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オリンピックでの北朝鮮には全く興味ないのにめちゃくちゃ放送するのは何故ですか?

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ID非公開さん

2018/2/1218:11:17

オリンピックでの北朝鮮には全く興味ないのにめちゃくちゃ放送するのは何故ですか?

それより拉致被害者のことを放送してほしいです。

補足即、チャンネル変えてやります

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ベストアンサーに選ばれた回答

kou********さん

2018/2/1220:55:15

私も同感です。一般国民(視聴者)の思いとTV局の意図が大きくずれていると思います。こちらは北朝鮮に興味もないのにも関わらず、TV局には北朝鮮寄りの人間が結構いると聞いたことがあります。左側の人たちですね。一生懸命売り込んでいるような気さえします。
今回の五輪はあまりにも政治色が強く抵抗があります。平壌オリンピックですね、まるで。

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    質問者

    ID非公開さん

    2018/2/1222:02:30

    ありがとうございます。
    同じ感覚の方のご意見嬉しいです。
    あんな美女軍団見せられても彼女たちが気の毒で気分が悪くなります。
    政治色というのでしょうか?良くわからないのですがなんとなく古臭く見えるといいますか…画面が…

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質問した人からのコメント

2018/2/18 19:47:54

世の中にはずいぶん暇な方がいらっしゃってうらやましい限りですが、
とにかく皆様有り難うございました。
最近ようやくあまり美女軍団もみかけなくなりいい感じです!

ベストアンサー以外の回答

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bei********さん

2018/2/1615:41:40

●40年目の検証 私の拉致取材35
2018年2月16日 第11章
◆「北朝鮮による」と初めて明言した梶山答弁
拉致報道の検証に欠かせない重要なこと、と私は考えるので「メディアが死んだ日」<1988年(昭和63年)3月26日>の国会での質疑を続けたい。
ー未遂事件で遺留した物品があったようですが、これについての検討で犯人像は何か出てきませんか。
「遺留品について見ますと、ゴム製猿ぐつわ、手錠、タオル、寝袋などがあるわけでございますが、その使われましたタオルのうちの一本が大阪府下で製造された品物であるということがわかっておりますが、他のものにつきましてはいずれも粗悪品でありまして、製造場所とか販売ルートなどは不明でございます」
ー袋とか手錠とか、はめた猿ぐつわとか、日本で販売している、日本で製造されている、そういった状況は一切なかったわけですか。
「そういった点につきましては、もちろん手を尽くしていろいろ調べたわけでございますが、結果として、先ほど申し上げたように、製造元とかあるいは販売ルートなどがわからなかったということでございます」
ちなみに、ここでは連載26回目(2018年2月6日付)で取り上げた遺留品の廃棄処分については一切触れられなかった。その事実が明らかになるのは、ずっと後、1997年(平成9年)のことだ。
■「真相究明に全力」
