カトリックで「女性司祭」が認められる可能性はありますか?

カトリックで「女性司祭」が認められる可能性はありますか? 私(洗礼志願中)の個人的な考えを言えば、修道者の数は女性のほうが男性よりも多いのだから、女子修道院に付属する小教区教会を発足させることは、さほど難しいことではなく、教会の活性化につながるのではないかと思うのですが。そうすれば、女性司祭がみずから修道院内でミサを捧げることができて、女子修道者がいちいち男性司祭のいる教会のミサに行かねばならないという不便もなくなるし、司祭になれるということになれば、修道者をめざす若い女性も増えるのではないかと思うのですが(男はとかく若い時は欲望ムラムラで、生涯独身を守らねばならない職業に就くことへの抵抗感が大きくて、それが召命の減少につながっていると思いますが、女性の場合はそういう抵抗感をもつ人は少ないですしね――「女性には性欲はない」という俗説は嘘ですけど)。 俗界でも、今から五十年ぐらい前は、「女性がせっかく大学を出ても、どうせ大学教授とか裁判官とかいう職業にはほとんど就けないんだから」という理由で、女子学生の向学心が損なわれ、親も「娘が大学へ進学するといったって、どうせ花嫁修業の一種だ。国文科か英文科あたりに行っておればよい」と言うことが多く、女子学生がやたらと文学部にばかり集中して、「女子大生亡国論」が唱えられていましたが、今は、テレビニュースで裁判官席が映るとき、女性裁判官の姿が見えるのがむしろ普通で、だから法学部に進学する女性も増えています。 「司祭になれるのなら、神学部を志望します」という向学心のある女性はけっこういると思いますよ。塩野七生さんとか竹下節子さんのような知的レベルの人は、世が世なら神学部に行ってカトリックの司祭になっていたと思いますよ。 ちなみに、私は今まで仏教徒を長くやってきたので、仏教界が「肉食妻帯解禁」によっていかに堕落したかは痛感しております。信仰共同体であるべき寺院が世襲の家業になってしまったことで、仏教教団が女性の活躍の場を開くのは「住職の奥さん(坊守)の地位を高める」ことを通じてのみだという、ジェンダー不平等な体制になり、尼寺の存在意義が失われてしまいました(尼僧志願者も激減してしまいました)。「一休さん」の劇に出てくるような独身を守る男性僧の寺院があるとともに、独身を守る女性僧の寺院もあるという江戸時代までのあり方のほうが、むしろジェンダー平等に近かったのです。あれで尼さんが指導的地位にも就けるようになれば、ジェンダー平等へ向けて大きく前進できたはずなんです。カトリックの現状は「肉食妻帯解禁」より前の日本仏教界のあり方に近いと思います。

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ベストアンサー

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まず今の教皇の時代には、無理でしょうね。 それに仮に女性司祭が誕生するとなっても、 準備期間が短すぎます。 今は修道者が減少傾向にあり、 修道服から私服に変えて、俗人の生活をしながら使途職をおこなっているという、 修道者なのか信徒なのか、一見わからないところもあります。 それに、修道院自体が閉院になっているところも、多くなってきました。 シスター.志願者も、最近は特にベトナム人が多いです。 司祭は、スリランカ人やインドネシア人が、 増加傾向にあります。 地元の教会を直轄している修道院の管区が、スリランカなので。 ヨーロッパは、一度引退なさった司教様が、 司祭不足を補うために、もう一度戻ってくることもあります。 一度イタリアで、その戻って来られた司教様に、 私は巡礼の祝福をしていただきました。 シスター.に支えられながら、ゆっくり歩くそのしぐさを見ると、 司祭不足を身に染みて感じました。 だからといって、女性司祭が誕生するかというと、 それもあり得ません。シスター.の召命・志願者がかなり深刻です。 さらに深刻なのは、初誓願を立てて有期誓願者となり、 有期誓願者が終生誓願を立てるまでの道のりが、 かなり厳しいです。 有期誓願中に更新できなかったシスター.も、中にはいます。 一般信徒に戻っています。 ですので我々信徒も、いろんな方法で修道会や教会で奉仕しています。 例えば聖ドミニコ信徒会。 ここは在俗会的信徒使途職を、各家庭・社会・職場で行っています。 いわゆる修道会に属さないで、一般家庭の中で奉献生活を送ります。 聖ドミニコ信徒会出身で有名なのは、 シエナの聖カタリナ、リマの聖ローサです。 この頃は信徒会の修道服を着て、活動されていたそうですが、 今は終生誓約をたてた人のみ、修道服を特別なときのみ、 着用して活動なさっています。 実は憧れていて、まもなく修練2年目に入りますが、 これが難しいです‼

