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エバラ焼肉のたれの橘家圓蔵は四天王と呼ばれたくらいだから 同じ四天王の談志や...

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ID非公開さん

2018/6/1007:33:41

エバラ焼肉のたれの橘家圓蔵は四天王と呼ばれたくらいだから
同じ四天王の談志や志ん朝と同じくらい落語も上手だったのですか?

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bsd********さん

2018/6/1018:41:24

「志ん朝さんは上手い、談志兄さんは達者、だからあたしは面白い噺家になるしかなかったんですよ」って良く言ってましたね。円楽さんの事は好きじゃないから何も触れてなかったなァ。若い時はラジオテレビで声を聞かない日は無かったですね。それ位人気者で面白かったです。超売れっ子落語家なのでネタ数が少なく(年がいってから少し増えたが)某大学の落研に呼ばれたとき、学生が円鏡のネタを代わるがわる演じたので最後に上がった円鏡が困っちまった、という話を聞きました。当時の人気者の三平、円鏡、小円遊、志ん馬、歌奴、等々の音源が少ないのが残念です。

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yan********さん

2018/6/1023:18:02

先ず”四天王”とよばれた経緯を。

昭和38年の朝日新聞のコラムに評論家の矢野誠一氏が、
「今の若手では志ん朝、柳朝、円楽、談志の四羽烏がいい」と書き、他の記者が、「三羽烏とは言うけれど四羽烏というのは聞いたことがない。四人を並び称する時は四天王と書くべきだ」と注意され、それから四天王になった、んですが、

その当時はまだ4人とも若く(志ん朝(25歳)、柳朝(34歳)、円楽(30歳)、談志(27歳))四天王の前に”若手”というのが付いていました。

文楽、志ん生、圓生に継ぐ、次世代の名人候補だったんでしょうね。


他の落語評論家”川戸 貞吉”は最初から志ん朝、円楽、談志、円鏡の4人がこれからの落語界を背負っていくとしていました。
『人気』を優先させた4人です。
客を笑わせるとしたら、初代林家三平、3代目三遊亭 歌奴に続くのは円鏡でした。

で、
柳朝が早くに亡くなってしまったので、志ん朝、円楽、談志、円鏡の4人ということになったんです。

落語の”腕”ということではなく、『人気』ということでの4人です。

ご質問されているID非公開さんはご自分でお聴になってどのようにおもいますか?

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blu********さん

2018/6/1008:32:07

四天王と呼ばれていたのは、志ん朝、柳朝、談志、円楽です。

その後、柳朝と変わって、円鏡を入れて四天王と呼ばれいました。

四人四様で、誰が上手いというわけではなくて、それぞれお良い持ち味を持っていました。円鏡(その後の円蔵)は、とにかく面白くて人気がありました。

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mak********さん

2018/6/1007:40:54

落語もさることながら昔のバラエティ番組
「お笑い頭の体操」のレギュラーと
しても活躍してました。

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