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親鸞聖人って、悪人に利用されやすい何かを持っていたのですか?

nat********さん

2018/3/2317:51:34

親鸞聖人って、悪人に利用されやすい何かを持っていたのですか?

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you********さん

2018/3/2622:51:22

>親鸞聖人って、悪人に利用されやすい何かを持っていたのですか?

と言われていますが、そのもとになっているのが『歎異抄第三章』
でありましょう。

長文にならざるを得ませんが最後までお読み頂きたい思います。

親鸞聖人の教えを多くの人に知らしめた書が『歎異抄』です。
五百年前、浄土真宗の中興、蓮如上人が、この書は親鸞聖人を誤解さ
せる恐れがあると、封印され、
以来、ほとんど知る者がなかったが、明治の末からある機縁で急速に
読み始められ、仏教学者はいうのおよばず、多くの作家や思想家が、
こぞって『歎異抄』を論じ始めた。かくて広く、一般にも愛読される
ようになり、親鸞聖人と言えば『歎異抄』、『歎異抄』と言えば親鸞
聖人と言われ、今では親鸞思想の格好の入門書とされています。

だが、『歎異抄』は、両刃の剣である.「善人なおもって往生を遂ぐ」
の言葉など、悪を勧めているようにも映る。

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
(善人でさえ、浄土へ生まれることができるのだから、
ましてや悪人は、なおさら往生できる)

事実、「阿弥陀さまは、悪人大好き仏だから、悪をするほどよいのだ」
と吹聴する者が現われ、「親鸞の教えは、悪人製造の教え」と非難さ
れてもいます。

また、東大の名誉教授でさえ『歎異抄』を読み違え、“念仏を称えたら
救われると教えたのが親鸞”と教科書に記し、物議をかもしました。

『歎異抄』が広範な読者に迎えられたせいなのか、聖人は日本で最も
有名な、歴史上の人物といわれるようにもなりま した。
同時にまた、親鸞聖人の教えが誤解される、大きな要因となったのも
否めません。

実際、“悪をするほど助かるのだ”と好んで悪を行なう「造悪無碍」と
呼ばれる輩が現われ、「悪人製造の教え」と非難されました。

かかる誤解を正すには、親鸞聖人の「善人」「悪人」の認識を、徹底
して明らかにするしか道はありません。

それなしに三章をいくら熟読しても、論語読みの論語知らずにならざる
を得ないでありましょう。

私たちは常に、常識や法律、倫理・道徳を頭に据えて、「善人」「悪人」
を判断する。だが、聖人の「悪人」は、犯罪者や世にいう悪人だけでは
ありません。極めて深く重い意味を持ち、人間観を一変させます。

『いずれの行 も及び難き身なれば、
とても地獄は一定すみかぞかし』(歎異抄)
意訳
どんな善行もできぬ親鸞であるから、所詮、地獄の外に行き場がないのだ。

この告白は、ひとり聖人のみならず、古今東西万人の、偽らざる実相で
あることを、『教行信証』や『歎異抄』には多く強く繰り返される。

「一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染に
して清浄の心無く、、虚仮諂偽にして真実の心なし」(親鸞聖人:教行信証)
意訳
悠久の先祖より無窮の子孫まで、すべての人は、邪悪に満ちて、そらごと
たわごとばかりで、まことの心は微塵もない。
しかも、それを他人にも自己にも恥じる心も無い無慚無愧の鉄面皮。永久
に助かる縁なき者である。

「煩悩具足の我らはいずれの行にても生死を
離るることあるべからざるを憐れみたまいて願を
おこしたまう本意、悪人成仏のためなれば……」(歎異抄)
意訳
煩悩にまみれ、どのような修行を励んでも、到底、迷い苦しみから離れ
切れない我らを不憫に思い、建てられた本願だから、弥陀の本意は悪人
を救うて成仏させるためだったのである。

人間はみな煩悩の塊、永遠に助かる縁なき「悪人」と阿弥陀仏は、知り
抜かれたからこそ“必ず救う”と誓われたのだ。これぞ、弥陀の本願の真
骨頂なのである。
聖人の言われる「悪人」は、このごまかしの利かない阿弥陀仏に、悪人
と見抜かれた全人類のことであり、いわば「人間の代名詞」にほかなら
ない。

では聖人の「善人」とは、どんな人を言うのだろうか。
“善を励んで助かろう”“念仏称えて救われよう”と努める人である。励めば
善ができ、念仏ぐらいは称え切れると思っている人だから、「自力作善」
の善人と聖人はおっしゃる。

諸善も本願を疑っている人だから、「疑心の善人」とも言われている。
そのような自力におぼれている人は、自己の一切の思慮分別を投げ捨てて
弥陀にうちまかせる心が無いから、弥陀の本願の対象にはならないのだ。

だが弥陀は、そのような邪見におごり自己の悪にも気づかぬ、「自力作善」
の自惚れ心をも打ち砕き一切をうちまかさせ、浄土へ生まれさせると誓われ
ている。

かかる「自力作善」の善人さえも、弥陀は誘引したもうから、「善人
なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と言われているのである。

「悪をするほど助かる」「悪は往生の正因」など、聖人の教えからは出よ
うがないのである。

善人であれ悪人であれ、要するに「自力の心をひるがえして、他力をたの
みたてまつる」他力の信心一つが強調されるのです。

総てみな「信心一つで救われる」他力の信心のことを言われているのです。
すでに『歎異抄』一章には、「弥陀の救いには、善人も悪人も差別はない」
と説き、「ただ信心を要とすと知るべし」と明言されている。

これによっても、善人悪人、一応、分けてはあるが、弥陀の救いの焦点は、
他力信心一つに絞られていることが、明々白々である。
『歎異抄』では、特に指摘し喚起しておかなければならない要点だろう。


参照:『歎異抄をひらく』より抜粋。


誤字あればお許し下さい。

ベストアンサー以外の回答

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tor********さん

2018/3/2319:57:00

善人なおもて往生す いわんや悪人おや と言い 当時僧は肉食妻帯を遠慮したりする者が多かったが 何人かの尼に手を付けたが、後世の弟子京都駅本願寺 一向一揆宗開祖蓮如等は 極限迄追及し 一般人でも聞かない5人の妻に24人の実子を造り100年近くISISも超およばない 独立国も造った。

sok********さん

2018/3/2318:52:44

利用されたんじゃなくて
親鸞が悪人。

こいつ悪運強いヤツ
女作って子どもまで作っちゃって
悪い坊主。ろくでなし

hoh********さん

2018/3/2318:49:04

別に利用されてませんが

勘違いしてますね

fun********さん

2018/3/2318:29:22

悪人と自覚した人だけの善知識ですよ

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