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歌舞伎役者を被差別と言う記事もよく読みますが 実際どうなんですか? 出雲阿国...

bri********さん

2018/1/221:00:43

歌舞伎役者を被差別と言う記事もよく読みますが

実際どうなんですか?

出雲阿国とか思い浮かべますが

広く言ってはいけないことなんでしょうか・・・

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rin********さん

編集あり2018/1/302:27:12

そもそも被差別だからどうした?です。
差別する合理的理由はなく、歴史的な経緯や為政者の都合が身分の上下を作る。それを理解せず、他人を被差別だと見下げる奴のほうこそ、クズと呼べる歴とした理由があると私は思っていますが、そこは置いといて。

偏見を持つ人用に説明してみましょう。突っ込みどころがありすぎて長くなりますが…

阿国についてちょっと調べればわかることですが、その出身には諸説あり、また複数の人のことが1人の阿国のエピソードになっていると考えられています。

江戸城に招かれ、将軍の前で舞を披露した「かぶき踊り」の一座はいたわけですが、
阿国一座を含め女たちの踊りが流行る中には芸ではなく、お色気を売りにする二流どころも登場したために、女たちの芸は禁止されます。
代わりに美少年たちの舞踊が登場し、これもやはり色気を売りにして禁止され、
色じゃなく、芸を見てもらうものをやろうという興行主が始めたのが歌舞伎の始まりです。
美少年ではなく、カッコいいとか逞しい男たちによる武者ものや冒険もの。

つまり「かぶき」という名前の元は阿国にあるかもしれませんが、演目の内容は、女たちや美少年たちの踊りとは違う方向性なわけで、
芸として、歌舞伎は阿国の芸を継承しているわけではないです。
ましてや、阿国の血を引いているわけでもないので、阿国の出自は判明してないですが、どうだとしても、歌舞伎役者とは無関係です。

「歌舞伎役者は河原者」と中途半端な知識だけがひとり歩きしているのですよね。

被差別部落の発生には諸説ありますが、
「河原者」の発生にも、河原は無税だったとか、皮職人など大量に水を必要とする商売だから河原に住むほうがよかったとか様々な説があり、色々な職業があり、「河原者」という一種類の人たちがいたわけではないのです。

芸能で暮らす人たちは、新幹線のある時代ではないですから、通常、旅をして各地を回ったわけで、河原に定住してはいません。

役者が「河原乞食」と呼ばれた理由は、河原に住み着いたからではなく、
興行のとき一時的に芝居小屋を建てたわけですが、広い場所が必要だったので河原に舞台を作ったことが起源と考えるのが主流です。

つまり、役者に対して「千両役者とかちやほやされてるけど、お前たちのルーツは河原に建てた小屋ではないか、いわば《河原乞食》みたいなもんだぜ」という揶揄だと。

また、江戸時代になると、武士の世ですから娯楽など下賤であるという時代になります。役者は収入は多くても、制度上は、農民や職人より身分は下とされます。

実際、芝居小屋は何度も取り締まられ、役者は市中を歩く時は笠を被らなければならないなど差別的扱いをされますが、逆に言うと、人気があったから取り締まられたわけです。

被差別云々を言う人は、つまり家柄血筋を問題にするのだと思いますが、
役者という職業が身分制度では下であったということであり、役者の出身は様々です。

江戸の最初の芝居小屋、中村座を作った中村勘三郎は、山城の武士中村勘兵衛の子であると言われています。中には豊臣秀吉に仕えた中村一入の血筋という説を唱える人もいるそうです。
浪人の子で役者になったり、役者が商人の子を養子に貰った例もたくさんあります。

加えて、江戸時代初期は歌舞伎や人形芝居は、通りで芸をする大道芸人の管理は穢多頭に任されます。

端折って言うと、身分の低い人々を管理し自由を与えないと同時に、大道芸など特定の仕事は一般の町人には参入させず、独占する権利を与えました。
そうすることで貧しい人々が犯罪に走るのを抑止する政策です。

この穢多頭が「私は芸能の興行全般を管理するのだ」と主張し、江戸初期に歌舞伎や人形芝居も管理下にありました。

このことを指して、役者は穢多と主張する人もいますが、
先に書いた通り、武家から役者になった人もいますし、商人の娘と結婚したり、役者を廃業して商売を始めたりしています。職業を変えられなかった非人身分とは違うといえます。

そして1708年に、京都の人形芝居の小林新助が、穢多頭に興行の邪魔をされたことで訴訟を起こし、古い文書などを証拠に穢多頭は芝居の興行を管理する権限はないと主張し勝訴します。
このとき、それまで穢多頭が歌舞伎も人形芝居め自分の管轄だと言ってきたことが否定されるのです。

