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上野国を上州と言いますが、下野国を下州ではなく野州と言うのはなぜですか

ban********さん

2018/4/1313:40:44

上野国を上州と言いますが、下野国を下州ではなく野州と言うのはなぜですか

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dom********さん

2018/4/1313:42:10

げすになっちゃうからじゃないかな。

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moy********さん

2018/4/1315:41:58

シナはあの広大な大陸を州に分け、州をさらに郡に分けて都から派遣する泊などに治めさせた.当然、遣唐使などを通じて日本にもその考え方が伝わったでしょう.倭の国の実態は百以上の地域の勢力が存在し、シナのような統一王朝は存在しなかった.

例えば関東平野の北の方には「ケノクニ(木の国=毛の国)と呼ばれる地域があった.この場合の「クニ」はきちんとした国家ではなく、言わば一地方をふわっと抑える氏族という血縁集団の縄張りのようなものです.だからシマ(州)とも言う.しかしシナの州とは違い、統一王朝の官僚はいない.ただ朝廷に纏ろえば「キミ」などの「姓」をもらい、権威を高めることも出来た.また娘を后にすれば朝廷と血縁関係が出来、さらに大きな振るうことが出来る.あわよくば自分の息子にイナキやアガタヌシといった姓を賜り、子々孫々の繁栄を固めることも出来る.

このケヌクニも北関東全体に勢力を持つようになると、当然血族間にも争いが生じだであろうし、血が遠くなるほど激しく抗争する.4世紀、大和朝廷の全国統一が進められる頃になると、都に近い半分を「上つ毛野(かみつけの)」、残り半分を「下つ毛野(しもつけの)」と分けることになった.下野と常陸の境界を流れる鬼怒川は毛野河とも書かれた.

さらに6世紀の「日本」の成立に伴い、この両国は二文字の国名で「上野国(かみつけのくに→かいつけのくに→かうづけのくに)」「下野国(しもつけのくに)」となりました.略称上野(かうづけ)、下野(しもつけ).その頃には広々とした森林や原野のあちこちが切り開かれ、人口も増えて無数の里(居住地)が出来ていた.

しかし、本来なら「毛の国から西半分が分離したのですから、残った本体が毛の国として残ると言う考え方も出来る」と誇りの強い下野の人は考えたでしょう.まして上野を上州と自称するには勝手だが、下野まで下州と呼ぶのは許せん.下野国こそ毛の国の本体であり、野州(けのくに)と呼ぶべきである.

実際、普通は州(国)を二分、三分するときは、都に近い順に「・・前」「・・中」「・・後」とするのが普通なのに、「下野とはこれいかに.まして下州(しものくに)」などと呼ばれるのは我慢がならん.

思うに、4世紀以前は「サシの国」と呼ばれた江戸のあたりは、都に近い部分がサシガミ(さがみ)と呼ばれ、相模の国になったが、残った東半分はサシジモとは呼ばれずムザシ(武藏=「真サシ」の意)と呼ばれた.国が西東に別れた場合、都からキた時に前(さき)に着く国が「越前」とか「豊前」と呼ばれるのはいいが、残り半分が改名される理由はない.例えば南九州一体を古事記はヒムカと呼んでいるが、ここから薩摩や大隅が分離したあともヒムカ(日向)は日向のまま残っている.ゆえに下野も上野が出来たらただの野州(けのくに)に戻るだけで良い.

ghw********さん

2018/4/1313:49:03

大きな国を二つ、三つに分けたときは「前、中、後」で分けるのが普通です。
「上(カミ)、下(シモ)」に分けるのは関東地方だけです。
関東平野は、大きく三つの国がありました。ケヌノ、フサ、ムサです。
それが、のちにそれぞれ分けられました。
毛野国(けぬのくに)を二つに分けて「上野(かみつけぬの)」「下野(しもつけぬの)」。
フサの国を三つに分けて、「カミフサ(上総)」「シモフサ(下総)」「アマフサ(安房)」。
ムサの国を二つに分けて、「ムサカミ(相模)」「ムサシモ(武蔵)」。
ムサカミには「上」の文字は残っていませんので、「上」がつくのは上総と上野だけ、ということになります。

備前、備中、備後を合わせて「備州」、肥前・肥後を合わせて「肥州」、越前・越中・越後を合わせて「越州」というように、普通、「州」をつける場合は、分割前の大きな国をまるごと呼ぶものです。
だから「総州」といえば上総、下総を合わせた全体を指します。
ところが、毛野だけは、「上毛野」族と「下毛野」族の仲が、ものすごく悪かった。
赤城山(上毛野の神)と男体山(下毛野の神)が戦場ヶ原で戦って、男体山が勝った、という民話(神話?)は、両者の激しい勢力争いを隠喩したものといわれています。
というわけで、本来は両方あわせて「野州」でよさそうなものが、一緒にされるのは嫌だ、ということで、優勢だったほうが本家っぽく「野州」を取り、ならばこっちは「上州」だ文句あるか、というようなことになったのです。
他に文句いいそうなのは「上総」だけですが、「あ、ウチは総州でいいです」ってことで、こういうのは声のでかいほうが勝ちです。
というような経緯だと言われています。

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