続いて原 敕晁(はら ただあき)さんに成りすまして入国した韓国で逮捕された北朝鮮の大物工作員、辛光洙(シン・グァンス)容疑者や共犯の金吉旭(キムキルウク)・元朝鮮学校校長に触れた後、質問者の橋本敦議員(共産党)はアベック3組の家族たちの心痛を訴え、質問した。
ー捜査を預かっていらっしゃる国家公安委員長として、こういう家族の今の苦しみや思いをお聞きになりながらどんなふうにお考えでしょうか。
梶山静六国家公安委員長(自治相)は、それまでの質疑を括るように答えた。
「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性にかんがみ、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、御家族の皆さん方に深い御同情を申し上げる次第であります」
これを通称「梶山答弁」という。
拉致について1度も公式に言及していなかった政府、警察が初めて北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を認めた。
それまで拉致については、言ってみればゼロ回答だったのだから、一歩踏み込んだというレベルの話ではなかった。
続いて警察庁の城内康光警備局長が答弁した。
「一連の事件につきましては北朝鮮による拉致の疑いが持たれるところでありまして、既にそういった観点から捜査を行っておるわけであります。
一般論としてお答えいたしますと、被疑者が国外に逃亡している場合には時効は停止しているということが法律の規定でございます」
先に紹介した1980年の国会では当時、警察庁の刑事局長が次のように答弁して3件の事件性、4件の関連性に否定的だったことは、すでに書いた。
繰り返しになるが、質問にも答弁にも「北朝鮮」「拉致」はなかった。
「まあ、この4つの事件、1つは確実な事件でございますが、あとの3つの問題と結びつくかどうかという問題でございますが、(中略)現在までの捜査では、富山県の事件と他の3つとの間に関連性があるという客観的な証拠は実は何もないわけでございます。確かに大変同じ時期にそうした若い男女が約40日ぐらいの間にいなくなっておりますから、そういう点については確かにご不審をお持ちの向きもあろうかと思いますが、私ども純粋に捜査の立場から申し上げますと、いまのところ客観的な関連性というものは出てまいっていない」
■「地をはう捜査の結果」
8年を経て「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と変わった。
なぜなのか。
衆院内閣委員会で、いつ北朝鮮による拉致と突き止めたのか、という西村眞悟(自由)の質問に警察庁の奥村萬壽雄警備局長が時期の明示を避けつつ、次のように答えたのは、さらに後の2002年11月6日のことだった。
「福井、新潟、鹿児島で連続発生しましたアベックの拉致容疑事案、それから富山県で発生をいたしましたアベック拉致未遂事案、これにつきましては、発生の時点では、目撃者がいない、証拠品もほとんどいないということであったわけであります。警察といたしましては、ご家族その他の関係者からの事情聴取、付近の聞き込み、その他可能な限りの裏付け捜査を行いました他、韓国当局を含む関係機関との情報交換など、1つ1つ証拠を積み重ね、情報を集める、まさに地をはうような捜査を営々と行ってきまして、その結果、北朝鮮による拉致容疑事案と判断するに至ったわけであります」(委員会議事録から)
■政府が「濃厚な拉致の疑い」の初言及したアベック連続失踪
(★は拉致、☆は誘拐未遂。敬称略。年齢は当時)
★昭和53年7月7日 福井県 地村保志(23歳)、浜本富貴恵(23歳)
★昭和53年7月31日 新潟県 蓮池薫(20歳)、奥土佑木子(22歳)
★昭和53年8月12日 鹿児島県 市川修一(23歳)、増元るみ子(24歳)
☆昭和53年8月15日 富山県 男性(20代)、女性(20代)

