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国分寺は西武線が2路線も通っていて、中央特快も止まります。しかし隣の武蔵小金井...

ask********さん

2017/8/508:11:20

国分寺は西武線が2路線も通っていて、中央特快も止まります。しかし隣の武蔵小金井は乗り換え路線なしで中央特快も止まりません。

昔は国分寺市の方が小金井市よりも発展していたということ

なのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

yng********さん

2017/8/517:47:00

このご質問に正しく回答するなら、中央線の駅の歴史や、西武鉄道の歴史を理解する必要があります。

まず中央線は明治時代の中頃、1889年に開通した路線です。当時から国分寺駅はあの場所に存在していました。

西武国分寺線は中央線開通の5年後の1894年に開通したある歴史の長い路線で(関東大手私鉄で最も古い路線です)、元々は中央線の支線として中央線の国分寺駅と埼玉県の川越を結ぶ「川越鉄道」として開業しています(何処かで歴史がひとつ違っていたら、JRの路線になっていたかも知れません)。つまり中央線が川越市に最も近付く場所に、川越への支線を分岐させるためにあらかじめ作っておいた駅が国分寺駅の始まりです。
この頃、国分寺駅周辺には何もありませんでした。駅を設置した場所から南西1キロのところに史跡である「武蔵国分寺」の跡があったので、駅名が国分寺になったのです。
当時、周囲で唯一栄えていたのは現在の府中市街に当たる地域で、ここは江戸時代以前は武蔵国の国府が置かれていた(現在で言う県庁所在地みたいなもの)場所です。この武蔵国の国府に建てられた寺が「武蔵国分寺」であり、「国分寺」という名称自体が府中の町の一部という意味なんです。
いずれにしろ、このような経緯であの場所に国分寺駅が出来て、府中から国分寺市として独立し、駅周辺に繁華街が出来たのです。

西武多摩湖線は大正末期から昭和初期の時代、現在で言う国分寺市街地の北側に広がる平坦地に大学を誘致して、その大学を中心としたニュータウンを作る構想が生まれ、この構想通りに作られたニュータウンが現在の一橋学園駅周辺です。
ですがバスなどは殆どなかった当時、この地域はそのまま開発すると「陸の孤島」になってしまうところでした。そこでこのニュータウンへのアクセス鉄道として建設されたのが後に西武多摩湖線になる「多摩湖鉄道」です。この鉄道はニュータウンへのアクセスだけでなく、多摩湖への観光輸送も目論んで現在の西武遊園地駅まで建設されました。

そしてこの「川越鉄道」と「多摩湖鉄道」が、その後の周囲の私鉄路線と合併を繰り返した結果、現在の西武鉄道の一部になったのです。


では小金井の方は…というと。
中央線が開業した当時、武蔵小金井駅の周囲も国分寺駅周辺と同様何もない平地が広がっていました。そして実はこの頃、武蔵小金井駅はなかったんです。当時の中央線は武蔵境の次は国分寺だったんです。

中央線が開業した当時、東京に住む人々のレジャーのひとつに「花見」がありました。桜の季節になると人々は桜の名所に出掛け、桜の花を愉しむ「花見」は東京の人にとって春最大のレジャーでした。
この「花見」という風習と武蔵小金井駅の歴史は無関係でないところか、大いに関係があります。人々に「花見」という風習がなければ武蔵小金井駅は誕生していなかったからです。
明治時代まで「花見」は、都内の桜の名所で行われることが多かったですが、明治時代後半になって鉄道が発達すると、その「花見」の舞台は郊外へと移っていきました。
大正時代に入ると、小金井市付近の玉川上水の桜並木が「花見の名所」として脚光を浴びます。人々は春になるとなんとかしてこの桜並木を見ようと出掛けましたが、最寄り駅の武蔵境駅からこの桜並木まで距離がありすぎて、花見客から「近くに駅を作ってくれ」という要望が多数寄せられることになりました。
そこで1924年4月、花見客専用の駅として桜が開花している時期だけ臨時に開かれる駅として始めて設置されたのが武蔵小金井駅なのです。当初は桜が咲いているときだけの駅だったのが、翌年1月に年中無休の正式な駅になりました。


つまり何が言いたいのかと言いますと、武蔵小金井駅は中央線の駅の中でも比較的新しい駅で、町が出来上がったのも国分寺や武蔵境など最初からある駅周辺より後だということです。
歴史を遡ると駅がなかったので、その時代に支線が出来るとき(現在の西武多摩湖線や西武多摩川線)に接続駅として選ばれる以前に駅そのものがありませんでしたし、国分寺駅に至っては現在の西武国分寺線を建設するために、中央線建設と同時にわざわざ作った駅なのです。

こうして、国分寺は西武鉄道のローカル線の分岐駅として発展し、武蔵小金井駅は周囲の住宅街へのアプローチ駅として発展するという、別々の道を歩んだのですよ。

質問した人からのコメント

2017/8/11 19:41:56

桜の花見で武蔵小金井駅ができたのですか。今ではちょっと考えられないですね。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mid********さん

2017/8/508:27:26

否。

市制施行は国分寺市が1964年、小金井市が1963年とほぼ同時期でかつ昭和大合併による市制ブームの後です。

なお国分寺駅については
・西武線については、明治〜昭和戦前に川越鉄道→旧西武鉄道によって、今の国分寺線・西武園線を建設後、武蔵野鉄道がライバル路線として今の多摩湖線を建設し、会社合併により2路線になる。
・中央線特快は、1988年に国分寺駅の2面4線化で緩急接続駅として停車開始
という経緯があります。

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