に丹羽長秀軍団と交戦状態に入ればどうなるか火をみるより明らかです。

信孝は信澄に対する疑念の段階すら飛び越えて信澄排除に狂奔するでしょうし、信澄も目の前に明智軍を見れば自分の置かれた立場を理解しむざむざ暗殺されるような事は無いでしょう。

そうなると丹羽長秀軍では勝負になりません。謀反の意思のない信澄も自らの命を守るために内応を起こすか敵前で同士討ちになるでしょう。

勝敗の帰結は明らかです。

丹羽長秀を降したあとは彼の残兵を糾合し、各地に檄を飛ばしながら摂津から播磨に近い所で羽柴秀吉軍団を捕捉し撃破します。

史実では羽柴軍団に丹羽長秀や摂津・播磨の豪族が味方し兵力差が付きましたが早々に丹羽長秀を撃破し羽柴軍団を京都で迎え打つのではなく自ら播磨まで進軍することで途中の豪族を逆に光秀が糾合するのです。

特に播磨は秀吉に恨みを持つ豪族は多かったので光秀が積極的に進出すれば丹羽長秀との合流を阻止しただけでも互角以上の勝負が可能です。

近江は秀吉を撃破してから着手しても遅くはありません。

柴田勝家との決戦が事実上の決勝戦ですが、連勝して日和見勢力を糾合した光秀と背後の上杉に不安のある柴田軍団ではどちらが有利かは明白です。

戦略的に不利な立場の側は積極的に動いて主導権を確保して勢いをつけなければなりません。

しかし光秀のとった行動は明智秀満にかなりの兵を与えて近江に派遣し、ただでさえ少ない兵力を分散させ、また自らは京都から動かず受け身に回り、秀吉が播磨・摂津の勢力を糾合し、丹羽長秀軍団と合流するのを指をくわえて見ています。

光秀がなぜそこまで無気力な戦いに終始したかは不明ですがこれでは勝負になりません。

結局主導権を握り常に状況を作っていった羽柴秀吉が山崎の戦いで勝利し後の覇権獲得に繋げていったのです。

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hjx********さん

2017/7/2217:57:58

質問者さんの戦略には2つの関門があります。

①秀吉が一番先に帰って来ることを予測できている。

②山城から播磨~摂津~山城の間の、おそらく数十はある城の一つも反抗しない。あるいは反抗したとしても、瞬殺できるか、太い迂回路がある。

☆日本に城跡は2万もあります。これは、今日の小中学校なみの数です。戦国の風景は、至る所、陣地だらけ、城だらけだったんです。

>なぜ本能寺の変の後も積極的な攻勢に出ず、消極的な行動に終始してしまったのでしょうか?

普通、戦国時代には、一国を制するのに「年単位」です。数日で制した例(武田征伐)もありますが、事前の調略が年単位です。しかし、光秀は近江と山城の多くを制しています。10日間ほどでですよ。ものすごく早いペースで拡大しつつあったのです。


>明智光秀が速やかに堺まで進軍し津田信澄暗殺前に丹羽長秀軍団と交戦状態に入れば

江戸時代にデタラメな洞ヶ峠伝説を創作されてしまった筒井順慶ですが、一級史料の多聞院日記では、小部隊を明智光秀のために堺方向に進軍させています。「秀吉が帰ってきた」との報を受けて退却させましたが。つまり、そのくらい秀吉の「手」は早かったのです。

>自ら播磨まで進軍することで途中の豪族を逆に光秀が糾合するのです。

秀吉は5日に中川清秀に「上様は生きている」という手紙を出して摂津衆の引き込みを計っています。また7日には姫路城まで帰ってきています。
光秀が有効活用できる時間はわずかしかありません。