mop********さん

2018/2/1510:45:45

北朝鮮の動向に興味持てよ

この先、南北統一、在韓米軍撤退の可能性が少なくない

そうすると極東の日本は非常に窮地に立たされる

これは日本の存立危機だ

既成事実化した自衛隊を後付けの追認しようとしてるにすぎない憲法改正の問題なんて我が国の存立危機に比べたら小さな問題だ

nir********さん

2018/2/1509:11:54

●40年目の検証 私の拉致取材33
2018年2月14日 第11章
◆束の間の間氷期 再び虚報、誤報へと戻る
「李恩恵」が、1980年(昭和55年)に産経新聞が報じたアベック3組の女性(浜本=現・地村=富貴恵さん、増元るみ子さん、奥土=現・蓮池=祐木子さん)の誰にも該当しないことが分かり、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元工作員の発言の信憑性が揺らぎかかると、その反動もあってだろう、拉致報道は潮が引くように止んだ。
一方で、大韓航空機爆破事件の韓国陰謀説が韓国内ばかりか日本でも一部政党やマスコミによって、まことしやかに紹介されたりもした。
アベック3組の拉致疑惑は再び、虚報、誤報の世界へと戻った。
1997年(平成9年)の横田めぐみさん拉致疑惑発覚まで続く拉致報道の「第2氷河期」が始まった。
わずか2カ月足らず、間氷期は束の間だった。
■拉致への無関心
<拉致された直後は確証がなかったにしても、大韓航空機爆破事件の時は、金賢姫元北朝鮮工作員の証言から、北朝鮮による日本人拉致があったことはかなりの確度で言えた。
報道は弱者救済という使命がある。
被害者が連れ去られ、被害者自身や家族が大変悲痛な思いで助けを求めていた。
各社がこぞって事件を北朝鮮との関係から取り上げていれば、世論は怒りの声を上げ、政府、政党も積極的に動かざるを得なくなっていただろう。
客観的には、政府の怠慢は否定できないが。>
前述した2002年11月30日開催の一般社団法人共同通信社「報道と読者」委員会での元最高検検事、土本武司氏の発言だ。
耳の痛い話だが、マスメディアの拉致への無関心は、その程度では済まなかった。
バブル景気真っ只中、私が「メディアが死んだ日」と自戒を込めて言い続けている1988年3月26日を迎える。
この日の意味合いを理解いただくため、ここまでの軌跡を簡単に整理する。
①産経新聞が北朝鮮によるアベック3組の拉致疑惑、1件の拉致未遂事件を報じる(1980年1月)。虚報、誤報とされる
②政府、3件の事件性、4件の関連否定答弁(1980年3月)
③富山の未遂事件、公訴時効を迎える(1985年)
④辛光洙(シン・グァンス)容疑者ら韓国で逮捕。原 敕晁(はら ただあき)さん拉致発覚(1985年)
⑤大韓航空機爆破事件(1987年11月)
⑥金賢姫元工作員、日本から拉致された日本人女性「李恩恵」の存在を証言(1988年1月)。アベック3組の女性と「李恩恵」の関連に注目が集まる(1988年1~2月)
⑦金賢姫証言の信憑性が揺らぎ、アベック3組の拉致疑惑は再び、闇の中へ(1988年3月)
■答弁で「事件」明言
「メディアが死んだ日」と大仰に書く以上、マスメディアが報じることがなかった、この日の参院予算委員会の質疑を正確に再現したい。
質問者は橋本敦議員(共産党)、答弁した政府委員は警察庁の城内康光警備局長だった。
今度は、1980年の時と違い、一般の刑事事件を所管する刑事局長ではなかった。
★橋本敦議員(共産党)
<昭和53年7月と8月、わずか2カ月間に4件(注・未遂含む)にわたって若い男女のカップルが突然姿を消すという事件が立て続けに起こっているのであります。
これは極めて重大な事件でありますが、福井、新潟、鹿児島そして富山、こうなりますが、この3件の事件の概要について述べてください>
1980年の報道から8年、アベック3組の拉致疑惑が初めて国会の場で取り上げられた瞬間だった。
★警察庁の城内康光警備局長
「お答えいたします。
まず、昭和53年7月7日に福井県の小浜市で起きました男女の行方不明事件についてでございますが、当該男性は7月7日にに同伴者とデートに行くと言って軽貨物自動車で家を出たまま帰宅しなかった。
自動車はキーを付けたままの状態で発見されております。
当該女性はデートに行くと言って帰宅しなかったけれども、この同伴者と結婚することになり大変喜んでいた状況がございまして、自殺することは考えられません」
答弁の中で行方不明「事件」と明言した。
前述したように1980年時点では警察庁は「問題」としていた。
アベック3組の蒸発を、捜査当局が、やっと「事件」と認定したのだ。

