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臣籍降下について どこから皇族で どこから皇族ではないのですか?

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ID非公開さん

2018/1/2301:10:02

臣籍降下について

どこから皇族で どこから皇族ではないのですか?

橘諸兄は臣籍降下したのに皇族ですよね 美努王

だけど平将門は皇族ではないですよね

これは極端な例で間違ってるかもしれませんが

補足wikiに橘 諸兄(たちばな の もろえ)は、奈良時代の皇族・公卿 とあったので

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lit********さん

2018/1/2304:13:15

今の皇族も姓を持っていません。

女性皇族が男性と結婚する際
その男性の籍に入り
姓を持って日本国籍を持つことになります。

皇族の大きな特徴が姓を持っていないということ。

姓を持っていない皇族が
皇族の身分を離れて臣下となるに際して
姓を下賜される
これが臣籍降下あるいは賜姓降下とかつて呼ばれ
現代での女性皇族などの場合は皇籍離脱と呼ばれます。

臣籍降下に際して下賜される姓は
古代においては橘諸兄など橘姓
源姓、平姓などいくつかあり
源、平などは多くの皇族が臣籍降下するに与えられ
全く別系統の源氏、平氏が存在していました。

橘諸兄は美努王という皇族だったのが
橘姓を下賜されて臣籍降下し
橘諸兄となったわけです。

将門に関しては
彼自身は生まれたときから皇族ではありません。

彼の祖父高望王が平姓を下賜されて臣籍降下し、平高望となり
上総介として現代の関東、当時の坂東に赴任し
その後その任から離れた後も坂東に土着し
その子、孫が坂東に根を広げていきました。

  • lit********さん

    2018/1/2304:18:46

    秋篠宮家の眞子さん

    現在では正しくは
    眞子内親王
    という皇族。

    結婚すると皇族ではなくなり
    日本国籍を持つ国民となります。

    かつてであればこれが臣籍降下であり
    現代では皇籍離脱と呼ばれます。

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2018/1/2517:53:26

701年に制定された大宝令、757年に制定された養老令などの律令には、皇族は「皇親」として規定されている。

『皇親の範囲は、律令下では、継嗣令:天皇の四世孫まで、706年の格で、五世孫までに拡大された。令では、皇親でない者は臣籍降下するとされた。』


但し、律令格式に、天皇の養子は禁止されておらず、後一条天皇の時に、親王宣下が緩やかに適用されるようになり、世襲親王家・世襲宮家ができる基ができてしまった。
ただし、臣籍降下したとたん皇親からは切り離され臣下の身分になった。
王ですらなくなった。
日本の王氏は賜姓による臣籍降下ではないが、代が下ったことで自動的に皇親の範囲から外れた者であった。
臣下として、奉幣使・神祇伯の職に就いた。やがて白河氏の名字を使う。

設問の橘諸兄は、葛城王(皇族)から橘宿禰をなのり、橘氏の氏長者となり、正一位・左大臣に昇りつめている。立派に、元皇族の貴族であった。

明治以降の皇室典範では、皇族の範囲は新たに定められている。
(ここでは述べない。)


皇族(皇親)が官職を持っていた例は当たり前に出てくる。
官職任官では、八省卿、大宰帥、親王任国の国司など、親王は官職への任官をゆるされた。

親王任国は親王しか国守になれなかった。



臣籍降下し賜姓された皇族(皇親)が皇族に復帰する例もある。天皇になった例すらある。

宇多天皇は、光孝天皇の第七皇子として貞観9年:867年に生まれたが、元慶8年:884年に臣籍降下し、源定省になった。仁和3年:887年に皇族に復帰して親王宣下・立太子され、光孝天皇の崩御で即位した。

醍醐天皇は、885年、臣籍に降下していた源定省(後の宇多天皇)の長男・源維城として生まれたが、父:定省の皇籍復帰と宇多天皇即位により、皇親身分を『取得』。893年、立太子、897年に元服、即位している。


何処までが皇族で、どこからが臣籍に入るかは、その時の皇室や朝廷の懐具合で決まることが多い。
また、皇位を狙う時代には、皇族間で足の引き合いも強かったため、
危なくなった親王・王が自ら臣籍降下して雌伏した時代もあった。

史実ではないが、源氏物語では、主人公は実家が弱かったので生後すぐに臣籍降下している。
しかし、その子供は、こっそりと天皇の地位についていて自信を太上天皇の地位に付けようとしている。

高校時代読んだときは、無体と思ったストーリーだったが、あながち無理な設定ではなかったと考えるようになった。

村上天皇は、藤原氏を外戚に持つが、親政に走った人。
兄の朱雀帝、次代の冷泉帝は、源氏物語の天皇として名前が出てくるが、
村上帝の名は、源氏にはない。
しかし、作中では光源氏は冷泉帝の実父とされている。

当時の宮中では、そんなゴシップが生まれる生地が有ったのかもしれない。
(皇族か否かの違いの基準も)

ouh********さん

2018/1/2309:21:23

皇族ではありません。

生半可な知識ではいけません。

臣下になれば本籍地を与えられ官僚への道が開けますが、皇族のままでは、位階と、給付金がもらえるだけなのです。

皇族のまま、代が進むと、無限大なので皇孫の孫からあとは、皇族から外れます。平将門はそれで、臣下でなくても、皇族でなくなります。

sp7********さん

2018/1/2308:12:10

皇族:法親王、親王、王、内親王、女王と表記され姓がない
臣:皇族から臣籍降下すると源平等の姓が下賜される

臣から皇族に復帰した例はない。
例外的に維新時に皇族不足のため一部の法親王を還俗させて親王としたことがある程度。
皇族と臣下の身分差は歴然としており、公文書で公表されます。間違いようがありません。

usai21さん

2018/1/2306:48:48

〉橘諸兄は臣籍降下したのに皇族ですよね
橘諸兄は葛城王が臣籍降下して橘諸兄となるのですよ。
臣籍降下したのに皇族というのは矛盾していませんか?
葛城王は皇族です。橘諸兄は臣下です。

同じように平将門は「平」という氏を持った臣下ですよ。
祖父の高望王の代にとっくに臣籍降下しています。
臣籍降下して三代もたっているのでどう考えても皇族とは言えません。

なお、皇族の定義は律令にきちんと定義があり天皇の四世孫までが皇族とされ、のちに五世孫まで拡大されました。

しかしながら、五世までの何世代目であろうが、臣籍降下を奏上して許されれば、その本人から臣下です。


〉美努王だけど平将門は皇族ではないですよね
この一文はちょっと意味がわかりませんが、美努王は敏達天皇の三世または四世孫です。

ほちえさん

2018/1/2301:45:04

>橘諸兄は臣籍降下したのに皇族ですよね

臣籍降下した時点で皇族ではないですよ。

王がついても天皇の何代目の子孫かで、皇族かどうかは違ってきます。
五世王は時期によって、皇族だったりそうでなかったりします。

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