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仏教では自分も他人も、ありのまま見る心が大事だと聞きました

mas********さん

2018/5/800:10:16

仏教では自分も他人も、ありのまま見る心が大事だと聞きました

では、他人が悪いこと 例えば暴力や権力で弱いものいじめをしてる現場に出くわした時 仏教では「一見弱いものいじめのように見えるけど、そのように簡単に判断してはいけない。何が事情があるに違いない」なんて考えて、止めに入らないんでしょうか

仏教はそんなことないと思います
小学生でも弱いものいじめはダメだと言うでしょう
ですが、、、仏教的に説明できません

私は無知です なにかを勘違いしているのでしょう
例えば「あるがまま見る」の意味が私は今ひとつ分かってないのだと思います


あるいはこういう話を聞きました
お釈迦さんは自分の生まれの国が隣国に滅ぼされそうになった時 2度目までは止めに入ったそうですが 3度目は止めに入らなかったと。なぜならお釈迦さんは、祖国の滅亡はどうしようもない因縁があると判断されてのことだと知ったから止めなかったといいました

やはり仏教は、最終的には争いを止める事を諦める事もありうるという事でしょうか

この凡夫にどなたか詳しい方ご教授お願いします

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aho********さん

2018/5/912:07:57

ブッダの従弟に滅ぼされたんでしょう。

従弟の怒りが巨大すぎるので、全力を挙げて阻止したが、流石のブッダでも、止めようがなかったからでしょう。
事情を詳細に記載した仏典があるのですから、読まれたらどうですか。

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plm********さん

2018/5/1403:00:43

争いごとに出くわしたとき、
すぐに止めた方が良いのか、
あるいは、あえてその場は静観した方が良いのか。
それはケースバイケースでしょう。
仏教だろうと一般常識だろうと、
それは同じことで違いはないと思います。

例えば、アングリマーラという連続殺人犯に対して、
お釈迦さまは殺人をやめるように諭し、
出家修行者として教団に受け入れました。
その後、回心したアングリマーラを、
町の人たちは迫害しました。
もしお釈迦様が町の人たちに
アングリマーラを迫害しないようにと
真剣に訴えたら、あるいは町の人たちは
お釈迦様の言葉に従ったかもしれません。
しかし、アングリマーラは迫害され、
アングリマーラ自身もそれを甘んじて受け入れました。
ということは、お釈迦様は、
街の人たちの迫害を積極的には止めなかったのでしょう。

アングリマーラの殺人という暴力は止めました。
しかし、無抵抗なアングリマーラに対する
町の人たちの迫害という暴力は止めませんでした。
お釈迦様は前者は止めるべきと判断し、
後者は静観すべきと判断したのでしょう。

仏教だろうと仏教でなかろうと、
止めた方が良い場合と、静観した方が良い場合があります。
そして普通の人は、自分の価値観や我が身可愛さから
止めたり止めなかったりします。
ですから、その判断が正しい場合もありますが、
間違う場合もあります。
それに対して如来の知恵があれば、
止めるべきか静観すべきか、
それを正しく判断できるのだと思います。

いじめや争いごとを見たら、
いつでも必ず止めなければならない、
というのは、自分なりの正しさにこだわった
考え方です。
逆に、止めないとなったら、
仏教は、いつでもどんなときでも止めないのかと、
そんな風に考えるのも極端です。
どちらも、柔軟性のない硬直した考え方です。

もし、この件に限らず、他のいろいろなことについても、
このような柔軟性のない硬い考え方をするクセが
あなたにあるとしたら、
おそらく人間関係で悩んだり憤ったりすることの多い、
生きにくさを感じているんじゃないかと想像します。
仏教は、まさにそういう硬い頭を
柔らかくするために学ぶのだろうと思います。

釈迦族の滅亡についてですが、
例えば、ある人が暴飲暴食で成人病になったとします。
病気になる前なら、暴飲暴食はやめなさいと忠告する事はできます。
しかし、病気になってしまえば、
もう暴飲暴食をなかったことにして病気を消し去ることは、
仏様の力をもってしても出来ません。
仏様にできることは、病気になる前に、
暴飲暴食をやめるように諭すことと、
病気になってしまったら、
病気を治す努力を助けることだけです。
人には自由意志があるので、
たとえ仏様でも無理矢理強制的に
暴飲暴食をやめさせることはできません。

