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松平頼重の母親の久昌院が、長子の頼重が弟の光國よりも下座に座るのを嫌って将軍...

ab0********さん

2017/11/1211:46:01

松平頼重の母親の久昌院が、長子の頼重が弟の光國よりも下座に座るのを嫌って将軍家光に何度も嘆願して下舘5万石そして高松12万石の大名にしました。

更に久昌院は、西国で危険な船を使う高松よりも江戸に近い30万石程度の領主にと家光に嘆願したと言われていますが?

長子の頼重が、水戸藩からでた為に本家と分家が入れ替わったと考えた久昌院の考えだと思います。

しかし、将軍家光が、幕府としては、二男扱いの頼重に黒書院溜まりの間詰めにしたり御連枝最大の石高を与えたのかお分かりの方ご回答をお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

rei********さん

2017/11/1212:16:23

二度も子供を流せといわれた靖定夫人久子にそんな力があるはずかないのです。

つくり話ですね。

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質問した人からのコメント

2017/11/16 05:37:18

回答ありがとうございます!

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