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usai21さん

2017/11/2013:53:21

徳川家康に期待をかけていた部分があったかも知れないですね。

徳川家康とは姻戚ですし、徳川家康は豊臣秀吉に臣従したといっても日が浅く、完全に屈服して臣従したわけではないので、北条方に付く可能性がある程度見込まれていたのかもしれません。
(北条方の思い込みかもしれませんが)

伊達政宗も日和見を決め込んでいたので、北条徳川同盟が成ればこれに乗ってきたかもしれません。

そうなれば東国の大部分が反豊臣で固まりますので、北条方にも勝ち目があったかもしれません。

それゆえに豊臣秀吉は徳川家康を厚くもてなして囲いこんだのだと思います。

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かものさん

2017/11/2012:55:15

もしかしたら秀吉に負けても許されると思ったのかもしれません。実際大名としては一応存続をゆるされています。
また北条氏直がいまいち一族や家臣を統率できておらず暴走を許してしまいました。

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mek********さん

2017/11/2012:46:51

九州か四国か秀吉の本拠地で反乱が起きれば、小田原包囲は解かれたかも知れません。もちろんそんなことは起きませんでしたが。北条氏は中央の政局に疎くて戦国時代が終わっていることに全く気づかなかったのでしょう。

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2017/11/2012:46:32

北条氏政は、秀吉と全面対決して勝利しようとか考えてたわけじゃない、と私は思います。マトモにやったら分がない、というのは分かってたでしょう。
しかし、ただ服従して領土削られるのはシャクだから、今のうちに取れるものは取っておいて、大勢力になってから「対等の交渉」をして関東支配を認めさせよう、という腹であったと思われます。
北条氏政というのは、戦国乱世の生き残りみたいな人物で、「日本が唯一人の天下人によって統一される」という事態にリアリティを感じられない人物なんだと思います。直前の天正壬午の乱のように、誰かが攻めてくれば誰かと同盟して対抗する、その同盟が反故になれば別の誰かと同盟する、そうやって落ち着くところに落ち着く、誰か一人が「ひとり勝ち」しないような仕組みになっている、それが「戦国時代」というもので、そういう状況がこの先もずっと続くものだと、なんとなく信じていた。人間ってのはえてしてそういうもんです。特に、ある程度成功した経営者というのは、自分の成功体験から免れられません。
だから、氏政は、「こんどもそこそこうまくやれるはずだ」と考えていた。徳川も伊達も上杉も、オレみたいな「乱世好き」はまだまだいるんだし、いざとなったら
そう簡単に秀吉も攻めてはこれないだろう、とタカをくくって「チキンレース」をやっていたんじゃないかと。
あ、なんか書いてて気がついた。いまの北朝鮮とおんなじだ。

でもね、家康はある程度、似た戦略で、秀吉に自分を「高く売る」ことに成功したんだから、氏政もそんなに愚かということはないんじゃないか、という気もしますね。
結局、徳川と北条の運命の分かれ目は、ちょっとしたタイミングの差に過ぎなかったんじゃないかな、と。

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