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親鸞とかは、悪人ですら救われるんだから善人も救われる、とか言ったそうですが、...

ara********さん

2018/2/2508:29:58

親鸞とかは、悪人ですら救われるんだから善人も救われる、とか言ったそうですが、どういう理由に拠るんですか?

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bai********さん

2018/2/2508:42:40

まったく正反対の理解をなさっています。
善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさらだと言っているのです。

善人は、自分が悪であることに苦しんでいない。自分がそこそこに生きてきた、そんなに悪いことはしていないと思っています。そういう人が救われるんだから、自分の悪に苦しみ、悪に負け、もがいてもがいている悪人なら、もっと仏の慈悲を受けてよいはずだと思っているのだと思います。

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rok********さん

2018/2/2818:19:53

念仏を唱えれば 誰でも彼でも 有る訳のない 極楽へ行ける
と言う 都合の良い 妥当性のない 道理を無視した協議です

なら 悪人は喜ぶ 善い行いをするのがバカバカしくなる
とんでもない 教えです

どんな理屈を付けても 絶対許してはいけない 協議です

無知 無学 無能な農民を欺くための 口からの出まかせの
いい加減な言葉です

親鸞のいい加減さは ほかにも
親鸞の弟子が
「どんなに念仏を唱えても歓喜がない」
と言うと、
親鸞は「実はおれもそうなんだ」と、開き直る
こう言う いい加減な宗教もあるので注意

日蓮が念仏無限と弾劾した理由がよく分かります

日蓮は
南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜
と言っています

you********さん

2018/2/2816:19:33

原文は
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
意訳
善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人は、なおさらだ。

世間でいわれる「悪人」とは、
“この世でより多くの汗と涙を流しながら生きる人間たち”や
“さまざまな重荷を背負いつつ、よろめきながら歩く人びと”
“つらい思いをして生きている人たち”
のこと、と思われているようです。


はたして「悪人」とは、そんなひとたちだけのことでありましようか?


親鸞聖人がおっしゃる「悪人」を聞かせて頂きましょう。

『自身は、現に、これ罪悪生死の凡夫、昿劫よりこのかた、つねに没し、
つねに流転して、出離の縁あることなしと深信す』(機の深信)
意訳
現在、私は極悪最下の者、果てしない過去から苦しみつづけ、
未来永遠、救われることのないことがハッキリした。

ここで言われる「自身」は、過去でもなければ未来の自己でもない。
現在の自己がハッキリした時、過去も未来も明らかになった、という
告白であります。

お釈迦さまのお言葉に、
汝ら、
過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。

すなわち現在が「地獄往き」間違いなしと知らされればおのずと過去も
未来もハッキリ知らされるのです。

「自身は、現に、これ罪悪生死の凡夫」とは、
“現在の自分”が罪悪生死の凡夫と知らされた、ということです。

そんな極悪最下の自己がハッキリした時、
「昿劫よりこのかた、つねに没し、つねに流転して」きたとは、
はじめなき過去から苦しみ続けてきた、ということであり、
「出離の縁あることなし」とは、金輪際、救われぬ「地獄は一定住み家」
ということです。

「過去世や未来世のことなんか分かるものかい」という声が聞こえてき
そうですが、「自身は現に」と言われる「現在」には、悠久の過去と
永遠の未来が包含されているから、現在を徹見すれば過去も未来もすべて
が分る、と聖人は説かれるのです。
現在はまさに過去と未来を説くカギなのです。

死んだ後なんかあるのか?と思われる方は以下をお読み下さい。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121817845...