>まもなく修練2年目に入りますが、 ↑これはこれは、すばらしい適任の方からご回答をいただき、光栄です。今日は灰の水曜日ですので、いろいろ考えさせられるところあって、質問を立てました。終生誓願まで、お志を貫徹するお力が、神様からあなたに恵まれますように。 私自身はじつはトランスジェンダーMTFという例外的な性別の者ですが、もし生まれつきの女性に生まれていたら、女性を司祭に登用する制度があってほしいと思っただろうと考えています。 わたしはせいぜい長生きしてもあと20年~30年たてば世を去りますが(となりのトトロが想定している時代より前の生まれです)、目の黒いうちに「女性司祭の養成が始まった」というニュースを聞きたいものです。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

specialgoodgod_carrier さんも tarekyoushi さんも、いつもながらありがとうございましたが、ベストアンサーはひとつしか選べませんので、このたびはいちばん異色な回答をお寄せくださったかたをベストとさせていただきました。

お礼日時:2018/2/19 6:39

その他の回答(4件)

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わたしも、妻帯を許すより、女性司祭を認めるほうが現実的と思えます。 「すぐ来てください」という求めに子供が発熱していたり、奥さんが産気づいたりしていたら応じられないですものね。 道は遠いと思いますが。。。そして女性も自らの希望を臆せず発信すべきです。 パターナリズムにどっぷりつかっているせいか女性の発信力も弱いと思います。 女性が霊的、実務的に男性に劣るということはありません。 教区でのカテキスタ養成も積極的に行われおらず、入門講座(司祭、修道者も不足しており)の開講ができない教会も多いです。男女問わず、教区、教会を運営できる戦力を持つ人材を確保すること(哲学、語学、神学、財務、精神医学などに造詣が深いもの)が急務かと思われます。 司祭、修道者の不足をボランティアで補うことは大変困難です。ボランティアとなる信徒も高齢化、減少しているのですから自明の理です。

そうですねえ。昔は女子に対しては教育の門戸そのものがほとんど閉ざされていたから「女性は知性が劣る」みたいな偏見が(わが国では1970年代ぐらいまで)幅をきかせていましたが、その時代でも神谷美恵子さんのような人材がいたことを考えると、教育環境しだいで、特に「語学、神学、精神医学」あたりに強い人材はむしろ女性のほうが多く育つように思います。そのうえで、女性には生涯独身を義務づけられることを苦にしない人が男性より明らかに多いですし。「シスターが司祭になれる」という制度がはっきり決まれば、昔の神谷美恵子さんレベルの人材が、どんどんシスターの道に引き寄せられると思います。その道を開かないのは、まことにもったいない。

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カトリック信徒のものです。 司祭が男性とされる根拠の1つとして、イエス自身や十二使徒がすべて男性であったことに由来しています。その十二使徒がイエスから引き継いだ秘跡を行うのが司祭とされるからです。 なので、歴史的な由来からしても、女性の司祭は考えにくいですし、カトリックに限らず、正教会(オーソドックス)でも、司祭は男性に限定されます。 確かに、今の時代感覚からすると......という面があるのですが、その伝統が今日で維持されてきたことには、宗教上においても大きな意味合いがあるのではないかと思います。 確かに、カトリック信徒数でも奉献生活者の数でも女性の方が多いです。ただ、数が多いから、ではないのですよ。 今でこそ、ミサでの侍者や聖体奉仕者を女性もできるようになりましたが、ほんの何十年か前までは、侍者や聖体奉仕者も女性ができませんでしたし、内陣に上がることすらできなかったのです。今は、掃除の時とかに、女性でも、内陣に上がって、祭壇の掃除もしますけど、歴史的につい最近まで、そのようなことすらなかったのです。 今後、未来永劫に、女性が叙階されることがないかとなると、わからないのですが、少なくとも、今の時代に生きている人がこの世にいる間は、女性の叙階はないように思いますね。 確かに、女子修道院にわざわざ神父様がミサをしに行くのも、お互いに気を使わないとならないものですから、面倒なのでしょうけどね......。