質問した人からのコメント

2018/1/8 00:22:46

ご回答ありがとうございました

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mbk********さん

2018/1/504:07:53

こちらには書き込むつもりはございませんでしたが、先の方が詳しくお書きですので、補足を兼ねて以下を申し上げます。

まず、現在まで被差別の原因となっているのは江戸時代の『穢多』と『非人』の制度です。よく『権力者から虐げられて……』被差別民とされたと誤解する人がいるのですが、非人の一部を除いて、ほとんどは特権や権益のために『穢多』『非人』になることを望んだのが実情です。
先の方のご回答にある河原者のことにしても、全ては川の利用の権益に関わっています。
例えば、川上で革のなめしに川を独占すれば、川下で染色などできませんし、革なめしも染色も続けば生活用水や耕作にも影響が出ます。かと言って革は武具や馬具には絶対に必要ですから、革なめしは止めさせられませんし、衣類も絶対必要ですから染色も止めさせられません。この調整に権力者が直接関われば必ず問題が起こります。その調整役となるのが『穢多』です。徳川幕府にその調整役を買って出て、許されたのが浅草弾左衛門です。
その支配方法は、そう言う特殊職業の権益を守ることと引き換えに、弾左衛門の配下になるというものでした。このため、自分の職業を守るために弾左衛門の配下に入る者や、行政上の都合や権益のために取り込まれる者も出てきます。行政の都合で浅草弾左衛門の配下となった一人が、非人頭の車善七でした。
非人とは、本来は犯罪者のことであり一種の『見せしめ』の刑罰です。死罪や遠島など重罪以下の刑罰として、5年を一区切りに、公民権の停止や居住の制限を受け、公共活動などの使役が課せられました。現在で言う懲役刑のようなものです。
逃亡を防ぐため、また一般人との不用意な接触をさせないために、入れ墨や髷を結えない長さに髪を切るなど、一目で非人と判るようにしてありました。
この非人の管理と運用を申し出た一人が車善七です。
浅草弾左衛門も車善七も、江戸開府以前から土着の調整役として活動していたと考えられています。

江戸の地では徳川氏はよそ者ですから、幕府としても土着の彼らを利用することによって、自治行政を円滑に進めようとしました。
しかし江戸が急速に発達することにより、権益の争奪が激しくなります。穢多頭とされていた浅草弾左衛門は別として、配下は権益の争奪戦で、その数の増減を繰り返します。ことに非人頭となっていた車善七 は、新たな権益を模索して浅草弾左衛門の配下から独立することを目指しました。

歌舞伎だけでなく、関八州で行われる全ての興行が、穢多頭の支配と一時期なっていたのは、この車善七の働き掛けによるものです。

あなた様が御疑念の出雲阿国が旅芸人であろうが遊女であろうが、彼女が生きていた時代では、穢多や非人の扱いにはなっていません。
よく初代市川團十郎の実父 堀越重蔵(十蔵)のあだ名が『菰の重蔵』であったことから、『菰=乞食の意味』として『市川團十郎は賎民の出身だった』などと決め付ける愚かな人がいますが、乞食が非人の扱いとなるのは重蔵の死後です。1651年頃、長嶋礒右衛門が乞胸頭となって無宿の牢人(浪人)=元 武士を管理下に置いたのが始まりで、1768年に山本仁太夫が乞胸頭となって12種の様々な大道芸を管理下に置きました。
間違えてはならないのは、乞食=乞胸というのは鑑札制度であって、身元保証と営業許可を48文で非人頭が請け負うというものでした。
つまり血筋や血統など全く関係ありません。

よく『非人の子は非人』と言われる非人とは犯罪者のことです。当時は連座制でしたからね。そう喧伝することで犯罪抑止をした訳です。
ですから仮に堀越重蔵が乞食であったとしても、子供の團十郎は非人にはなりません。

さらに間違えてはならないのは、穢多も非人も行政の最末端であって、犯罪者である非人を除けば、むしろ特権階級でした。穢多頭の浅草弾左衛門は士分の扱いで帯刀も許されていましたし、警察権の一部も与えられていました。時代劇の捕物で与力、同心に付き従い『御用だ!』と言っている大半は穢多や非人であり、残りは駆り出された住人です。
穢多が嫌われたというのは、この特権階級への妬みであって、個々の職業への嫌悪ではありません。

明治時代になり、徳川政権が瓦解すると浅草弾左衛門、車善七もその特権を失いました。海外から人権問題を指摘されて解放されたというのがよく語られることですが、実情は穢多非人が幕府の兵士として戦ったことが、この制度が解体される原因でした。

解体されても、再び上手く行政に入り込むことができた職種もあれば、全く失職してしまった人々も多くいました。この差が未だに差別問題が解決しない原因であり、そう言った歴史の事実を無視して、あるいは都合よく解釈して利用する輩を生んでいます。

私が何故このご質問に回答するつもりが最初は無かったと申し上げれば、この手の質問については過去に何度も行われており、私も度々同様の内容を申し上げております。そんな中には自称『部落問題研究家』なる方もいらっしゃいましたか、全く歴史的事実をご存知なく、自身の理論を正当化するためだけに暴論は吐き、また別の方は実際に差別問題で苦しまれておられました。
このように現実に他人を傷つけ、また実際に差別の被害を受けられている方もおられる内容を、何故質問者さんはお知りになりたいのでしょうか?
先の回答者さんもお書きになっておられますが、知ってどうなさるのでしょうか?
その意図については、お書きになってはいらっしゃいませんね。

なぜ質問しようと、お考えになりましたか?

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