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鎌倉幕府の時代の事がよく分かりません。

chi********さん

2018/2/721:28:47

鎌倉幕府の時代の事がよく分かりません。

テストには詳しいところも出るので、出来れば詳しく説明お願いします

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ozy********さん

2018/2/723:13:04

1192年 源頼朝が鎌倉幕府を開き、征夷大将軍となる。
源頼朝は実権をにぎっていた平氏を倒すのに活躍しました。
征夷大将軍は幕府の最高位です。
1199年 頼朝が死去。息子頼家が2代将軍となる。ここで頼朝の妻北条政子やその父時政が実権をにぎります。
1202年 頼家が将軍をやめる。
1203年 時政が頼家を倒し、初代執権となる。頼家の弟実朝が3代将軍となる。
執権は将軍を助ける地位で、北条氏が独占することになります。
1205年 時政が実朝追放に失敗。伊豆に隠居。子の義時が2代執権となる。
1219年 実朝が頼家の子公暁に暗殺される。
その後源氏の将軍は途絶え、遠い血筋になります。後期には天皇の何代も下の子供親王になります。ですので事実上執権が実権をにぎります。
1221年 後鳥羽上皇が義時追討し倒幕のために挙兵。ここでは天皇と戦うことに恐怖を感じていた御家人を北条政子が団結させ、見事勝利をおさめます。
御家人とは国や田を守っている武士のことです。将軍が御家人に領地を与えることを御恩といいます。御家人が戦いを命懸けでやることを奉公といいます。この関係で幕府は支えられていました。
これにより京都の天皇がいる朝廷を監視する六波羅探題ができます。
1224年 義時が死去し、子の泰時が3代執権となる。
1232年 泰時が御成敗式目を定めます。
御成敗式目は武士が作った初の法律です。
1234年 源氏の血筋が途絶える。
1242年 泰時が死去。子の経時が4代執権となる。
1246年 経時が死去。弟の時頼が5代執権となる。
時頼は幕府に反対する人物を処罰して、独裁政治を推し進めます。
1256年 時頼が出家し、義時の孫長時が6代執権となる。
しかし、実権は時頼がにぎっていました。
1263年 時頼が死去。
1264年 長時が出家。義時の子政村が7代執権となる。
1268年 政村が出家。時頼の子時宗が8代執権となる。
1274年 時宗24歳で元(中国)に征服されることを拒否。
元が兵を日本におくる。(文永の役)
日本は元の鉄砲に苦しむが、撃退。さらに暴風雨で元軍後退。
時宗は防塁(柵)を作り、元軍に備える。
1281年 時宗31歳でまたも元軍がくる。(弘安の役)この2つの役を元冦という。
またも暴風雨で元軍後退。
御家人は戦ったのに領地が与えられなかったことで、御恩と奉公の関係が崩れます。
1284年 時宗体力を使いすぎ、34歳で死去。子の貞時が9代執権となる。
1297年 貞時が永仁の徳政令を出す。
これは領地がもらえず借金をしていた御家人にたいして借金を無しにする命令です。これは御家人の混乱を招き、幕府は衰えていきます。

ここからの執権は次々と変わり、16代まで続きます。

1331年 楠木正成が倒幕に挙兵。
1333年 14代執権高時の命令を足利尊氏がうらぎり後醍醐天皇にしたがい、挙兵。
新田義貞が六波羅探題を滅ぼし、激戦の末、鎌倉幕府も滅びました。

こうして北条氏は滅亡し鎌倉時代はここに終わったのです。

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nic********さん

2018/2/722:40:43

教科書に詳しく書いてあります。

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