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「信心即生活」「仏法即社会」だ。勝利の実証を輝かせゆこう。

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ID非公開さん

2017/11/2908:32:13

「信心即生活」「仏法即社会」だ。勝利の実証を輝かせゆこう。

というようなことを日蓮大聖人御書を通して創価学会は信心指導しているようなのですが、こういう信仰と暮らしを結び付ける考え方は一般的なことなのですか?それともこれは創価学会独自のもので普通、仏教を暮らしと照らし合わせないほうが普通なのでしょうか?

なぜ創価学会は「信仰」と「暮らし」を結び付けて考えようとするのでしょうか?

仏教は仏教だけの世界のことなんですから、あえて暮らしと結びつけなくてもいいのではないですか?仏教の悟りというのは暮らしの欲望から離れたところにあるべきです。暮らしを肯定する仏教は欲望を肯定するのと同じで仏教の教えになじまないと思います。

創価学会以外で暮らし=欲望を肯定することを教えとしている仏教団体(教団)なんかほかにはありません。

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lio********さん

2017/11/3007:21:12

あなたが単にイメージされている仏教のイメージが、『禅』的なもののようですが、釈尊がこの末法を見据えて説いた真の教えは『法華経』であり、生活・社会に即したものなのです。

それを忠実に実践してきているのが創価学会です。

あなたの質問内容からすると、創価学会についてあまりご存知でないようですね。

単なる無知は、そのような誤解と不安を生みだすだけです。
是非この機会に、本当の創価学会を知ってください。

★はじめての方へ(創価学会とは)【創価学会公式HP】
http://www.sokanet.jp/hajimete/

★世界に広がる創価学会【アメリカ篇】
http://www.sokanet.jp/pr/cm/usa/

★池田大作名誉会長の足跡【創価学会公式HP】
http://www.sokanet.jp/sokuseki/

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    質問者

    ID非公開さん

    2017/12/322:34:54

    私の仏教理解は禅的なのですか、それは始めて教えていただきました。教えていただきありがとうございます。

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tom********さん

2017/12/216:17:22

人は世間の平均的な姿勢から逸脱した人を異常な人と見る傾向があります。
町中で奇声を発する人を見ると「頭おかしい奴だ」とみるのはそういうことです。
東大卒の人を変わり者と見るのもそう言うことでしょう。

だから、創価学会のように世間一般の人たちがやらないことを当然という姿勢で、そういうスローガンでもって信者を煽動してるから気色悪い、と見られる。

本来の仏教はそう言う姿勢で求めるものじゃないですよ。
それに「信心即生活」「仏法即社会」なんて当たり前のことですよ。わざわざ言う事でも無い。
当の創価学会がそれが実行できていないのに、片腹痛い話ですよ。


> 創価学会以外で暮らし=欲望を肯定することを教えとしている仏教団体(教団)なんかほかにはありません。

日蓮正宗と顕正会もお忘れ無くw

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rid********さん

2017/11/3020:29:17

そう言ってバカに活動させているだけ

深い意味はありません

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hir********さん

2017/11/3014:45:00

戸田先生は仏法は生活法という指導をされていたようです、生活即信心という指導もS40年初めのころまで言われていました。創価学会は先生の指導もあり題目根本です。徹底した南無妙法蓮華経、唯南妙法蓮華経、御本尊しかない、一切のスタートは南無妙法蓮華経、なんです。現実をはなれたところに仏法がある方がおかしいと思います。僧侶は社会をはなれ僧院に入り、学問を納め悟りを求めればいいのでしょうが、我々は現実社会を直視し、自ら願い、行動し、切り開いていく、南無妙法蓮華経と唱え自分を励まし、だめだ、と思うようなとき、あきらめず頑張れる自分であるために、唱題をするのです。生活の中に仏法があってこそ生きた宗教といえるのではないでしょうか。

>創価学会以外で暮らし=欲望を肯定することを教えとしている仏教団体(教団)なんかほかにはありません。< 何を言ってますか世間知らずが、あの閉鎖的日蓮正宗でさえ、御開扉には息災延命、家内安全、諸々の御祈念を大御本尊様に申し上げましたといってますよ。浅草の観音様にお参りするとき何を願いますか。世界の平和ですか、違うでしょう生活のことですよ、関東で有名な成田山新勝寺何のお札をいただきます。交通安全のお札ですよ。みな生活に密着してます。生活をはなれたら日本に仏法は定着しなかったでしょう。