いよいよ未来(真っ暗な後生)へ出かける、となるのです。


お釈迦さまは、
『出息入息 不待命終』“出る息は入る息を待たず、命終る”と説かれている。
吐いた息が吸えないときから後生がはじまる。吸う息吐く息が、死とふれ
あっていることが知らされます。

後生暗い心とは、五十年、六十年先の闇ではない。今に暗い心であります。
現在に暗い心とは、現在の自己に暗いことにほかならない。
自己の現在を隠すもの、それが無明の闇なのです。無明が破れて、自己の
素顔が明らかになると、過去も未来も鮮明になる。
「機の深信」は、その告白であります。

「深信」は、決して憶測や想像のようにおぼろではありません。
実地の体験なのです。

「悪人」対する「善人」とは、
自分は善人だと思っている「善人」を「善人」と言われているのです。

『教行信証』はじめ親鸞聖人の全著述は、こんな者は善人、あんな者は
悪人と分けるような見方はされていません。すべての人間は悪人であり、
「昿劫よりこのかた、つねに没し、つねに流転して」「出離の縁あるこ
となき」罪悪生死の凡夫という人間観は、一貫して変わりません。

「世間で言われる悪人」
“涙を流して生きる人間”や“重荷を背負って歩く人びと”と考えるのは、
素直かもしれないが、そんな人たちのみが、親鸞聖人の説かれる悪人
ではない。

また“悲しい罪深い人びと”や“つらい思いで生きている人たち”だけの
ことでもない。

聖人の言われる「悪人」は、単純な理解を許さない。すべての人間が
悪人と知らされた悪人にとって、「悪人」とは人間の別名であって、
常識や法律、倫理、道徳の悪人とは、まったく異なるのです。

では聖人が善人とよばれるのは、どんな人なのでしょうか。
もちろんそれは、まわりから「あの人はイイ人だ」と言われている
「善い人」でもなければ、人間世界以外のどこかの善人のことでも
ありません。

苦しみの根元「無明の闇」も知らず、その闇も破れた体験も無い、
したがって、悪しか造れぬ己の実態がわからず、「善人」と自惚れ
ている者のことです。

親鸞聖人の「教行信証」に、
『一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日・今時に
いたるまで、穢悪汚染にして清浄の心なく、虚仮諂偽にして
真実の心なし』(教行信証)
意訳
すべての人間は、はじめなき昔から今日まで、邪悪に汚染されて清浄
の心はなく、そらごと、たわごとのみで、真実の心はまったくない」
聖人の言われる「一切の群生海」に入らぬ者は、どこにもいない。

古今東西全人類に例外はあり得ないのです。

どうして万人のことを、かく断言できたのでしょう。
最深の意味で一人は万人であり、一は一切である。
一人の上に突き止められた真実は、すなわち万人の真実であり、一の
上に体験される究極の真理は、すなわち、一切の上に体験されるべき
究極の真理なのです。

親鸞聖人は自己の真実を通して万人の真実を読み、一身の真理に即し
て、一切の真理を道破なされたのです。

「如来の慈悲は苦あるものに偏に重し」
「岸辺で遊んでいる人より、今おぼれて苦しんでいる者に重くかかる」

聖人の教えられた「悪人」が分れば
絶対に世間の悪人と混同してはならないのです。
「悪を造ればさえ阿弥陀さまは可愛いと仰る」…これが造悪無碍の異安心
聖人の末灯鈔にも厳しく聖人は叱っておられます。



参照:『歎異抄をひらく』、『なぜ生きる』より抜粋。

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yaa********さん

2018/2/2510:09:41

すくわれない人は居ないと言う事です。
時間が必要かそうでないかの違いです。

悪人は長い時間が必要だと言う事です。

aim********さん

2018/2/2509:08:27

違うんじゃないのかな:
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」ですよ。

つまりは仏法は悪人を救うための教え、宗教でありましょう。信心でしょう。
さてその悪人って何でしょうね。
65年前、中学の時に同級生の民衆の哲学者と歓談したことがります、このテーマで。
人間って救われないなぁ。所詮はどうしても悪人だなぁって自覚した人ではないでしょうかね。
善男善女の善人ではない。

twe********さん

2018/2/2508:52:07

南無阿弥陀仏ですm(_ _)m

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