●40年目の検証 私の拉致取材34
2018年2月15日 第11章
◆「拉致された疑い」に初めて触れた警察当局
1988年(昭和63年)3月26日、「メディアが死んだ日」の参院予算委員会での城内康光・警察庁警備局長の答弁は続く。
福井事件の概要説明の次は新潟事件だった。
■失踪の動機なし
「(昭和)53年7月31日に新潟県の柏崎市で起きた事件でございますけれども、やはり当該男性が家の者に、ちょっと出かけてくる、自転車を貸してくれと言って自転車で出かけたまま帰宅しなかった。自転車は柏崎の図書館前に置いてあったのが発見されたわけであります。当該女性は、勤務先の化粧品店で仕事が終わった後、同伴者とデートすると店の従業員に話しておりまして、これも家出などの動機はございません」
続いて鹿児島事件に移った。
「3つ目に、同年8月12日に鹿児島県で起きた事件でございますが、当該男性は同伴者を誘って浜に、海岸に夕日を見に行くと言って出たきり帰宅しなかったということでございます。14日の日に、その浜のキャンプ場付近でドアロックされたまま車両が発見されております。女性も家の者に浜に夕日を見に行くと言って出たままであるということで、これも動機はありません」
最後は富山事件だった。
「富山県で起きました未遂事件のことでございますけれども、この事件につきましては、8月15日の午後6時30分頃、海岸端を歩いていた被害者である男女が自分たちの乗車してきた自家用車の駐車場に変えるために防風林の中を歩いていたということで、そうしたら前方を歩いていた4人組がいきなり襲いかかって、防風林内に引きずり込んでゴム製サルグツワあるいは手錠、タオルなどを使用して縛り上げて、それぞれ寝袋様のものに入れたと。そして現場から数十㍍離れた松林内に放置したということで、原因は分かりませんが、その4人組はいなくなりまして、その後、その男女は別々に自力で脱出いたしまして110番した、こういう事件が発生しております」
■笑顔を残して蒸発?
いずれも被害者名は伏せられていたが、いずれの事件も産経新聞が1980年1月7日に報じた内容と重なる。
富山のケースも公訴時効がとうに成立した逮捕監禁致傷事件ではなく、初めて拉致未遂事件とされた。
ー未遂事件を除いて忽然と姿を消した3組の男女について、今も(家出、自殺などの)動機はないとおっしゃいましたが。いずれも結婚の約束をして挙式を目前にしている。そういうわけで家族も、家出などは絶対に考えられない、こう言っておりますし、さらにまた残されたカメラを現像してみますと、仲良くそれぞれ写真を撮ってそのまま残しているということで、こういう笑顔を残して蒸発してしまうということも、これも異様である。こういうことから、これは誘拐された、こう見るのが当然だと思いますが、どうですか
■傍聴していたら
ここから、当時としては驚くべき答弁が始まる。
「概ね、そういうことではないかという風に考えております」
ーしたがって、水難で海で死んだとか、自殺をしたとかいったような状況も一切ないわけですね。そこで問題は、この3件についていくつかの共通点がある。いずれも日本海側の浜辺、これが犯行現場と目される。それから若い男女が狙われている。それからもう1つの点として言うならば、全く動機が何もないということと、その後、営利誘拐とみられる、あるいはその他犯罪と国内でみられるような国内状況が一切ない、こういう状況がはっきりしている、いかがですか
「諸般の状況から考えますと、拉致された疑いがあるのではないかという風に考えております」
すでに拉致が周知のことになっている「今」の視点からは、ごく当たり前の答弁に感じられるだろう。
しかし「今」ではない。
1988年のことだ。
もし、私が記者席で傍聴していたら、きっと震えが始まっていただろう。
■昭和53年に続発した失踪事件と誘拐未遂
・失踪事件
7月7日 福井県 地村保志(23)、浜本富貴恵(23)
7月31日 新潟県 蓮池薫(20)、奥土佑木子(22)
8月12日 鹿児島県 市川修一(23)、増元るみ子(24)
(鹿児島事件の被害者、市川修一さんと増元るみ子さんは失踪当日、同じ場所で互いに写真を撮り合っていたことが、残されたカメラのフィルムを現像して判明。蒸発する2人の行動としては不自然だとの指摘があがっていた)
・誘拐未遂
8月15日 富山県 男性(20代)、女性(20代)

●大韓航空機爆破事件
http://grnba.com/iiyama/img03/KALblast/index.html

●一般社団法人共同通信社 「報道と読者」委員会
第8回会議(朝鮮民主主義人民共和国による拉致事件)
2002年11月30日開催
http://www.kyodonews.jp/committee/conference/2002/8.php
(抜粋)
メディアの責任
―拉致事件報道では、二十四年間に何度か真相に迫る機会があった。メディアの責任をどう考えるか。
土本委員 拉致された直後は確証がなかったにしても、大韓航空機爆破事件の時は、金賢姫元北朝鮮工作員の証言から、北朝鮮による日本人拉致があったことはかなりの確度で言えた。
報道は弱者救済という使命がある。
被害者が連れ去られ、被害者自身や家族が大変悲痛な思いで助けを求めていた。
各社がこぞって事件を北朝鮮との関係から取り上げていれば、世論は怒りの声を上げ、政府、政党も積極的に動かざるを得なくなっていただろう。
客観的には、政府の怠慢は否定できないが。

