ここから本文です

佐賀藩の山口尚芳(左から2番目)が岩倉使節団の副使に選ばれた理由は何でしょう...

pwe********さん

2017/10/1411:16:43

佐賀藩の山口尚芳(左から2番目)が岩倉使節団の副使に選ばれた理由は何でしょうか?
そしてもし山口が選ばれなかったら、誰になっていたと思いますか?

岩倉使節団,山口尚芳,副使,佐賀藩,領主鍋島茂義,アメリカ人教師フルベッキ,理由

閲覧数:
319
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

風船猫さん

2017/10/1917:05:49

山口尚芳は幼少から学問に優れ、15才の時、領主鍋島茂義の命で長崎に赴き蘭学を学び、さらに同地の英語伝習所(済美館)でアメリカ人教師フルベッキのもとで学びました。帰郷後は佐賀本藩の翻訳兼練兵掛となり、そののち上京して岩倉具視に接近し、幕末の倒幕運動では薩長同盟の成立にも奔走したと伝えられます。

明治政府では、外国事務局御用掛をはじめ要職を歴任し、1871(明治4)年には外務少輔となり、木戸孝允・伊藤博文・大久保利通とともに岩倉使節団の全権副使となりました。

岩倉使節団の中で、山口が幕末・維新期に活躍した木戸・伊藤・大久保と対等に肩を並べ得たのは、彼もまた一廉の人物として、一目置かれたからです。

岩倉使節団の他の副使のようにに目立った活躍がなかったように見えるのは、山口が政治家としてではなく、実務官僚としての道を歩み、近代日本の基盤整備に奔走したからです。

もし山口が選ばれなかったら、佐賀藩の同僚で、長崎で山口と英語を学んだ大隈重信や副島種臣らが選ばれていたかもしれません。

質問した人からのコメント

2017/10/19 19:45:28

勉強になりました。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる