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スターリンは人一倍、猜疑心や劣等感が強く、人格的にも問題があったのに、なぜ党...

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ID非公開さん

2017/11/223:29:04

スターリンは人一倍、猜疑心や劣等感が強く、人格的にも問題があったのに、なぜ党内で支持を集め、ソ連の最高指導者になることが出来たのですか?

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amu********さん

2017/11/300:34:16

◆スターリンは、革命後のソ連で、せいぜい4番目ぐらいの位置でした。
レーニン>トロツキー>カーメネフ、ジノヴィエフ>スターリン
というような序列でした。
軍事を掌握したトロツキーと違って、しかし総務をやる事務局長のような仕事を
スターリンはやりましたが、当時は事務局長的なポストである書記長が、
権力掌握には一番早道だとは、ソ連国内の人々は思いもしませんでした。
しかし、「地方の役職ポストの発令文書=任免権、党大会の召集文書、党の指示文書」など、事務文書はすべて書記長の管轄ですから、そこに政治的な意図を込めれば、
自分の手下を増やしたり、政敵の邪魔をしたり(例:レーニンの葬式日程を地方出張中のトロツキーに教えなかった)、色々な事が可能だったわけです。

◆スターリンも最初から独裁ではなく、三頭政治から始めてます。
序列は、レーニン>トロツキー>カーメネフ、ジノヴィエフ>スターリン
だったので、策士のスターリンは、
レーニン亡き後、No2だった軍事人民委員のトロツキーを追い落とすために、
カーメネフ、ジノヴィエフと組んで、当初は権力を三分し、
三頭政治を行いました。 トロツキーは結局、国外追放になりました。
◆その後、さらに時間をかけて党書記長の権限を使い、党の地方幹部の任免権を通じて、自分の子分やシンパをポストにどんどん付けていきます。
その子分どもの代表が集まってソヴィエト大会が開かれるわけですから、
事実上国会議員の任免権をスターリンが握っていたようなものなのです。
そしてトロツキー追放後、また数年かけて、カーメネフ、ジノヴィエフも始末されました。

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pop********さん

2017/11/223:52:11

スターリンは政治局のメンバーではなく、事務局のメンバーでした。
事務局とは党の官僚組織を統括する実務を担う組織です。
彼はコツコツ真面目に実務を処理する忠実な官僚であり、レーニンや他の官僚から高く評価されていました。
レーニンの死後、政治局のメンバーは権力をめぐって醜い権力闘争を繰り広げましたが、スターリンは闘争に関わらず、黙々と実務に専念しました。
こうした姿勢は、権力闘争にあけくれる政治局のメンバーに失望した党員や党官僚の支持を集め、スターリンは官僚組織を一手に掌握します。
軍や秘密警察といった暴力装置もスターリンを支持し、彼はその力を背景に政治局に進出することになるのです。
スターリンは官僚組織を用いて実力で政治局のメンバーを粛清し、政治局を乗っ取りました。
暴力的な粛清にも関わらず政治局の腐敗に対する断罪として、党員や国民からは高く評価されました。
スターリンは真面目で清廉な性格である「陽」の部分と、猜疑心が強く、暴力的な性格である「陰」の部分を持ち合わせていました。
「陽」の部分で人心を集め、「陰」の部分で敵対者を排除する。
陰陽の使い分けで独裁者へとのぼりつめたのです。

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dad********さん

2017/11/223:35:55

こんにちは、スターリンについてあなたのご質問にお答え致します。欧州に影の後ろ楯がいたのではないでしょうか。

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