●「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」
【産経新聞 昭和55年1月7日付朝刊1面】
http://nyt.trycomp.com/nenpyo/siryo08.html

●40年目の検証 私の拉致取材33
2018年2月14日 第11章
◆束の間の間氷期 再び虚報、誤報へと戻る...

bon********さん

2018/2/1411:59:01

まあオリンピックはそういうものですから
仕方がありませんね・・・

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

exo********さん

2018/2/1314:32:39

●40年目の検証 私の拉致取材32
2018年2月13日 第11章
◆衝撃証言「拉致された日本人女性から教育を受けた」
■「李恩恵」とメディアが死んだ日
産経新聞社会部から志願して整理部に異動して半年ほど経った1987年(昭和62年)11月29日のことだった。
バグダッド(イラク)発アブダビ(アラブ首長国連邦)、バンコク(タイ)経由ソウル(韓国)行きの大韓航空機がビルマ(現ミャンマー)沖上空で爆破され、中東から出稼ぎ帰りの韓国人ら115人(乗客104人、乗員11人)の命が奪われた。
アブダビで降りた「蜂谷真一」と、その娘「蜂谷真由美」名義の偽造日本旅券を所持していた男女が身柄を拘束された。
いずれも北朝鮮工作員で、父役の金勝一(キムスンイル)容疑者(当時59歳)は隙をみて服毒自殺し、娘役の金賢姫(キムヒョンヒ)容疑者(当時25歳)だけが逮捕されて韓国へ移送された。
間もなく犯行を全面自供。
翌年1988年に開催予定だったソウル五輪を妨害するため、荷物棚に爆弾を仕掛けたと供述した。
■「李恩恵」は誰?
北朝鮮は、「金賢姫」なる人物は北朝鮮には存在しない、として事件への関与を強く否定した。
金賢姫元工作員の逮捕劇の陰には現地の日本人外交官の活躍があったのだが、もし、あのまま「日本人父娘」が計画通りに逃走し、行方をくらましていたら、全く別の問題が浮上していたに違いない。
航空機爆破というテロ自体が衝撃的だったが、日本を震撼させたのは年が明けた翌年1988年の1月15日、テレビに流れた金賢姫元工作員の記者会見での一言だった。
「『李恩恵』という日本から拉致された日本人女性から(日本人化)教育を受けました」
すでに事実が明白、と私には思えた久米裕さん、原 敕晁(はら ただあき)さんの拉致やアベック3組拉致疑惑には全くと言っていいほどに関心を示さないできたマスメディアが色めき立った。
日本から拉致された女性?
そんな人が本当にいるのか?
それは一体誰なのか?
いるとすれば、産経新聞が8年も前に、北朝鮮によって拉致された疑いが濃厚と報じたアベック3組の女性だけだった。
福井事件の浜本(現・地村)富貴恵さん、鹿児島事件の増元るみ子さん、新潟事件の奥土(現・蓮池)祐木子さん。
金賢姫元工作員の日本人化教育係だったという「李恩恵」とは、このうちの誰なのか。
メディアの関心が集中した。
整理部員の私は雑誌「正論」1988年3月号に
<9年前に取材した”真由美”(注・金賢姫元工作員のこと)の教師>
という拙稿を依頼されて書いた。
<「恩恵」が3人の蒸発女性のだれなのか、といった推測報道も行われている。「恵」の字が共通することから、浜本富貴恵さんではないかという見方もある。私は、この推測を支持する。が、「別の日本人女性」であるかもしれない、とも思う。私たちが線で結んだ3つの”点”以外に、海辺で、あるいは街角で埋もれてしまっている”点”が、もっとあるのではないかーそんな思いが、(取材した)9年前から消えないからだ>
結果からすれば「李恩恵」は、別の”点”だったわけだが、そうした”点”が存在する、つまり他にも拉致被害者がいることに確信があったわけではなかった。
■まるで線香花火
政府も警察も、まだ拉致疑惑の存在そのものを認めてはいなかったが、金賢姫元工作員の発言を受けて、長い間、産経新聞の報道を虚報扱いし続けてきた新聞、テレビがこぞってアベック3組を、まるで自社の既報であるかのように扱う報道が溢れた。
唖然としたが、アベック3組に関心が向けられること自体は、悪いことではなかった。
拉致問題に消極的だったとされる朝日新聞も、2002年12月27日付の検証記事で
<恩恵の存在が明らかになった88年1月から翌月にかけ、朝日は3事件(注・アベック3組拉致疑惑を指す)に触れた記事と投書を17本掲載した>
としている。
他紙も同様だった。
アベックの家族たちは時ならぬマスコミのメディアスクラム(集団的過熱取材)に晒され、疲労困憊した新潟の蓮池家では「取材お断り」の張り紙を出したほどだった。
ところが、洪水のような報道は、ほんの一時でしかなかった。
「まるで線香花火のような騒動だった」
と被害者家族たちは述懐した。