ご回答ありがとうございます。ところでわたくし、極寒中は明け方のまだ暗いうちに上野毛まで自転車で行くのはつらいので、上野毛にはご無沙汰していますが、あの教会ではミサの前に「お告げの祈り」を修道女のかたが先唱してくださることがあって、いいですねえ。服装も伝統的な修道服ですし。世が世なら、ああいうかたがミサの司式もしてくださっても少しも不自然ではないのに……と思ってしまいます。

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もともと女性司祭を検討する動きは、カトリック内部でもあったんだが、それに難色を示したのは、前々教皇と前教皇。二人とも保守派も保守派だったし。 http://www.christiantoday.co.jp/articles/10378/20120408/news.htm ところが、2016年の2月に教皇フランシスコがこんなこと言いだした。 要するに、この問題は「検討する価値」があるとのことなんだが、検討委員会が立ち上がったのかどうか。 https://www.cnn.co.jp/world/35082557.html 教皇フランシスコの発言は、近年の歴代に比べて、教皇庁内の官僚司牧者たちから「トンデモ」扱いされることが多い。 今回もつぶされてしまうのではないだろうか。 こんな場面ばかり見ていると、プロテスタントの某教派が騒ぐ「教皇無謬」「教皇の独占的最高権威」など、まったく該当しないことがわかりまするな。 案の定、2016年11月には、カトリック教会の女性司祭禁止は永久不変との話になってしまった。 これは、スウェーデンのルター派教会のトップは女性だったが、カトリック教会で今後数十年以内に女性聖職者が任命される可能性はあるかと質問され、「これについては、聖ヨハネ・パウロ2世が最終的に明言されている。それは有効だ」と述べたとされる。 https://jp.reuters.com/article/pope-women-idJPL4N1D326D ということで、当面はあり得ないのでしょうなあ。

「聖職者の性的スキャンダル事件が多いから、無理して欲望を抑えさせえるよりは、プロテスタントの牧師みたいに、結婚していても勤まるように改革するのがいい」という案も、私は検討してみましたが、それでは日本仏教と同じになり、「女性には坊守としての活躍の道が開かれているんだから、無理して尼さんなんかになっても意味はない」との、ジェンダー非対称な構造になってしまうと思い、「欲望の抑えられない者は還俗すればいい。そのかわり、男女とも独身制を厳格に守らせたうえでの、女性司祭の登用こそが、今後のあるべき道だ」と思うようになりました。愛知県のとある名刹の住職夫人でかつ大学教授という川橋範子さんという人が、(仏教界に限っての議論だけれど)宗教教団とジェンダーという問題についてはいろいろ書いておられます。彼女が報告しているところによると「夫はサラリーマンで自分が住職」という女性僧侶も近年ではいるそうですが。

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シスターの召命志願者も減少しており、高齢化が進んでいます。 日本への宣教司牧はフィリピン人・ヴェトナム人・韓国人司祭が中心になるようです(ヨーロッパでも司祭の高齢化が著しい為) シスターは集会祭儀での説法から開始して、 助祭の代理として司式するような方向に持っていけば、カトリックが多く司祭が著しく不足している中南米諸国の理解を経て、シスターによる助祭代理が実現するのではないでしょうか? (助祭は司祭を欠いている場合に司牧できます。その代理です。)

シスターの高齢化も大いに承知しております。わが家の近所にも、まるで養老院みたいになっている女子修道院、あります。それでもブラザーよりは志願者が多いのでは? で、だからこそ、塩野さんや竹下さんのような、俗界に置いておくのはもったいない知的レベルとエネルギーのある人の目から見て、シスターの地位が「これなら自分も存分に天分を発揮できる」と思える魅力的なものになれば、若い志願者が増えると思うのです。