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千利休は何故豊臣秀吉に切腹させられたのだと思いますか?

kjv********さん

2018/6/2007:30:29

千利休は何故豊臣秀吉に切腹させられたのだと思いますか?

みなさんの考えを教えてください

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ham********さん

2018/6/2007:43:03

いろんな説がありますが、時代背景から考えると、秀吉による朝鮮出兵が関わっていると考えられます。
黄金の茶室など派手好みの秀吉と、侘び寂びを追求する利休には、すでに確執があったと考えられますが、秀吉の唐入り(文禄・慶長の役)を利休が批判し、諌めたために秀吉の逆鱗に触れたと考えるのが妥当かと思います。

質問した人からのコメント

2018/6/26 19:01:57

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pla********さん

2018/6/2522:34:04

天正十九年(1591)二月、秀吉によって京都から追放される直前に、利休は30年以上親交を続けた大徳寺の古渓和尚と末期の茶を喫しました。追放以前に既に末期を承認し合っていたのですから、ふたりの間には腹の底を割った会話が交わされたに違いありません。古渓和尚が最後の覚悟のほどを聞いた時、利休は『自日青天怒電走』と一句で答えたと古渓和尚の記録に記されています。出所は重慶叟源和尚の詩偈「口を守ること瓶の如し」利休切腹の謎は、ついに利休の口から漏れなかったのです。堺に蟄居した利休に、追い討ちをかけるように切腹の命が下りました。

人生七十 力囲希咄
吾這宝剣 祖仏共殺
提ル我得具足の一ツ太刀此時ぞ天に抛

死の4日前、利休が残したもうひとつの偈は、このようなものでした。
前田利家が利休の助命運動をして、利休が堺に蟄居させられてから、大政所とか北政所を動かして、秀吉に利休を許すようにと取り計らいましたが、利休はそれを聞いて「そういうお女中様方にすがって、かりにも天下の茶頭ともあろう者が命を助けられると言うことは無念だ。たとえ秀吉公の誅罰にあっても、是非なく候」と言ったようなことが手紙に記されています。70歳の利休は、やはり禅へ帰って、禅居士利休として腹を切ったのです。

gpx********さん

2018/6/2220:11:46

5月14日付けの朝日新聞に、中村修也氏の著書(『利休切腹・豊臣政権と茶の湯』洋泉社・2015)を基にした記事が掲載されていますね。

記事には、利休は切腹していないと書かれています。
中村氏によれば、利休切腹の根拠となっている『千利休由緒書』は利休の死から六十年以上後になって成立したもので、内容にも間違いが多く、史料批判に耐えられないもののようです。
また、その他の利休切腹に関するものも全て二次史料であり、一次史料では利休の切腹は確認できないとのことです。

例えば、

・「利休のことであるが、曲事(くせごと)があり、逐電した」(勧修寺晴豊の日記)
・「宗易は逐電したとのこと」(西洞院時慶の日記)
・「宗易が(中略)追放になっていたが、行方が知れなくなった」(伊達成実の日記)

など、当時の記録には「逐電」(素早く逃げうせること)や「行方不明」とだけ書かれているものが散見され、切腹したとの記述は無いとのことです。

ちなみに、利休生存の根拠として、

①文禄元年(1592)に、秀吉が九州で利休の茶を飲んだと書いた手紙があること

②同年、秀吉が利休に伏見城の設計をさせると書いた手紙があること

③利休の高弟である細川忠興が、千道安(利休の息子)に豊前国に三百石の領地を与えたとの記録があるが、道安の本拠地は泉州堺であり、実は利休に与えたものではないかと考えられること

が挙げられています。

中村氏は、石田三成ら奉行衆が利休のことを快く思っておらず、彼らの不満を抑えられなくなった秀吉が「利休を切腹させたことにして豊臣政権から追放した」というのが実際のところではないか、と述べています。

また、中村氏は「追放後の利休の消息は不明だが、細川家と交流があったのは間違いない」とも述べています。


以上、私の考えではありませんので、ご参考まで。

mii********さん

2018/6/2013:14:42

朝鮮出兵への反対
奸臣・石田三成の陰謀

ail********さん

2018/6/2012:12:55

1年後に利休にあった人の記録が数件あります。
切腹させたと言う記録は当時にはありません。
切腹させた記録の年代等調査すれば、大体判明するでしょうが、不思議とありません。

yha********さん

2018/6/2011:15:41

金の茶室は利休が全面的に協力して作られている
なので美意識の対立は無いと思われる

私は、利休の殖財が原因と思っている
利休の一言でタダ同然の茶器が千金の値になるからね
かなり儲けていたらしい

そんな高価な茶器が次々と出てきたら
相対的に秀吉の価値は下がっていくでしょ

例えば茶器であれば秀吉が贈答するより
利休の目利きのほうが有り難いということになる
そして利休はそれについては何の労も取ってない
むしろ金が転がり込む
秀吉は金で買ってるのにね

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