●田口八重子さん
http://nyt.trycomp.net/jokyo/03.html

●2017.3.29 17:00更新
【拉致40年 家族の慟哭(4)】
「不思議な力で歯車がかみ合った」…局面を打開した少女の存在
http://www.sankei.com/world/news/170329/wor1703290038-n1.html

●2017.6.8 21:52更新
【北朝鮮拉致】
大物工作員、対日活動に従事 戸籍・身分乗っ取り
http://www.sankei.com/world/news/170608/wor1706080067-n1.html
警察当局は日本人拉致事件に関与した複数の北朝鮮工作員を特定し国際手配している。
大阪市の原敕晁さんを拉致した辛光洙(シングァンス)容疑者は対日工作をめぐる“大物工作員”の一人とされる。
辛容疑者は日本で出生。
先の大戦後、富山県高岡市から朝鮮半島に帰った。
朝鮮戦争を前後に北朝鮮工作員となり対日活動に従事。
日本に土地勘があり、工作船で密入国・出国を重ね、協力者獲得や政治動向の調査などに奔走したようだ。
拉致への関与は色濃い。
昭和53年、福井県で地村保志さん(62)と富貴恵さん(62)を拉致。
北朝鮮では、曽我ひとみさん(58)や田口八重子さん、横田めぐみさん(52)=拉致当時(13)=の教育係も務めたという。
原さん拉致は戸籍や身分を乗っ取る「背(はい)乗り」が目的。
原さん名義の旅券を不正取得して各国へ渡航し、地下組織指導のため入国した韓国で逮捕されるまで、さまざまな工作に関与した。
韓国当局による「思想転向」要求を拒否したが、原さん拉致については自供。
日本は通報を受けて初めて事件を把握した。
一方、北朝鮮は日朝首脳会談で拉致を認めた平成14年、田口さんについて、原さんと同様に青島海岸で拉致したと説明したが不明な点は多い。
辛容疑者は昭和48年ごろ工作船で石川県に入り、十数年間、日本を足場に工作活動を続けたとされる。
宮崎の漁業関係者は
「昔は不審船がウヨウヨ。足が速く、無灯火で走り回っていた」
と話す。
沖合に母船とみられる謎の大型船舶が停泊。
拉致が多発した日本海側の海岸と似た状況で、地元警察も神経をとがらせ不審者や不審船の警戒を呼びかけていた。
その周辺で辛容疑者は活動していた。
日本は平成3年、昭和62年の大韓航空機爆破事件をめぐり実行犯の教育係だった拉致被害者「李恩恵」を田口さんと特定したが、北朝鮮は李恩恵の存在そのものを否定した。
原さんと田口さんが結婚していたとも主張したが、帰国被害者の証言などから死亡とした時期以降にも田口さんの目撃情報があり、独身だったとの証言もある。
北朝鮮の主張は矛盾や偽りが多く、辛容疑者の工作の全容はいまだ不明だ。
辛容疑者は北朝鮮では英雄とたたえられ、記念切手まである。
田口さんは53年6月、原さんは55年6月に拉致され、日本に帰国できないまま、40年がたとうとしている。(中村昌史)

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