  • hjx********さん

    2017/7/2218:10:03

    秀吉の準オフィシャルである「天正記」には、

    「山崎の戦いに間に合ったのは1万人」と正直に書かせています。秀吉は大軍と共に帰ってきたのでは無く、「付いて来る者だけ」で帰ってきたのです。大返しの実態は、軍が半ば解体した「中返し」でした。
    それまでして、秀吉は「秀吉が帰ってきた」という事実と情報を伝える事を最優先しました。「秀吉が大軍と共に帰ってきた」といううれしい誤報になる事も見越して。
    秀吉はスピードが一番大事、と、正確に理解してましたし、また、諸将が「信長様は本当に死んだのか」と疑うことも正確に理解していました。「上様は生きている」と虚報で疑いを増幅しておけば、光秀に味方する者はいない事も見越しています。

    まるで、本能寺の変を予測していたかのような有能さ。私は秀吉黒幕説は信じませんが、この時期の秀吉は日本史上、最も有能だと思います。


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tam********さん

2017/7/2421:01:30

光秀の敗因は、時代の流れを読めず信長を討つたあとは、室町時代への復
帰を考えていました。だから京都の朝廷を押さえて、幕府を作り大名を統
制する方向を目指していました。
また、親戚の細川家が味方しなかった事も大きな誤算でした。さらに、秀
吉が乾坤一擲の決戦を考えていましたが、光秀は敗れた場合に備えて少な
い兵力を分割してあちこちに配置して、山崎での決戦兵力を減らしてしま
いました。

bir********さん

2017/7/2308:42:06

結果論として日本史では謀反で身を起こした
権力者が長く栄えた試し、は、ないのです。
謀反を、やった奴が総大将の元に味方が多くは
集まらない傾向であることを明智光秀は、
よく理解していたのか疑問です。
明智と縁が、あったという斉藤道三も謀反で
身を起こして美濃の大名となったが
結局、息子と戦って討たれたのも謀反人の
道三が、今度は自分で最初に指名した後継者と
対立して合戦になると、もう加勢が集まらず
道三の敵のほうに過半いってしまったから。
明智が謀反のときに参考に、すべき前例が、
やはり大内義隆を謀反して討った陶晴賢の例
でしょう。陶の謀反も主君じたいを討つのは
成功したが、支持が上がらず謀反の仇を
討つと勇んだ毛利に合戦で負けて陶の謀反は
、明智の謀反ほど短命では無かったものの、
長く栄えることは無かった。
日本人の気質も、あります。日本民族は、
謀反やった奴と謀反の仇を討とうとする奴、
どちらに加勢したいかと聴けば、たいてい
仇討ち、に助勢する傾向が民族的に強いのです。

js4********さん

2017/7/2307:12:57

戦争も謀略も、こうしたら次の段階でこうなるというのも、しっかり考えてから行動に移すもんです。結果から考えると、何も考えていなかったと言うべきですね。

s_t********さん

2017/7/2217:36:03

史実を気にするのであれば
もう少し光秀の行動をつぶさに研究してあげてください。

あれは毛利ととっとと講和して7日で帰ってきた秀吉が異常だったのであり
光秀が特に失敗したわけではないと考えています。

non********さん

2017/7/2210:24:52

第一目標の信長を討ち、ついでにも信忠討ちも遂げたので、つぎは朝廷に報告の使者、細川、筒井と摂津の有力大名に助勢依頼の使者を出し、報告を待たずに全軍挙げて、丹羽の織田軍を急襲して勝つのが、最良の策です。
近江に逃げた織田奉行等残党に京都を奪われても、また取り返すと気にしません。
今必要なのは兵力です。戦に勝ったというので、日和見大名たちが味方に着きます。(本能寺の変は戦ではありません)3万以上になって四方制圧に向かいます。

信長が同じ立場にあれば決断したでしょう。光秀には無理で正攻法に従い、奇策の秀吉に敗れました。速さが必要です。
丹羽も強敵ですが、急襲されては光秀にかないません。

こうなったとしてもその先は、やはり光秀の天下は続きません。信長並みの器量がないと。

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