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礼拝の牧師の説教で、日本が大きな地震被害に見舞われたときに、

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ID非公開さん

2017/8/2720:16:32

礼拝の牧師の説教で、日本が大きな地震被害に見舞われたときに、

「日本はキリスト教が廃れているから罰があたったのです。」と言ったことを
直接聞いたことがあります。

日本人信者(私も含めて)がいることを十分に承知している牧師の言葉です。
正直、はらわたが煮えくりかえるようでした。犠牲者の人が大勢いたのに・・・。

私のうろ覚えの記憶では、たしか聖書では、ごくわずかの信じる者がいたため
にある廃頽した町を神がほろぼさずに救ったという話があったかと思うんですが。
旧約聖書だったかな。

韓国のクリスチャンは本当に神様を信じていますか?

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kos********さん

編集あり2017/8/2819:59:39

Oshirisutanukiさん の答えを見たら、糞を食らったように気持ち悪い。彼は酷く聖書誤解したようだな
キリスト教は 全然 復讐の宗教ではないぞ むしろ愛の宗教です イエスが十字架にかけられ、死ぬ直前までも「父よ、彼らを許してください。彼は何をしているか、わからずにいるのです」と自分を殺そうとした人類のために祈ったんです。
その他、聖書には、「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」「敵を愛しなさい」といった文言があるのではないか ガンディーが唱える非暴力の思想もキリスト教からの理念ですよ 人間の物差しでは 公平な裁きができない そもそも 全人類みんな罪人だから 罪人は何の権限があって罪人を審判するの?
今の自然災害は 神の裁きかどうか 知りませんが
せめて原爆の正当性は アメリカでも はじめからずっと論争してきたんですよ。Oshirisutanukiさんが言ったような「神が許し、認めた行為」なんて アメリカ人でさえ誰も言っていませんよ

自然災害は神の意思なのか 私にはわかりませんが。一つことを思い出した。何年前 東南アジアで大洪水が訪れた時、「なぜこんな災難を引き起こしたか/許したか」と問いかけた牧師さんいた。のちに彼の得た答えは、別に東南アジアの人が他の人より悪いだから、洪水を起こして、彼らを滅ぼしたわけではなく、神には 神の端倪すべからざる計画がある。例えば、この東南アジアの洪水を持って、一部の信心深い信徒を鍛えあげる。そもそも 人間本位、現世本位の思想を捨てて、直接天国に行くのは実は楽のほうです。我々が現世に居続けるのは、自分の十字架を負い、神の栄光のために働くものです

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nan********さん

2017/8/2818:03:41

創世記18章16~33節の部分ですね。

dmq********さん

2017/8/2815:52:11

イエスは弟子たちの勧誘に耳を傾けない街は
「ソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む」と
恫喝して凄んでいます。

マタイ10:14
あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に
耳を傾けようともしない者がいたら、
その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりも
ソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。

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afo********さん

2017/8/2815:45:32

神様は全知全能なんだから、自分を信じない人間を滅ぼすんじゃなくて、
みんなが自分を信じるようにすればいいと思います。

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宴サバトさん

2017/8/2802:45:33

聖書の神様って、あんま空気読まないし、大勢子供は殺すし、信者を見捨てようかと脅すし、自分の息子を生贄にしろとか試すし、わりと暴君ですよ。うひひひぃ。

なので、その信者もその傾向が強い人は、やはりいますね。
偏ったキリスト教徒なら、神の裁きとか、神が試練を与えたのだとかは、普通に言います。

質問に出ている話も、アブラハムだったか?ロトだったか?ソドムとゴモラの話ですよね?多分。
一時的にとりなしたものの、結局町は滅んでますよ。
話は逆で、町が滅んだからの後付けエピソードだとは思うが。

聖書の神は基本的に、人間をいじる側です。
助けたり、褒めたりするのは、ほんのごくわずかだけです。
大抵神に関わるとろくな目にあってません。

ただ、韓国でのは話なら、それは政治や歴史的な経緯からの発言でしょう。

そちらもさもありなんです。

osh********さん

2017/8/2801:52:40

koshouu_0626さん「神が許し、認めた行為」なんて アメリカ人でさえ誰も言っていませんよ >真っ赤な嘘です。

●確かにキリスト教の聖職者は「カトリックの神父もプロテスタントの牧師も」原爆投下に対して神の許しと祝福を与えました。
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そして今日でもキリスト教の聖職者は核を扱う将校に

「米軍の軍事教育には聖書がつかわれ核のボタンを預かる彰晃が躊躇なく核兵器を使うために聖職者が講義をしていた。」のです。

訓練初期にある倫理の講義を担当する●従軍牧師が用いた資料が、「核の倫理」という項目で、旧約・新約聖書の記述を多数引用していた。

キリスト教の聖戦論を引き合いに「旧約聖書には、戦争に従事した信者の例が多い」と指摘したり、聖書の記述として「イエス・キリストは強い戦士」と位置づけたりしていた。
ーーー
資料はその上で、広島への原爆投下にも言及。被爆地の写真や被爆者の顔写真を掲げ「太陽の900倍の熱線」「8万人が即死」などと威力の説明を加えた。
米空軍が、有事の核ミサイル発射を担う将校向けの訓練の一環として、キリスト教の「聖戦」論を20年以上にわたり講義してきたことがわかった。「憲法の政 教分離原則に違反する」との指摘を受け、今年7月末に突然、取りやめていた。問題の講義をしていたのは、カリフォルニア州にあるバンデンバーグ空軍基地。 ミサイル発射を担当する空軍の将校は全員、この基地で核について訓練を受ける。憂慮した複数の軍人から通報されたNPO「軍における信仰の自由財団」が情 報公開制度で資料を入手、問題が明るみに出た。(朝日新聞 2011-8-4)

