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元大洋の松島英雄投手を知ってますか?

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ID非公開さん

2018/3/1920:30:37

元大洋の松島英雄投手を知ってますか?

1970年

昨年秋の長崎国体高校硬式野球で優勝した静岡商チームのエース松島英雄投手(右投げ、右打ち、身長177㌢、体重70㌔、十七歳)はプロ野球セントラル・リーグの大洋ホエールズに入団することになった。同球団の宮崎スカウト部長と湊谷スカウトは二十九日午後六時から静岡市紺屋町の旅館「にっぽん橋」に同投手と母親きぬさん(53)を招いて話し合ったが、条件面で合意に達したため、進学の予想をくつがえして急転直下のプロ入りとなった。宮崎スカウト部長らは「将来性を十分買っている。平松投手に次ぐエースになんとか育て上げたい」と、難産の末の獲得にホッとした表情だった。これで一昨年の新浦投手(巨人)に続いて静商のエースが二年続けてプロ入りすることになった。同球団では昨年のドラフト会議で選択順位四位に指名、宮崎部長を陣頭指揮に熱心に交渉を続けていた。宮崎部長、母親のきぬさんが見守る中で、緊張した表情で契約のサインを終えた同投手は「昨年暮れまではプロに入るとは夢にも考えていなかった。だがことしになって自分の力をためすならプロだという気持ちになった。ホエールズの試合はテレビで見ただけでなんにも知らないが、平松さんを目標に一日も早く一軍に入れるようがん張りたい」と決意を語っていた。一方きぬさんは「進学するとばかり思っていたのでプロのことは考えてもみなかった。でも本人がやる気になったのだから好きな道に進むのが一番いいと思って宮崎さんにすべてをお任せした。体を大事にして努力し立派な選手になってほしいと祈る気持ちです」と喜びと心配が半ばする複雑な表情だった。同投手は静岡市立高松中当時から投手として活躍。静商に入ってからは野手に転向し、一昨年の夏の甲子園大会には二年生で三塁手五番打者として出場。初のヒノキ舞台にもかかわらず堅実なフィールディングとシャープな打法で大活躍し、4割2分8厘の高打率をマークして左腕のエース新浦投手とともに同校準優勝の原動力となった。その年新浦投手が中退して巨人入りしたため昨年急きょマウンドに返り咲いた。長身から投げ降ろす快速球と絶妙の制球力、さらに高校生とは思えない配球のうまさで驚異的な成長をみせ、再び夏の甲子園大会に進出、準々決勝で松山商に1-4で敗れたが、秋の国体では堂々松山商に雪辱、さらに玉島商に完封勝ちし、その力量はプロ球界の注視の的となった。宮崎スカウト部長と湊谷スカウトは「学校との話し合いいかんだが、二月一日から松島君のホームグラウンド静岡球場で始まるスプリングキャンプにはぜひ参加してもらうつもりだ。短期間で高校球界のエースにのし上がった素質は抜群であり、鍛えがいがある」と大きな期待を寄せていた。年棒は推定百二十万円。

根本行信静岡商校長の話 本人も家庭も一時は大学(明大)に行きたいとドラフト(新人選択会議)指名をけって一生懸命勉強していた。しかし家庭の事情から将来を考えた結果、プロに入ることが最もいいと判断したのだから松島君の前途を喜んで見守ってやりたい。ホエールズ側としても松島君の素質を高く評価してくれていると思うので、その期待に応えるようがん張って新浦君に負けない投手になってもらいたい。

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2018/3/2322:45:19

知らなかったので調べました。

静岡商業では2年生と3年生の時に夏の甲子園へ連続出場。

1968年の夏の大会は新浦壽夫(のち巨人ほか。同年度生まれだが、定時制から全日制へ編入して1学年下に)がエースであったため三塁手として出場。

決勝に進出するが興國に敗れ、準優勝に終わる。

新浦はこの年限りで高校を中退し巨人入り。

1969年の3年生時は、エースとして夏の甲子園に出場。

準々決勝に進出するが、この大会に優勝した松山商に敗退。

しかし秋の長崎国体では決勝に進み、玉島商の松枝克幸(法大-西川物産)との投げ合いを1-0で制し優勝を飾る。

同期に藤波行雄(のち中日)、控え投手として1学年下に池谷公二郎(のち広島)がいた。内角をえぐるようにはいってくるシュート。

伸びのある速球とコントロールのよいカーブ、スライダーを武器とした。

1969年ドラフト会議で大洋ホエールズから4位指名を受け入団。

将来の主軸投手として期待され、二軍ではそこそこの成績を残したものの伸び悩み、一軍では未勝利のまま終わった。

現役時代の後半は選手登録されていたものの、打撃投手的な扱いであった。

1979年に現役引退。

引退後1980年から1990年まで打撃投手をつとめ、その後スコアラーに転身した。

1987年から1991年までは新浦壽夫が同僚だった。

通算25試合登板。
0勝2敗。
防御率3.55

背番号
43 (1970年 - 1979年)
86 (1980年 - 1990年)

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質問した人からのコメント

2018/3/23 22:55:53

うひょおおお

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gol********さん

2018/3/2013:38:43

プロで全然ダメでした


投手でプロ入りして プロでも投手でしたが


新浦のいたころの 静岡商のサード

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mic********さん

2018/3/2011:00:05

1968~1970年頃の静岡商は、投手に新浦(元巨人)、松島(元大洋)、池谷(元広島)、捕手に勝亦(元ヤクルト)、外野手に藤波(元中日)と、後にプロに進む選手を輩出したのですが、甲子園では準優勝止まりでした。
松島も期待は大きかったのですが、プロでは活躍できず、新浦、池谷とは大きな差がつきました。

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