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ru_********さん

2017/11/2916:48:19

人間である以上、煩悩を断ち切ることは不可能ですからね。
無理に押さえ込もうとすることは生命に歪みをもたらします。
お釈迦様がまだ生きておられた頃は、現代ほど誘惑多い
時代ではありませんでした。グルメなども現代の一般家庭の
夕飯とは比較にならないほど粗末だったでしょうし、綺麗な
服なども滅多に無く、カッコいい自動車があるわけでもないし
インターネットもなければテレビも漫画もありません。
そういう頃であれば、どうにかこうにか煩悩を抑えることも
可能だったかもしれませんが現代はお釈迦様の時代の
数十倍くらいは様々な誘惑の多い時代ですから。
それに加えてトドメに「資本主義」ですからね。

煩悩を抑えたりする信仰ではもうどうにもなりません。
だから聖職者が性職者に変貌したり、坊主丸儲けと
いうような言葉も出るのです。

こういった状況下にあっては、煩悩に対する向き合い方を
従来の「抑える」だけではなく、もっと効果的で有用な
方法論が求められました。

そこで日蓮も推奨したのが「煩悩即菩提」の仏法です。
「生死即涅槃」とも言いますが、この深い法理では
煩悩を薪として、生命活性化の炎を燃え上がらせ、
日々の生活の活力に、いっそマイナスを取り込んで
プラスへの推進力に転換してしまおうということです。

何を為すにもエネルギーというものが必要です。
であれば、従来ではムダでしかなかった煩悩という
巨大で底無しのエネルギーを有効に人生において
プラスの方向性に動くためのエネルギーに変換を
することが出来るなら、あるいは人間が宿命を打破し、
即身成仏を果たすことも可能になるかもしれない…。
いや、もはやこの誘惑の多い現代社会では
それしか希望はない、ということで仏法とは生活に
密着するものであり、決して机上の観念論ではないと
主張したのです。

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sgi********さん

2017/11/2913:13:26

さてそれはどうですかね( ^^) _U~~ぷは~~~~

法華経を読むと登場人物は多士済々登場してきますが面白い人がいます。曰く、文殊菩薩。
この文殊菩薩は三人寄れば文殊の知恵ということで世間でもよく知られてます。
多くの人の知恵を集めれば良い案が見つかるというたとえで使われてます。
この文殊ですが、この方は実はもうすでに仏の悟りを得ていつでも仏になれる資格がある方なのですが、でも文殊は、私は仏になる前にしなくてはいけないことがあるので仏になりませんと申し上げ、菩薩の位で衆生救済を行っている仏と同格の菩薩さまなのでありますよ。

あなたは仏は最高位であってこの仏になるために皆が頑張って修行をしているとお考えのようですけども、仏じゃなくても仏か仏以上にすごい人なんてのは法華経の中にはざらに出てきてるんですよ。釈迦が一番すごいなんてのはたんなる幻想にすぎません。釈迦と同じかそれ以上にもしかしたらもん中のほうがすごい人かもしれないです。

つまり法華経の中に出てくる登場人物というのはそれぞれがそれぞれの役回りを演じて人々の仏教のすばらしさを伝えようとしている人たちであるということなのです。それらが全体で一つの思想を語りつくしているのです。
文殊は仏にならずに娑婆世界で人々にこの仏法の偉大さを語る人という役回りを演じる人という設定です。

あなたは世間から離れてはじめて仏教であると言われますが、それはこの法華経ではそうでないことが分かるのではないでしょうか。

文殊が世間で頑張るひとならじゃあ釈迦はどういう役回りの人なのか?
釈迦はどちらかというと最短距離で仏へと昇り詰めていく人ってところです。
深く悩んで出家してそして悟りを開いてさっさと仏になってしまうっていう。
どうして文殊が仏にならずに菩薩のままでいるかは先ほど説明しましたけども、仏になるとあなたが仰るように民衆救済それ自体ができない、だから菩薩のままでいるわけです。釈迦はさっさと仏になる人ですから実のところ民衆救済はしない人です。その代わりに仏の悟りの法とはこんなんですよというのを五体を通して説明し解説してくれるって役回りを演じてくれています。そういう人もいるってことです。
ですからあなたが仰る仏教は世間を離れなければ仏教じゃないってのは、間違いではないってことはありますね。でも仏教を子の釈迦の悟りだけで決めつけてしまうって態度は仏教的じゃありません(笑)

だって文殊みたいな仏にならずに人々に仏教を教える人がいるじゃないですか。

ってことです。
こういう仏に準じながら世間で頑張る人は仏教のなかには山ほど出てきます。
そういういろんな人達が仏教を支えていて、だからこそ多くの人から仏教は理解され支持されているのですよ。

そういういろんな人たちが仏教の世界を作っている、それを一つの世界観としてしめしたものを何というかと言うと、曼荼羅世界と言います。

とりあえずご参考に!

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