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デスコト国連総会議長のエノラゲイについて歴史的な発言。

エノラゲイには、公表されている12名の軍人乗組員以外に、13人目の乗員がいたということだ。

その知られていなかった乗員は、アメリカカトリック教会の神父が一人乗機していたということだ。これは長年知られていなかったこ。
アメリカカトリック教会の神父がエノラゲイに乗機していたのは、機長や乗組員が原爆投下を恐れずに実行できるようにという配慮だった。
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●ベトナム戦争の時、アメリカ合衆国の司教達はこの戦争は十字軍遠征だと言いました。カトリック司教は北ベトナムの原子爆弾攻撃で南ベトナムのカトリック教会の防衛を望みました。また、プロテスタントの牧師キュンネト(Künneth)も、原子爆弾は隣人愛の為に使えると主張しました。それはあの広島・長崎原爆投下の十三年後の事でした。


第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も日本への原爆投下のために尽力した。1945年8月5日、パイロットが自分の母親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島から離陸する直前、牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願いです、あなたの天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。これからも我々はあなたを信頼しながらこの世の道を歩みます。。。(全テキスト: H. Gollwitzer "Die Christen und die Atomwaffen" 1957からの引用)」と祈りました。キリスト教の神の助けにより7万人が広島で翌朝8時半即死しました。その後5年間に20万人の命が失われました。勿論、神様に感謝しました。彼ら、あの

アメリカのクリスチャン達が。
冷戦時代、両教会は水素爆弾の開発や配置をも支持しました。


1959年、ローマでイエズス会士のグンドラハ(G. Gundlach: Die Lehre Pius Xll zum atomaren Krieg, 1959) が法王ピウス12世の原爆戦争についての意見をまとめ、出版された書籍は「原爆戦争そのものは不道徳的ではありません。。。。どうせこの世は永遠には続きません。。。我々人間は世の終わりには責任はない。。。神の摂理でそういう結果に導かれてしまいました。」等々カトリック教の悪徳とも言うべき内容です。

●キリスト教をルサンチマン宗教と指摘しているのは私ばかりではありませる。

プロテスタントの聖書学者 上村 静氏は最後の審判を待望する心理の背後にあるものはルサンチマンであると述べています。
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元来、旧約聖書には個々人の死後の運命についての関心は薄い。民の一体性が自覚されている限り、個人の死は問題とならない。民に亀裂が生じた結果、この世の生に不満を抱えたセクト(分派)に終末論的な運命の逆転という希望が生じ、その亀裂がユダヤ教弾圧という形で生まれたのが復活への希望である。

それはルサンチマン(怨念)の表現でしかない。それゆえ復活と永遠の生命への希望は常に他者の裁きの希望と対になっている。

復活思想がローマ時代に一般化されると、このルサンチマンはさらに屈折していく。

復活思想が全人類に拡大されたのは、異民族支配という現実に対するユダヤ民族主義的抵抗であったが、同時にまたローマの傀儡と化したユダヤ人指導者の存在は、民の一体性をさらに瓦解させた。それゆえユダヤ人であっても「罪人」とされた者は、もともと「罪人」たる異民族とともに裁かれることになる。

このような復活思想を喧伝する者は、対外的には異民族(ローマ)に対するルサンチマンによる自己満足を、対内的には自分を「義人」に位置づける自己満足を得ることになる。

結局のところ、紀元1世紀のユダヤ教における復活思想とは、人間を「義人」と「罪人」に二分し、自らを「義人」の側に組み込むことで自己義認することを正当化する神学なのである。(参考文献:上村静『宗教の倒錯』岩波書店 2008年)

そして、哲学者ニーチェはキリスト教はルサンチマンの宗教であると言っています。

キリスト教信仰を支えている所の「道徳的世界秩序」とは、原因と結果の自然概念の逆倒であり、「神の意志」は、人間の価値を支配し信仰の神への服従の程度に応じて罰し報いるものとして示される。

神の概念は僧侶によって偽造され、「神の国」がでっちあげられる。「神の意志」を熟知させるためにつくられたのが「啓示説」であり、すなわちそれは聖書という文学上の偽造である。

キリスト教の罪の概念とは、神に対する負い目とそれに応じる罰、神に対する敬虔とそれに応じる救済とから成立している。しかしいくら虚構の世界へと逃避し神の救済をうけても、現実の苦しみはなくならない。それは単なる空想上の復讐でしかない。ここにニーチェはキリスト教信仰におけるルサンチマンを見いだすのである。


●3.11の時もキリスト教の人がそんなことを言ってました。


イエス キリストも弟子たちの勧誘に耳を傾けない街はソドムとゴモラよりひどい目に合わすと予言していますからね!

マタイ10:14あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
15はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」

なので、キリスト教の聖職たちはソドムとゴモラたるヒロシマ ナガサキへの原爆投下にキリスト教の神の祝福と許しを与えたのでしょう。


朝鮮とイスラエルは属国の歴史をもつ虐げられた国ですからよく似ています。

そして恨の民族である韓国人とルサンチマン宗教であるキリスト教は相性が良いのです。

最後の審判で自分たちを虐げた異教徒はキリスト教の神に裁かれ滅びの宣告を受け、洗礼を受けだキリスト教徒である自分たちは義人とされ栄光と永遠の命を与えられ「高笑い」するのです。

キリスト教は神による復讐の代行の宗教ですからね。

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