釈迦族の滅亡については、釈迦族の者が
大国に対して傲慢な態度をとったことが原因だったそうです。
お釈迦様が侵攻軍を三度まで止めたというのは、
まだ釈迦族を救える可能性があったからでしょう。
病気になるから暴飲暴食をやめなさいと忠告するように、
このままでは国が亡ぶぞと釈迦族の人たちを
諭したのではないかと想像します。
しかし、結局釈迦族の人たちは行いを改めず、
滅亡という形で過去の悪因が悪果として結実してしまいました。
そうなると、病気を消し去ることができないのと同じで、
お釈迦様にも滅亡という事実はどうしようもありません。
経典には
「釈迦族は今日、宿縁がすでに熟した。今まさに報いを受くべし」
とお釈迦様が語ったとあるそうです。

wal********さん

2018/5/822:40:05

仏教で言う善悪は「縁起の世界(娑婆世界)」の善悪とは違います。

善悪というのは、文化や人種や時が変われば変わってしまうものです。
簡単な例が、今、人を一人殺せば大変な罪になりますが、
戦争中であれば英雄です。航空兵の撃墜王などはヒーローで、女性からの
ファンレターなども来たといいます。
犯罪者は司法で裁くのが当たり前と私たちは思っていますが、
未開な国では司法に預ける前に民衆で殺してしまったりします。
彼らはそれが正義だと思っているからです。

釈尊の時代、僧は集団(サンガ)で生活していました。
仕事は御法度なので托鉢によって命を保っていました。
権力とは距離を置き、あまり政治に口を出したりはしませんでした。
なぜなら「これが正義だ」というスローガンをサンガが持ったとしたら
かならず権力とぶつかるか、あるいは反対勢力とぶつかるかせざるを
えなくなります。

仏教の善悪とはやったことの結果が、涅槃に近ければ善、遠ければ悪
ということです。
そして仏そのものであれば善悪はありません。
なぜなら、善悪とは人間の妄想分別が作り出すものだからです。
分別が消え、その結果煩悩が滅尽すれば善悪はありません。

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wou********さん

2018/5/816:10:20

宮沢賢治の言葉です。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
(略)
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

以上、青空文庫より

iti********さん

2018/5/816:03:58

「ありのままに見る」というのは、ブッダの言葉を誤解した人が広めた言葉で、本当は「真実のままに見る」、あるいは「ありのままの真実を見る」で、真実とは、ブッダが説かれている各種のダンマ(教え)です。

例えば誰かが暴力で他人を苦しめている光景を見たら、「この人は目・耳・鼻・舌・体・心に形・音・臭・味・接触・考えが触れた時、心にサティ(自覚のようなもの)がなかったので、煩悩が生じて怒りになり、他人を自分を同時に苦しくしている。目・耳・鼻・舌・体・心に形・音・臭・味・接触・考えが触れた時、もし心にサティがあれば、このように怒りが生じて行動にまでなることはない」と、既に学んで知っている教えを思い出して、その教えを検証するような形で物事を見ます。

あるいは「この人を襲っている怒りは、原因と縁があって生じたもので、苦であり、原因が消えれば怒りも消える。この人の物でも、誰の物でもない」と無常・苦・無我の知識で見て、誰それの怒りと見ることで生じる怒っている人への憎しみなどの感情が生じるのを防ぎます。

「真実のままに見る」には、四聖諦、縁起、三相、因果の法則、カンマの法則、慈・悲・喜・捨など、ブッダの教えなら何を使っても良いです。だから真実のままに見るためには、あらかじめダンマの知識が不可欠で、そのためにブッダの教えを、当時は度々聞かなければなりませんでした。今では読んで学んでおかなければ、何かを見た時に、ふさわしい教えを思い出して熟慮に使うことができません。

つまりブッダの教えである真実の知識のない人が、表面的事実をありのままに見る、あるいは世間の考え方で見るという意味ではありません。

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dai********さん

2018/5/809:24:25

お釈迦様は仏様です。
その仏様が、
二度も止めに入られたのに、
戦争をしたと云う事は、
両者に仏様の慈悲より、
地獄の因縁があったと云う事です。
しかし凡夫には、
そんな因縁は見えませんから、
悪を止める、
出来る限りの努力をさせて戴かなければいけません。

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